第1章 第2節
「ヴェッカ、単純な質問だがあんたはこれまでに悪事を働いたことは無いのか?」
ヴェッカへの回答を行うと共に、今度は彼に対して質問を行った。俺にとって有利な会話に持っていくために、地獄に関連した話題を自然に持っていく。
これまでに出会った地獄の王の、理不尽で自己中心的な行いを責めながら、地獄の王という存在に対する不完全な部分を指摘しようとした。
上手くいってくれれば良い。
「無い。俺は地獄の王の責務を全うするために、魂の善悪を判断し続けている」
「そうか。時に、地獄の王は現世に干渉してはならないという規範があると、ヤヴネレフから聞いたことがあるが、それは正しいのか?」
「正しい。過ぎたるはなお及ばざるがごとし。俺たちの力は強大であり、簡単に現世に影響を与える。故に干渉してはならない」
「それならば、曲がりなりにも現世で生きている俺に干渉しようとしているこの状況は、地獄の王の規範に反しているのでは無いか?」
これまでに出会った地獄の王の中で、ヤヴネレフは最も契約と規範を遵守していたように窺えた。
ゼデやアアイアに反感を買いながらも、徹底的に彼等に規範を守らせようとした態度からして、彼女から放たれた規範に関する言葉は、地獄の秩序を守るための規範として間違い無い。
ヴェッカ本人も「地獄の王は現世に干渉してはならない」という規範を正しいと口にしたのなら、この状況は矛盾しているはずだ。
「例外はある」
「例外があろうと規範は遵守すべきものなのでは無いか?」
「地獄という世界が現世と混ざり合い、世界そのものの存亡が危ぶまれんとしている」
ヴェッカの見た目が鏡で構成されていることが、彼の心を読み取ることを困難にさせた。俺の言葉に焦っているのか、怒っているのか、それとも余裕を持っているのか、表情の変化等起き得ない無生物では判断がつかない。
鏡から聞こえてくる言葉自体も抑揚に乏しく、感情が分からないことも手伝って、生き物と会話をしている気分にまるでならない。
彼の元の姿で話せればと思ったが、彼の本来の姿が天秤であることを思い出して、無意味な想像だったと後悔する。
「『悪事を働いた者をなるべく早く捕まえて監獄に閉じ込めようとするのは、それ以上悪事を働かないようにさせるためだ』、先程お前自身が放った言葉だ」
「仮に地獄を元に戻したとしても、地獄を顕現させた犯人であるお前が魂を持って生きている限り、再び地獄を生み出す可能性はゼロでは無い」
「だから、例外を設ける必要があるのだ。これは支配者としての責務だ」
鏡に赤い月が映し出された。
赤い月はばらばらに砕け散っていて、それぞれの破片がこの地に降り注ごうとしていた。
だが、月の破片全てが、しつこく細かく砕かれたかのように霧散すると、間も無く地獄の世界の建物が空に向かって伸び始めた。
それは、俺が地獄をこの世界に顕現させたことの事実を映し出していた。
「あまりに都合の良い責務では無いか? アアイアやゼデの行ったことは地獄を崩壊させることには繋がらなかったと?」
「アアイアは地獄内で暴れただけの話。ゼデは魂を現世の者に奪われただけの話」
「2つの世界を破壊と混沌に導いたお前には遠く及ばない」
ごもっともな話だ。
だが、口でごもっともとは言ってはいけない。言ったらそれで終わりだ。
「そもそも、その規範とやらがどうして正しいと言えるのか。言い替えればアンタはただの地獄の王だ」
「俺たち地獄の王の存在そのものを、だれが良しと判断するかという問いか?」
「そうだ。なぜ地獄の王が決めたことが正しいと言える?」
「神だ。神から生まれし俺たちは、神の権能を分け与えられている」
「神から力を貰っているから、自分たちの行いはいつだって正しいと?」
「そうだ」
鏡に現れたのは、白装束に身を包み、光る玉を取り付けた酷く眩しい男だった。
マルム教の信者たちが信じる神、マルムの姿だった。
「神だって間違いを起こす。俺が出会った神はそうだった」
「現世の神の話か。それは俺たちから生まれた神とは違う半端な神だ。同列に語るべきでは無い」
「そうなのか? 神にも序列があるのか?」
「信じられてきた者たちも異なれば、生まれる故も違う。正しい由緒に無い神も存在する」
初めて知る情報だった。
神にも色々といるのだな。




