第2章 第1節
思わず唸ってしまった。すごく気恥ずかしかった。
でも、おかげでやけくそになることができた。
多分、彼女はここにいる俺では無く、鏡の向こうで目を閉じている俺に言っているのだろう。
彼女の言葉がこの状況に即した意味では無いことは分かっていた。
それでも良かった。
幾ら肉体的に成長したって、後ろめたいことに対してどこまでも悩む性格は変えられない。俺は、後悔すると心の中でうじうじと悩んで、思考が揺らいでしまう男なのだ。
これもまた個性なのだ。
それでも良いと言ってくれる魔女がいた。
「そうだな。俺は悪だ」
「化けの皮が剥がれたな。俺の言葉を認めたな」
「だが、ぐうの音はまだ出せないな」
そんな魔女のために、俺は幾らでもこの身を捧げてやるつもりだった。随分と前から誓っていたことだ。
「随分と居直ったものだ」
「そうさ。何と言ったって、ヴェッカにはまだ反論の余地があるからな」
「屁理屈か?」
自然と口元が綻んでいて、心のどこかに余裕が生まれていた。
「まず、俺は自らを悪だと考えている悪だ。自らを悪だと考えていない悪だと言ったヴェッカの言葉は違うな」
「ますます捨て置けぬ存在になったな」
「確かに俺は、悪だと考えている者を果てしなく憎んでやる程、嫌いだ。嫌いだから、その道に踏み込みたくないという思いをずっと胸の内に秘めて生きてきた」
「だが、たった1つ例外がある」
「この女か?」
「そうだ」
「俺は1人の女性のために、俺の全てを捧げる意志も心の中に同居させている。叶うならば、虐げられる者と愛する者を同時に守りたいさ」
「でも、残念ながら俺は弱いんだ」
ラズバム国王は死んでしまった。
あの後がどうなったかを知りたくて、鏡に語りかけた。椅子に座っている鏡では無く、机の上にある鏡だ。
「しかし、仲間がいる」
再び、王の広間の様子が鏡に映し出された。
本当はヴェッカに鏡の中の様子を正しい意味で見て欲しかった。
だが、彼は『仲間がいる』という俺の言葉の真偽を確認するためだけに、鏡の中の様子を覗いているだけだった。
カネリはオルクハイム王子を取り押さえていて、ランドやルース、リゲルはそのオルクハイム王子を守るように国王を崇拝する者の怒りから彼を守っていた。
良かった。
国王は死んでしまった。その事実は変わらない。
だがそれでも、それ以上の血は流れていない。
まだ、大丈夫だ。
「お前個人の望みと対象の利益を優先させる望みとの間で矛盾が発生しているぞ」
鏡の中の様子がまたすぐに切り替わった。
紅一点では白一点の如く白衣の魔女オルラヤがいて、クロウモリに片手で抱えられていた。
そして、クロウモリが瓦礫の町から街人たちを取り出し、オルラヤの魔法によって瞬く間に彼等は傷を癒やされていった。
良かった。
彼女の魔法をもってしても、ピクリとも動き出してくれない者たちはいた。その事実は変わらない。
だがそれでも、死にかけの者たちの命を繋いでくれた。
まだ、何とか大丈夫だ。
「それはそうだ。矛盾ぐらい起きるさ」
「俺は人間だ。心を持った人間だ」
「いくつもの望みを叶えようと、悩み後悔し、喜び、怒る人間だ」
瞬く間に鏡の中の様子が変化する。
『ヴィルリィ殿、平気ですかな』
『……大丈夫。月の魔力に当てられただけだから、もう平気』
『とにかくこちらの衣服を。裸のままでは居心地も悪いでしょう』
クレオツァラが、ヴィリーに城内にあった衣服を差し出して介抱している様子が浮かんだ。
ヴィリーは普段とは違う特徴が身体にできあがっていた。
頭に耳があった。
頭に耳があるのは普通だろうが、それは人間の顔の横側にあるべき耳のことを言っているのでは無く、半獣人のような頭の上側にある耳のことを言っているのだ。
2人がいた場所も見覚えのある場所で、それで俺の仮定が正しいことが証明された。
良かった。
ヴィリーはやはりライカンだった。
彼の命を奪わずに済んで良かった。
「何度も過ちを犯して、救いたかった者を救うことができなかった悪人だ」
「だが同時に、それでも救いたいと願う善人だ。自分で自分のことを善人と言うのは気が引けるが……」
「俺自身は救っていないかもしれないが、それでも仲間が俺を救ってくれた。仲間が、俺が救いたいと思う者たちを救ってくれた」
ヴェッカはそれでも俺を否定するだろう。彼が俺の言葉を絶対に理解してくれることは無い。俺と地獄の王は絶対に分かり合うことは無い。
「他力頼みは罪では無いか?」
それでも良いのだ。
「ヴェッカの視点から言えば、それも罪なのかもな。いいや、俺もそれは罪だと思う」
「だから、ヴェッカ。広く考えてみたら、俺もお前も、お前の神も、同じなのかもしれないな」




