第2章 第8節
次に鏡に映ったのもラルルカだった。
彼女はリリフラメルと行動を共にしていた。
どう考えても馬が合いそうにない2人は、予想していた通り口喧嘩が絶えなかった。それでも攻撃を行わないのは、現状の優先すべきことを2人が理解してくれているからだろう。
未だに空から降り注ぐ地獄の塔の破片や魂たちを、リリフラメルが熱風の勢いを利用して跳ね除け、その間にラルルカが瓦礫に埋まった街人たちを影の中に取り込んでいった。
生死の判断ができないラルルカは、誰彼構わずに街人を影の中に入れている。恐らくこの後で、正しく生死の判断ができるオルラヤにすべて診てもらうのだろう。
『魔女ですらない女がアタシの近くにいるなんて、目障りにも程があるわ……』
『良いから黙ってさっさと皆を助けてろっての』
『はあ? うざっ』
『ああ? 腹が立つな』
険悪にも程がある。
だが、非常に口汚く罵り合っているというのに、2人の息はぴったりだ。
破片がラルルカや街人たちに決して降り注くことがないように、リリフラメルは火を吹いている。
リリフラメル本人が自らに降り注ぐ危険にまるで関知していなかったので、代わりにラルルカが影を伸ばして、さり気なくリリフラメルを守っていた。
互いが互いに傷を受けないようにしている様子が奇妙で面白かった。
「見てみろ。罵り合いながらもお互いの使命のために、互いを守ろうとするこの奇妙な様子を。お前はこの面白い場面を見る機会を潰そうとしたのだぞ。脚本家の風上にも置けないな」
青筋が立っているという表情を初めて見たかもしれない。
カルメは眉をひくつかせながら、怒りを表現している。
正にぶち切れている。
「こ、こんな場面を見せて、わ、笑いを誘うとでも? す、全てが陳腐と化すだろうに」
怒りのあまり歯が震えてかちかちと鳴り合っている。紡ぎ出される言葉すら、どもっているかのようだ。
カルメは怒りで身体全体を震わせている。
「何だ。物語を深刻な雰囲気で進めていきつつも、その雰囲気を崩さないように小さな笑いどころを作る手腕もないのか?」
「ぐっくくく、ぶっふふ」
奴は憤死してしまいそうな勢いすらありそうだ。怒りすぎて笑いが出ている。
多分、ここが奴を攻撃する絶好の機会かもしれない。
あらかじめ息を大きく吸い込んでおき、奴の次の言葉に対する準備をしておく。
「あるに決まっているから。ただ、今回の悲劇はそこに主点を置かない。あくまで徹底的な悲劇の連続を――」
「だったらどこからがお前の描いた物語の始まりなんだ!! お前がこの世界を物語の舞台にしようと考えるより前に、この世界はあったんだぞ!!」
「は……」
間髪は入れない。
最近の若者はと嘆く老人の若者評を自らに憑依させて、逆切れを行う。
支離滅裂な言葉でも良い。
ただ嘘だけを吐かずに言葉を連ねていく。
「俺と俺の主人でさえ、陳腐で他愛もない出来事は何度だってあった!! 他人から見れば、いや、俺たちが後から見たって下らなくて下らなくて糞みたいな話はあった!!」
「それでも、それは俺たちにとっては喜劇のように笑える楽しい思い出だった! お前が創りたい悲劇にはとてもじゃねえが似合わねえ!!」
「お前が俺と彼女をこの物語から排除するって言うなら、百歩譲ってそれは無視してやる!!」
「だが!! 他の奴等はどうだ!? この世界中で生きている、生きてきた者たちだれもが、1度だって小さな笑いどころがなかったと思うか!?」
「それこそ小さな笑いどころを作った瞬間に死んだ奴等は、悲しくて泣きたくなる程悲劇的かよ!? どうやって観客はそれで同情する!!」
「この世界を完全な悲劇の舞台にしようとしたって、最初から無理なんだよ!」
「幸せの後にどん底へ突き落とすことが、悲劇を際立たせる? 徹底的な悲劇の連続? 鏡を見てみろ!! 笑える場面がまだあるだろうが!」
「これは全っ然、悲劇なんかじゃねえんだよ!」
絶対にカルメは反撃を行う。
脚本家を名乗るなら言葉で負けてはならないという矜持ぐらい、奴にだって持ち合わせていることは分かっている。
それでも負ける気はしない。
「君は観客でもない。素人の感想なぞそもそも批評にすら値しない! 私が悲劇と言えば観客は皆悲劇として受け取る!」
「なぜ俺がお前の舞台の観客ではないと言い切ることができる!?」
「舞台から降りた大根役者だから。魔女の騎士は観客ですらない!」
「役者が観客になってはいけない理由はないだろうが!! 見ろ!! 鏡がここにある! お前が創り上げた物語を、鏡を通して俺は見ている!!!」
「今! この時点でも!! 俺は観客だ!!! そして、お前自身も観客の1人だ!」
「この舞台の観客として、俺の感想とお前の感想をもう1度言うぞ!!」
「この舞台は笑いどころがある!! 完全な悲劇なんかない!!」
望まぬ展開になったとはいえ、ラルルカとリリフラメルのやり取りを見たカルメは笑いどころのある場面だと言ってしまった。
その時点で奴の作りたかった舞台は、失敗したも同然だと認めているようなものだ。
きっと奴は都合の悪い場面を切り取るべく、この後にカルメとリリフラメルに対してもこの世界から排除するつもりだったろう。何ごともなかったかのように、見て欲しい場面だけを悲劇として残していくのだろう。
だが今、正に修正前の物語を、観客の1人が鏡越しに見て感想を述べてしまっている。
紛れもなくここも舞台の一部だと俺は認識できている。
完全な悲劇を謳う奴の作品を俺は違うと感想を述べて、その一部を奴自身も肯定してしまっているのだ。
「この世界は、お前の思い描く通りの物語を歩んでなんかいない!!」
カルメは「君に向けて作った作品ではない」と返すこともできない。
カルメ本人が世界が終わるまで、俺にここで過ごすように言ったのだから。
他のだれでもなく奴自身が、奴が作ろうとした物語を見ていろと俺に言ったのだから。




