初めての観光と微睡む者
ある日。
私は今、ヒューゴ君と一緒にエストロワという国に来ている。
海に面した地を持つ国であり、海岸の砂浜が赤いことで有名だ。
「へえ、この赤は全て魔水晶が砕けたものだね」
魔水晶は自然に発生する魔力が石に宿り、水晶化したものを指す。
それらが長い年月を経て波風に当たることで砂になるまで砕けたのだろう。
砂浜は日の光に当たるときらきら輝いてとても美しい。
夜でもきっと見応えのある景色になるだろう。
素足で砂を蹴飛ばして風に乗った赤い砂が舞うと、砂がより輝きを増しこれも美しい。
ヒューゴ君も素足で赤い砂を踏みしめて、興味深そうに私が巻き上げた砂を見つめている。
「でもこれって詠唱したら全て発動してしまわないか?」
「するね。でも発動できるのは自分で触れている範囲ぐらいだし、細かい砂粒では大した威力にもならないよ」
「そうなのか」
一気に全てを発動できたとしたら、これだけの砂の量ならしばらくは火の海になりそうだけれどね。
「ちなみにこの砂を使って燃やしたら罰金だよ」
砂浜は時折2人組の兵士がぽつぽつと見回りを行っているのが確認できる。
この砂浜は国として管理されているようで、旅人がこの地を訪れるついでにお金をこの国に落とし込んでくれることを期待しているのだろう。
彼は手で赤い砂を掬い上げて感触を確かめている。
「でも、このような景色はしばらくしたら飽きそうだな」
彼が身も蓋もないことを言い出した。
「情緒がないな、ヒューゴ君」
「どぅ、え、え」
情緒がないと言われたヒューゴ君は、ショックを受けたのか砂を握りしめながらカクカクと首を鳥みたいに動かしてこちらを見つめていた。面白い。
私は砂浜に座り込んで、海を眺める。
赤い砂浜に迫っては戻る波は、赤い砂と混ざり合ってピンク色の波を表している。これもまた美しいと感じられる。
「リリベル、近くに人がいるのに、はしたないぞ」
ヒューゴ君は上着を私の足にかけてくれた。
そういえば人前で足を大っぴらにを見せるのは良くないことだったっけ。
私は魔女だからはしたないもクソもないと思うし、彼だって素足で砂浜を歩いている。
「君だってはしたないじゃないか」
「俺は男だから別に良い。リリベルが素足を他の奴に見られるのが嫌なんだ」
「あー、もしかして私の身体のせいで、他の男が色めき立つことを危惧しているのかい? それだけ私の足に魅力があると君は言っているのかい?」
彼の上着を少しだけ捲って足をチラ見せして誘惑してみせる。
ほれほれ。
「そのとおりだ」
「どぅ、え、おぅ」
彼は顔を逸らしはしたけれど、私のからかいにあっさりと肯定するので驚いてしまった。
ヒューゴ君が私に遠慮しなくなってから感情が一直線すぎて困る。
ちょっぴり気まずいので捲っていた上着をゆっくり戻してまた海の方へ視界を戻す。
鼻を突き抜ける潮風が、海辺にいるという実感を際立たせる。
一隻の帆船が水平線際を泳いでいる。もう少し、奥に行ったらそのまま視界から消えて落ちてしまいそうだ。
暑くもなく寒くもない今の気候は、海辺で考える時間をたくさん与えてくれる。
今日の夜は何を食べようかとか。
私の場合は深刻に考えるべき事柄が特になかったので、ご飯の当てぐらいしか頭の中に浮かべられるものがない。
間もなく考えごともなくなって、この場を立ち去っても良いと思うようになったが、それで彼に情緒がないと言われるのも癪だから、もうしばらく海をただ眺めることにした。
ピンク色の波の流れを静かに見守っていると、ふとひびのようなものが見えた。
波がひびのように見えただけだと、目を凝らして見るとそれは確かにひびで、波と私の間にある空間に発生していたのだ。
ひびは徐々に音を立てて広がり、私は既視感を覚えた。
そしてひびは一気に上下に引き裂かれるように広がり、開いた穴から人が出て来た。
「あらあ、リリベルちゃん」
桃衣の魔女、ローズセルト・アモルトが私の前にいきなり出現した。
一定の驚きもあったが、それよりも嫌悪感が強く出てくる。願わくば近寄らないでほしい。
「そんなに嫌な顔をしないでよお。あら、あなた裸足なのお? 興奮しちゃうわあ、触らせてよお」
ヒューゴ君の忠告は正しかった。
変な奴が色めき立ってしまった。
走って、脱ぎ捨てていたブーツを勢い任せに足に突っ込むと、海の方から残念そうな感情を入り混じらせた喘ぎ声が聞こえた。
彼女は腰まで伸びた桃色の髪を海風になびかせ、桃色と黄色が混じった派手なマントに、下着とヒールだけの出立ちで私に投げキッスを仕掛けてくる。
姿はともかく、今ここにいる登場人物の中ではこの赤い砂浜に1番似合っている色合いだ。
「それで、なんでローズセルトがこんな所にいるんだい」
「あなたのことを大好きな騎士ちゃんから、助けてって言われて来たのお」
騎士ってヒューゴ君のことで合っているよね。
なぜ、こいつが彼と知己なのかは分からない。いつの間に知り合ったのかと思ったら、黒いもやが頭の中にかかったような気分になった。
「ヒューゴ君、こいつといつの間に知り合いになったんだい?」
私の問いに彼は答えなかった。
それどころかローズセルトを物凄い剣幕で睨み付けている。
あんな邪悪な彼の表情を見るのは初めてだ。いいね、もっと睨み付けてあげて。
いや、どこかで見たような気がする。
『私を愛してよお』
ローズセルトが突如として聞き覚えのある魔法を唱えた。
それは自分を愛する者を無惨に砕け散らせる趣味の悪い魔法だ。
彼女の手は私の騎士へ向けている。
私が彼女に敵対する理由はそれだけで十分だ。
『瞬ら――』
後1文字が口にできれば彼女を殺されたところ、邪魔が入った。
私は後ろから何者かに口を塞がれてしまった。
しまった。
彼女の仲間がいたのか。迂闊だった。
私が塞がれた手に噛みついてやろうとした。
思い切り噛みついて喋れるようになったら後ろの奴もろとも殺してやる。
「リリベル、安心してくれ」
私の口を塞ぐ者は私の名を呼ぶ。
そして、その声には聞き覚えがある。
今目の前に私の騎士の声がなぜか後ろから聞こえるのだ。
ゆっくり後ろを振り向くと、そこにはヒューゴ君がいた。
さっきまで彼が居たところに目をやると、そちらにもヒューゴ君がいた。
ヒューゴ君が2人いた。
彼は私が混乱して困る顔を見るのが好きなのだろうか。
真に意地悪である。
「俺の後ろに隠れて」
混乱しつつも彼に言われた通り、これの背中に隠れる。
『おい』
彼の詠唱で一気に黒い霧が立ち込め、瞬く間に霧は鎧を形作り、彼は黒鎧を纏う。
その瞬間、何かが弾ける音が鳴り、水気のある物が無数に散らばる。
肉片だ。
鎧に何かが当たって軽い音をいくつも立てている。
音が無くなると、何が起きたのか確認のためにヒューゴ君の肩に乗りかかって、向こう側を確認する。
ローズセルトの右手がなくなり、さっきまで一緒にいたヒューゴ君の腕や顔には、おそらくローズセルトの骨の破片が突き刺さっている。
「ヒューゴ君!」
私は事態が未だに飲み込めておらず、彼を心配しに駆け寄ろうとするが、黒鎧の彼に止められる。
「今度は2人も邪魔が……」
怪我を負った彼が怒りの声色で震え始めた。
声は確かにヒューゴ君のものなのだが、雰囲気は明らかにいつもの彼ではない。
「くそ。くそくそ。くそくそくそ!! あああ! むかつくな!!」
「あなた、五月蝿いわねえ」
「黙れよ! アバズレ!! こんなクズ魔法で僕が! 俺が! 私が! 死ぬと思っているのか!?」
「あらあ、それはごめんなさいねえ」
『私を愛してよお』
ローズセルトが再び詠唱したので、すぐに私は顔を引っ込めて黒鎧のヒューゴ君の背中に隠れる。
「彼はヒューゴ君じゃないのかい!?」
「ああ、奴は俺じゃない。奴の正体は魔人、微睡む者だ。俺たちは今、リリベルの夢の中にいる」
再び爆発音が鳴り響くと共にヒューゴ君の悲鳴が聞こえる。
私は今度は鎧のヒューゴ君の腕から顔を覗かせて様子を見た。
偽者らしいヒューゴ君は腕や顔の肉が抉れている。彼に刺さったローズセルトの破片が、更に爆発を起こしたのだ。
正直、私は彼が心配でならない。
見た目も声も確かにヒューゴ君なのだから、偽者と言われてもどうしても心配になってしまう。
そもそも微睡む者という名にピンと来ない。
「どお? いたあい? まだ死なないでしょお?」
ローズセルトは殺す気がないのか、わざと痛めつけているように思える。
いや、彼女はいつも自分を愛した者を爆発させるはずなのに、彼女の近くには愛人が見当たらない。
おそらく彼女は自身の腕を使って、爆発を引き起こしているのだ。
それが彼を致命傷に至らせられない理由だろう。
「おあ! あああ! うお!!」
怪我をしたヒューゴ君は口が抉れて喋ることができない。
「魔法を詠唱できなければ、お前はこれ以上リリベルに夢は見せられない」
黒鎧のヒューゴ君が啖呵を切るが、未だに私は今起きている出来事の蚊帳の外で困っている。
そして彼は腰に差していた黒い剣を取り出し、もう1人の彼と相対する。
「助かった、ローズベルト」
「ああん、貴方のこと好きになっちゃあう」
「おおあ!」
その場でのたうち回り続けるヒューゴ君に黒鎧の彼は剣を突き刺した。
その剣筋は芯があり、無闇矢鱈に振り回したりなんかしない、とても綺麗な動きだった。
ヒューゴ君らしき彼は、刺されたと同時に身体が崩れ始め、そして周りの景色が引き伸ばされたように歪み始める。
結局何が起きているのか分からないまま、目蓋を閉じると共に世界は暗闇になり、私は突然に眠ってしまった。