序章 第1節
気付くと暗闇の中にいた。
正確には、暗闇の中に上から照らされた明かりが1つだけあって、その下に木材で組まれた簡素な椅子が2脚と机が1脚あった。それ以外は暗闇だった。
俺はその椅子の1脚に座っていた。
周囲を見回してみるが、四方八方が暗闇に包まれていて、向こう側の様子が窺えない。先に何かあるのか壁で囲まれているのかも分からなかった。それ程、辺りは真っ暗だった。
てっきりラルルカの影に飲み込まれていたのかと思って、彼女に語りかけてみるが反応はいつまで経っても返ってこない。
良く考えてみれば、彼女の影に取り込まれた時の感覚は、地に足がつかない水中にいるような感覚があるが、今いるこの場所はしっかりと足を踏み締められる闇があった。恐らく、ラルルカの仕業では無い。
机の上には1枚の鏡が置いてあった。机に嵌め込まれた鏡で、円を形どっている。
鏡を覗いてみるが、不思議なことに鏡は俺の姿を映さなかった。頭上の謎の明かりを反射している訳でも無く、暗闇だけを映していた。
直前の記憶を呼び起こす。
確か紫衣の魔女を倒した後、カネリたちの言葉に無理矢理乗せられて、まだ形が残っていた家に移動してリリベルと2人きりで休んでいたはずだった。
そこまでは覚えていた。
しかし、それからこの場所に至るまでの記憶が無い。
「おい」
突然の呼び掛けに身体が跳ね上がる。
見れば、もう1脚の椅子に誰かが座っていた。
人では無い。かといってオークやエルフでも無ければ亡者でも無かった。
鏡だ。
人の形をした鏡がそこに座っていたのだ。
ただ、幸いと言うべきか知らぬ存在では無かった。知識として残っていて良かったが、それは鏡の中に住まう者という存在で間違い無い。
鏡の向こう側にある世界の住人であり、鏡の外にいる生きた者と入れ替わることで、自らの存在を確立させる種族だ。
しかしそれなら、俺は鏡と目を合わせてしまって鏡の中の世界に取り込まれたということなのだろうか。
いつ鏡を見たのかと考え直していると、鏡から横槍が入った。
「地獄4層の王、ヴェッカ」
「…………は?」
思考が一気に吹っ飛ぶ。
「手短かにいこう。俺は地獄の王、ヴェッカだ」
鏡が地獄の王を名乗る。何かの冗談かと思ったが、鏡は至って真面目に話を続けた。
「現世に地獄を呼び、双方の世界を破壊した罪により、お前に魂の清算を行ってもらう」
「い、いや待て! アレはデフテロの仕業だ!」
「デフテロは地獄を呼び出してはいない。地獄を呼び出したのは、お前だ」
確かに彼の言う通りだ。地獄をこの世に顕現させたのは、他の誰でも無い俺だ。
だが、そもそもの原因を作った者はデフテロだ。
デフテロの策略によって、どう足掻いても地獄を顕現させるしかない状況に追い込まれたというのに、いきなり地獄の王に責任を取れと詰め寄られても困る。
「まあまあ。落ち着いて、ヴェッカ。いきなりのことで彼も動揺している。この状況を説明して飲み込ませてやらないとっとっとっ」
女の声がどこからとも無く聞こえてきた。
声の主を見つけようと見回してみたがそれらしき者が見当たらない。
すると突然、耳元で「ここだよ」と囁かれて、また身体が跳ね起きる。
向きを変えてその女の姿を捉える。
黒と灰色が入り混じった、お世辞にも綺麗とは言えない髪色を除けば、それ以外は特徴が見られない。顔や体型、服装すらも特に目立つものは無く、「普通」という言葉を表すのならこれ程相応しい姿をした者はいなかった。
「私と会うのは初めてかもしれないけれど、これで何度目の出会いだろうね?」
「は?」
「舞台に作者が口を挟むのは美しくないけれど、仕方ないよね」
「何を言って――」
「私も自己紹介をしよう」
「カルメ・イシュタイン」
その名前を聞いた瞬間に身体は勝手に動いていた。
言葉にならない怒声を吐きながら、具現化した剣でカルメを斬り殺そうとした。
だが、身体はぴくりとも動かせなかった。
彼女は満面の笑みで『支配者の糸』に繋げられた指を広げて、手を振ってきた。その糸は俺の身体に繋がっていて、彼女の意思によって乗っ取られた身体は動くことを禁止されていた。
「カルメ!!」
俺の怒りなぞ全く無視してカルメは話を続け始めた。
「君は、確かヒューゴだったね。よろしく」
「お前! なぜこんな所にいる! 一体これは――」
「さあ、自己紹介は終わったね。自己紹介が終わったということは、ルールを説明する必要があるっていうことだよね」
悪辣な魔女の一方的な言葉が、俺と地獄の王にただ浴びせられた。
「ヴェッカ、ヒューゴ。これから君たちには言葉で殺し合いをしてもらうからね」




