第1章 第1節
今まで疑問に思っていたことが1つ解消できたところで、1人満足しかけていたが、すぐに我に返る。
現状は何1つ好転していないので、次はこの馬鹿げた言い合いについて、ヴェッカに尋ねようと考えた。地獄の王が魔女1人に良いようにされているのが不可解だったからだ。
地獄の王と言えば複数の魂を持っていて、監獄から脱獄した者が王たちに危害を加えようとも簡単には死なないようになっているはずだ。
あの鏡の中に彼の全ての魂が封じ込められていて、それら全てが消滅の危機に晒されているというのなら話は別だが、果たして地獄の王が下手を打つ状態になるだろうか。
「ヴェッカの魂は全てその鏡に封じられているのか? そうでないなら、なぜ魔女の茶番に従うのか」
「今、ここに存在する魂は俺1つのみだ。だが、魂1つでも失われて良いものでは無い。あくまでこれは神から借り受けているものであり、極めて肝要な存在だ」
また神か。
「そして、お前は1つ勘違いをしている」
「何だって?」
「俺は望んでこの椅子に座っている。全ては、ヒューゴ。お前に魂の清算を行わせるためだ。お前は罪を自覚しているのか?」
しまった。
自然と話題を、俺が地獄を顕現させたことに流れさせてしまった。
相手を言い負かすことが舌戦の終了を示す要因となるなら、恐らくだが相手が放った言葉に対して、必ず回答を行わなければならない。
例え全く興味の無い話題だったとしても、突拍子の無い話に切り替えられたとしても、話してくれた相手に応えないと、沈黙と取られる可能性がある。下手をすれば、しどろもどろになっただけで、言い負かされたと判断される可能性だってある。
会話の主導権を握るためには、相手の言葉を上手く躱しながら、此方が優位に立てる話題を展開し続けねばならない。
正直なことを言ってしまうと、ただ戦うだけよりもマシかもしれない。想像して、言葉を紡ぎ出して、相手を説得することの方がよっぽど俺の性分に合っている。
「確かに地獄を最終的に顕現させたのは俺だ。それは間違いない。犯した過ちに対する自覚だってある。だが、その罪は今すぐ断罪されなければならないものなのか?」
「お前たちの世界では、命を奪った者は即座に断罪されないのか? 過ちを正すための機会に、猶予を設けるのか? 何のためにだ?」
「悪事を働いた者をなるべく早く捕まえて監獄に閉じ込めようとするのは、それ以上悪事を働かないようにさせるためだ。そして、それはあくまで秩序を守ろうとする支配者の都合だ」
なぜか鏡にノイ・ツ・タットの元公王モドレオの姿が映った。
小さな彼は鏡の中で、見た目で分かる高貴そうな人物を、鋭利な刃物で何度も刺し貫いていた。至極楽しそうな表情を浮かべて。
彼が行ったことに対して、償いの日が訪れることは無いだろう。
ノイ・ツ・タットの現王でありモドレオの兄であるアルマイオが、弟に償いをさせることを拒んでいるからだ。彼は、己の正義を疑わない。それが決してどんなに歪んだ正義だとしても、弟を守るために彼は疑うことをしない。
「同じように、刑罰の実行だって支配者の都合で行われる。裁判官や王様が個人的な感情を乗せて、悪事を働いた者をすぐ殺すか殺さないかを決めているだけだ。気分で断罪する相手の順番もその機会も変わる」
「それは人間という種族において行われる類の話か?」
「ああ、そう――」
言い切ろうとした言葉を慌てて空気と一緒に飲み込む。
「ああ、そうだ」と言ってはいけないような気がした。
俺が知っている罪を償う方法は、これまでの人生経験に基づいて語っているだけだ。その他の現実を知らない。
例え知識が無くて、嘘をつくつもりが無かったとしても、結果として間違ったことを相手に伝えてしまったのなら、それは嘘だと判断されかねない。
人間という種族だけが、支配者の気分で物事を決めているという言い方も、人間全てがそのような極端な考え方をしているという言い方も、この場では適さないと直感した。
「いいや、決して人間だけに限定された話では無い。それに全ての人間が気分で物事を決めている訳では無い」
「ただ、俺のこれまでの人生において、最も強い権力を有する者が、己の都合で罪に対するあれこれを決めることが多いという印象を受けてきたという話だ」
あくまで個人の主観で感じたと前置きをして伝えた。それなら嘘にはならないと思った。




