正すべき襟
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「黄衣の魔女殿、差し出がましいことを申しますが、ヒューゴ殿に叱られはしませんかな」
クレ……クレ……ああ、そうそう。彼の名はクレオツァラだ。
老騎士の言う通り、もしヒューゴ君に黙ってここに戻ってきたことを知られたら彼は怒るだろうね。
この胎には今、私以外の血を通わせている生き物がいる。
これまでに子を成したことは何度もある。
ただ、1度たりとも産声をあげてこの世に現れることはなかったね。
何せ、赤子たちは不死の呪いを受けていないのだもの。私が死ねば、彼等はあっさりと死ぬ。当たり前だけれど彼等に2度目はないからね。
ヒューゴ君に話の途中でそれ以上話すことを拒否された話は多くあるけれど、その内の1つが赤子の話だった。
端的に言えば私が彼と出会う前。例えばオーフラという国の捕虜になっていた時のことを挙げると、毎日男たちの苛々の発散に付き合っているうちに、何人か身籠ったことがある。
さすがにお腹が少し膨らめば私だって気付いた。
私を痛めつける手法が増えたことに喜んだ男たちは何人かいたから、あの時の私は微笑ましく思いながら彼等の発散に付き合ってあげたかな。
特にヒューゴ君が嫌悪感を示した話は、生きながらに腹を裂かれて……。
「魔女殿……その話は私でもさすがにこたえますな……」
「そうなのかい? 私にとってはありきたりのことで、大した話ではないのだけれどね」
「魔女殿がその話をヒューゴ殿にしたからこそ、彼は貴方に絶対に安静にするよう伝えたのだと思えてならない」
「私の身と私の腹の中にいる命を気遣って、ということかな?」
正直に言うと、私自身が良く理解できていないのだ。
ヒューゴ君は好きだけれど、お腹の中にいる奴は別に好きではないからね。
いいや、好きではないという言い方は正しくはないかもね。
どういう感情で接したら良いのか分からないと言った方が正しいのかな。好きでもないけれど嫌いでもない。興味がないのだ。
今までに興味のあることにしか食指を伸ばさなかった弊害が、ここにきて表出してしまったみたい。
ヒューゴ君と共に何かを作り上げたことそのものには嬉しいという感情は勿論あるよ。
でも、その作り上げたものが赤子で、ヒューゴ君へ向けている愛情と同じものをその赤子にも向けられるかと問われたら、現状では無理だと思う。だって興味がないのだもの。
「少なくともヒューゴ殿は、貴方との間に子ができたことを喜んでいた。彼の妻であり、主人である貴方は彼の望みを無下にするべきではない」
「勿論さ。ヒューゴ君の妻で、主人であり、熱烈な求愛をされて、指輪も貰っちゃった私は彼の願いを聞き届けないといけない」
「ようやく思い直していただけたようで――」
「でも、彼が近くにいないことは彼の望みを越えて私が苦痛なんだ。主人の苦痛を取り除くのも騎士の役目でしょ?」
これは、わがままで面倒な女だと思っている目だね。失礼な人間だね。
本当のことを言えば、彼の望みを叶える気はあったよ。
ヒューゴ君が私にどうして欲しいかは、彼に直接言い聞かされたからね。
レムレットの元首都にやって来た理由は、彼の望みとは別にあるのさ。
「何より、売られた喧嘩を買わなきゃいけないからね」
この私に涙を流し続ける呪いをかけた地獄の王に、身の程を弁えてもらうために、私は来た。
「顔が真っ赤ですな」
「うるさいよ」
ジュジジとかいう王に不意打ちを受けて、私は涙を流し続けている。
私の感情に関係なく流れる涙は、非常に不愉快。
何より、こんな姿をヒューゴ君に見られるのが嫌だ。
だって、格好悪いにも程がある。
格好悪いところも含めて私の全てを彼に見て欲しいなんて思ったりしたこともあったけれど、これは別。
「くだらない呪いを私に振り撒いた地獄の王に、復讐しないと気が済まないのさ」
「愛よりも復讐を選ぶとは……」
「安心して。ヒューゴ君の望みも叶えてあげられるように、本気で戦うからさ」
クレオツァラは私の身を案じるヒューゴ君を案じて、私について来た。
ついて来ること自体は特に気にはかからなかった。別にいてもいなくても変わらないと思ったからね。彼の気が済むならそれで良いと思った。
だからここに来る前に、彼にはあらかじめ言っておいた言葉がある。
「もう1度尋ねるけれどさ。私とヒューゴ君それぞれの願いを叶えるために、君がもし命の危機に瀕しても助けない可能性がある。それは覚悟しているのだよね?」
「無論だ。私はない者として扱ってくれたらそれで良い」
「それなら良いよ」
彼に念押しはした。
私からできることはしたつもりだ。ヒューゴ君のために、人間の振りをする努力はした。
あとは魔女の矜持にかけて、地獄の王に落とし前をつけてあげるだけだね。
手始めに野盗の群れに雷を落とす。知っていそうな魔力がいないことを時間をかけてじっくりと感知してから、降り掛かりそうな火の粉を一気に振り払ったのさ。
『瞬雷』




