序章 第3節
「だから公正な視点を持った第三者が提供する道具を使用しないとね」
カルメが指差したのは、机に嵌め込まれた鏡だった。
「この鏡の本来の能力は、誰かが主張をする度に、その主張のもとになった過去の場面を映し出すことができるのさ。優れた物ってことだよね」
では先程の2人は今死んだのでは無く、過去の場面から抜き出されたものなのか。彼女に問いたかったが、下手な行動に出て彼女の気狂いに触れ、新たな死者が生まれることが怖くて、とてもでは無いが聞けない。
「この鏡で互いに話したことが真実か嘘かを確認し合う」
「気を付けて、この鏡に映し出された後で、その場面に関連することで嘘を吐いたら、鏡の力によって嘘吐きは魂を殺されてしまうから。そうだったよね、ヴェッカ?」
対面に座る人型の鏡は無言で頷いた。
どうやらこの鏡は、カルメの所有物では無くヴェッカの物であるようだ。
「地獄では、己が罪の自己正当性を主張する哀れ者がごまんと存在する。生者で犯した罪を自らに向き合わせるために、俺が作った」
何となく合点はいった。
話を聞くだけでもこの鏡はとんでもない代物だ。
だから、いくら力のある魔女と言えども、そのような大層な物を作り上げることができるのかと疑問に思っていたが、異形の世界を管轄する地獄の王が作った物というのであれば、納得する。
では、なぜ地獄の王が作った物を、さも自分の物のようにカルメが使っているのか。人智を超えた、想像上の神に近しい現象を引き起こす地獄の王が、たった1人の魔女に良いようにされるものだろうか。
恐らく、俺のせいなのだろう。
俺が地獄をこの世に呼び出してしまったことで、地獄の王たちに甚大な不利益を生んでしまったのだろう。その不利益によって魔女がつけ入る隙を与えてしまった。そんなところだろうか。
まさか地獄を顕現させてからすぐに、その影響を受ける羽目になるとは思わなかった。やはり、休まずに地獄を元に戻すべく行動し続ける必要があったのだと後悔する。
「負ければ即座に魂は消滅する。消滅するっていうことは、死ぬっていうことだよね」
「だから当然、嘘を吐く代替手段として都合の悪いことに沈黙を貫く行為も、負けっていうことだよね」
「何? 簡単でしょう。嘘を吐かずに相手を言い負かすだけで良いのだから、圧倒的な武力なんていらない。言葉を考える時間もたっぷりある」
そこで、カルメから「質問は?」と問い掛けられた。質問なんか死ぬ程あるに決まっている。
「この茶番をやって俺に何の利がある? 地獄の王には、俺を罰することができるという僅かな利があることは分かるが、俺に利はあるのか? そして、もっと言うならお前に何の利がある」
「この話を無事に終わらせれば、生き延びることができる。生き続けられるっていうことは、利があるっていうことだよね?」
それは利とは言わない。クソ魔女。
「私に利は大いにあるよ。私の創作がより美しくなる」
突然、カルメが生き生きと身振り手振りを加え始めながら、喋り始めた。
だから、ここから話すことが、この魔女の本質で最も重要視されるものだと察することができた。
「私にとってこの世界は、舞台さ。無数の人形がそれぞれの物語を紡いで、大きな物語を成している」
「私は、人形たちの物語に脚色をしてあげて、時には情熱的に! 時には悲劇的に! この舞台に彩りを与えてあげているのさ」
駄目だ、もう既にこの魔女の頭の中を理解できない。
「ヒューゴ。君は、私の脚本ではただの端役だよ。主人公になるべき人形じゃない。でも、今の君はこの物語の主役になりかけている」
「それは駄目だ。駄目なんだよ。君には華が無い。華が無いっていうことは、物語に彩りを与えられないっていうことだよね?」
「もっとこう、ずばーんと来て、ドーンっていう展開になって。ああ、ああ、何て美しい物語だったのだろうと、観客全員が立ち、割れんばかりの拍手で締め括られるような、この世界に長く語り続けられるような……ああ、ああ……」
興奮しすぎて、言葉が出なくなってきたカルメは、自らを落ち着かせるために深呼吸を行い始めた。
彼女の動作や思考全てが狂っている。この世界はお前のための舞台では無いし、俺やこの世界に生きる生物は命の無い人形なんかでは決して無い。
だが、彼女にとっては些細なことなのだろう。
彼女の頭の中にだけある美しい物語とやらのために、世界中の誰もが迷惑を被っている。命すら落とす羽目になっている。
純粋で残虐で、久々に他者に対して圧倒的な嫌悪感を覚えた。
「ふう……君は、私の人形をいくつも壊したし、劇を破壊する即興が多い。この舞台に相応しい人形では無い」
「最初からヴェッカの味方っていう訳かよ」
「それは違う。彼は悲劇の地獄の王だ。均衡を守ってきた地獄の世界を君に崩されて、守るべき世界を取り戻すために奔走している。でも、私の脚本には、再び地獄が元に戻る話は無い。無いっていうことは、地獄を元に戻そうとする彼の存在は、邪魔だっていうことだよね?」
邪悪だ。
「安心して。私は脚本家さ。脚本家が自ら作った世界に登場するなんて、興醒めになるようなことはしない。あくまで、君たちの正々堂々の戦いによって、片方は悲しく敗れ、片方は虚しく勝つというだけだから!」
彼女は邪悪すぎる。




