止めるべき涙3
黒い鱗は赤い空の色を取り込まなかった。
空を飛ぶドラゴンが遥か空の上から、挨拶代わりのアレが口から吐かれる。
地上に向かって一気に降り注ぐアレは、此方に触れる前から熱で肌を焼こうと襲いかかってきていた。
先に対応したのはエリスロースだ。
彼女から流れ出した血が半球状になって俺たちを囲み、直撃したアレをよそにやってくれた。
実質対応してくれる者は彼しかいない。
ドミノは初めから除外するにして、リリフラメルは得意のアレを扱えない。リリベルには自分の身を守ることを第1優先にしてもらっているし、俺はリリベルを優先して守っているので、どうしても対応は1歩遅れる。
守りを担ってくれる頼りになる存在はエリスロースしかいないのだ。
「血だって蒸発する。さっさと反撃してくれ」
余裕そうにしているが強がりなのかもしれない。
今彼女が扱える血の量には限りがある。オークの谷でやってのけた大量の血があれば話は別だが、ここにはそのような便利なものはない。
エリスロースの願いに呼応したのはリリベルの『瞬雷』だ。
彼女の掌から発せられる雷が爆音と共に空に向かって落ちていき、アレを飛散させながらドラゴンに向かっていった。
視界を掻き消す雷光の中で辛うじて見えたドミノは、初めて体感する音の衝撃によって、受け身も取らずに前に倒れてしまった。
故に下手に移動することはできない。
「おや、当たった感触はあったのだけれどね」
雷が鳴り止むと同時に、降り注いでいたアレも一旦は止まっていた。
しかし、空には依然としてドラゴンが優雅に飛んでいた。
周囲にあった瓦礫は色を変えて黒ずみ、1度溶けてから固まっていた。
あと少しで目的地へ辿り着きそうだと言うのに、邪魔が入ることはもどかしい。
「いつもやっているように殺しなさいよ」
直接耳の中から声が聞こえてきた。
ラルルカが耳の中の影から俺に悪態をついているのだ。
俺とリリベルが死ぬのを今か今かと待ち望んでいる彼女は、常に俺たちを影から監視している。
余計に集中力が削がれる。
「世界を元に戻したいとか言ってるのに、地獄の王だかを殺そうとして、1度死んだ女を蘇らせようとしている最低の畜生以下の屑なんだから、本気を出せばあんなドラゴンと人間なんか訳ないでしょ」
いつの間にか夜衣の魔女そっくりになってしまった。
闇の中から人の心に語りかけて、暗い感情へ引きずり込もうとする手法は、あの魔女そっくりだ。
性格まで夜衣の魔女になって欲しくはないという俺の願いは、崩れかかっている。
「早く殺しなさいよ」
言われなくても殺すつもりだ。殺さなければリリベルが殺されてしまう。リリベルの子が死んでしまう。
既に魔力の準備はできている。
なぜ、彼等がこの地で戦いを起こしているのかは知らない。
むしろ知らずに済んで良かったのかもしれない。
彼等の行動に同情できる余地が生まれてしまえば、俺は彼等を倒すための具現化ができないかもしれない。
何も考えずに具現化を行おうとしたその時だった。
止められた。
リリベルでもエリスロースでもリリフラメルでもドミノでもラルルカでもない。
ドラゴンのアレを受けて周囲は無事ではなかったはずなのに、血の防壁の外側に誰かがいたのだ。
「駄目だよ。それは悲しい結末になってしまうから」
聞いたことのない声が聞こえたからといって具現化を止めるつもりはなかった。構わずに空の上のドラゴンに攻撃をするつもりだった。
それができなかったのは、頬に涙が伝ってからだった。
なぜか涙が止まらない。悲しくもないのに、なぜか涙が出てくるのだ。
同時にラルルカから舌打ちをされて再び悪態をつかれた。
「最っ悪……! なんでアタシまで……」
何が「アタシまで」なのかはすぐに予想がついた。
「奴がジュジジか。俺まで涙が止まらなくなった」
「お揃いだね」
「何がお揃いよ! さっさとどうにかしなさいよ!」
耳の外と中から声が聞こえてくると、気持ちが悪い。慣れない音の伝わり方は吐き気さえ催させた。もっとも、吐き気など散々経験してきて、この程度の吐き気なら慣れたものだから、いくらでも我慢はできる。
ジュジジの姿はその衣服からして掴みづらい。
顔は俯いている上に布で覆われて隠されている。身体も同じように布で包まれているから、その下がどのような種族であるかも判別できない。
といっても地獄の王のことだから、この世界の尺度で言い表せられるような姿をしていないのかもしれない。推測するだけ無駄なのだろう。
とにかくあの姿がジュジジであるということさえ分かれば、それで良い。
ドラゴンに向けて放つはずだった魔力を、ジュジジに切り替えて具現化を試す。
今度はすんなりと具現化が実現できた。
お得意の巨大な金属の塊を、地獄の王の頭上から落下させた。普段通りなら潰れてくれるはずだ。
「君が生み出した物は、とても悲しいよ」
ジュジジの言葉と共に具現化したはずの金属の塊は、元の魔力へと霧散してしまった。
俺の意志とは無関係なはずだ。想像を中断させたつもりなど一切なかったはずなのに、具現化した物体が消えてしまったのだ。
涙は止めどなく流れていて視界が歪んでしまうので、拭うという作業を余儀なく行わせた。




