初めての狂気
ある日。
「セシルは良い奴だから友達になって損はないよ。ローズセルトは無視して」
魔女聖堂を後にして、私は改めてヒューゴ君に、2人の魔女を紹介した。
碧衣の魔女、セシル・ヴェルマランと桃衣の魔女、ローズセルト・アモルトだ。
彼女たちの許可を経て、魔女狩りという目的を達成するまでの間は、名前で呼び合うこととなった。
それぞれの魔女には何人かの付き人がいる。魔女と同じ色のマントを着ており、そこで誰の付き人か判断できる。
セシルには魔女見習いの弟子が、ローズセルトには人間かゴブリンか何らかの動物かが後ろに控えている。
「よ、よろしくお願いします」
彼はいきなり魔女に囲まれて、魔女への畏怖が増大したのか私を盾にしている。
主人を堂々と前に立たせるなんて騎士の風上にも置けないね、君は。面白いから良いけれどさ。
セシルは青緑色のフード付きマントを被ったまま、ジグザグに縫い付けられた目蓋を時折もぞもぞと動かしている。
ヒューゴ君の挨拶に反応してセシルは手を差し出し、彼もその手に合わせた。ようは握手した。
「こんな見た目でごめんなさい……」
「いえいえ」
「セシルは魔女の中でも1、2を争うほど生ける者を殺した魔女だよ」
「えっ!?」
ヒューゴ君は、私の解説を聞くと同時に、セシルから手を引く。
セシルは1つ瞬きをすると1人の人物が問答無用で命を落とす。故に彼女は目蓋を縫い付け、瞬きが起きないようにしている。
「今はそんなに殺さないので安心してください……」
「そ、そんなになのですね」
引き攣った顔をした彼が面白い。
「リリベルちゃん、私も紹介してよお」
うわ、変態だ。
不本意だけれど紹介しないと話が進まないので適当に紹介しておこう。
「これはローズセルト。桃衣の魔女。握手しなくていいよ」
「それだけえ?」
ローズセルトが寂しそうに私の髪をくるくると指で回して遊び始めた。
私は彼女の手を払い、不本意だけれど追加の紹介をする。
「魔女会前の会話で分かったかもしれないけれど、これは魔女の中でも1、2を争うほど……いや、争わないね。魔女の中で1番生ける者と性を謳歌している魔女だ」
「私に興味があったらいつでも言ってねえ? 気持ちよくしてあげるわあ」
ヒューゴ君はこれまた引き攣った顔をしている。この変態の場合は仕方ないと思い、彼に同情する。
「あ、これと肌を重ねようなんて気は起こさないでくれよ。スッキリしたいなら私がいつでも相手になるからね?」
「お前もお前で何を言っているんだ」
切実な忠告だというのに、彼は私がふざけていると思っているようだ。
「なんだかずっと辛気臭い所にいたから、美しい景色が見たくなってきたわあ。ちょっと失礼するわあ」
ああ、ローズセルトのいつもの迷惑行為が始まる。
ローズセルトが後ろにいた自分の付き人の1人、鹿に手をかざして詠唱を始めた。
『私を愛してよお』
セシルはすぐにマントを広げて私とヒューゴ君の前に立ちはだかった。
その瞬間、セシルの向こう側、ローズセルトのいる方向から軽やかに弾ける音が鳴り、無数の肉片と血が飛び散って来る。
セシルがマントを広げたおかげで私たちに血や肉片があまり付着することはなかったが、セシルの背中はおそらく血と肉片で真っ赤だろう。
ローズセルトと最も関わりたくない理由がこれである。
彼女は『魔女の呪い』によって、相手が誰であろうと、彼女を見た者に彼女は世界で1番美しいと錯覚させる。
そして彼女は完全に自分の虜になった者に、破裂する魔力石を埋め込み爆発させる。
なぜかと聞かれても分からない。彼女はそれが趣味なのだ。
世界で1番彼女を愛してしまった者は、彼女が最も愛する一瞬の輝きを披露してくれる肉の花火と化す。
もちろん肉の花火を武器にして戦うこともある。
戦う時でも自分の眼前に広がる景色は美しくありたいという彼女の無邪気な願いから、肉の花火を積極的に武器として活用しようとする。
彼女は色欲に狂い、芸術に狂った化け物だ。
だからヒューゴ君には何がなんでも彼女と肌を重ねて欲しくない。
もし彼女を愛してしまったら、彼は彼女の欲を満たすための一瞬を輝く芸術品となってしまう。
「ヒューゴ君、魔女は自分の欲望に忠実な奴が多いと言ったでしょう? これが彼女の欲望だ。だから、どうか彼女を愛さないでくれよ」
「リリベルの騎士……私も同じ意見だわ……」
セシルがマントを下ろすと、セシルの弟子が2人、破裂した鹿の角や歯や骨に貫通されて呆気なく死んでいるのが分かった。
セシルは死んでいる弟子を見るや否や、すぐに魔法で土を削り始めた。墓穴を作っているようだ。
鹿の1番近くにいたローズセルトや彼女の付き人は、鹿の中にあったあらゆる何かが突き刺さっているというのに、ピンピンしている。
そして、ヒューゴ君は絶句している。
「美しいわねえ」
ヒューゴ君は私の腕を掴み震わせていた。怖がるのも無理もないと私は彼の手を握ってあげた。
彼は小さく震える声で私にだけ聞こえるように、心の内をぶちまけた。
「この際だから言うが、俺は今までリリベルのことを、自分に興味のないことにはとことん無関心な狂った魔女だと思っていた」
私のことをそんな風に思っていたのか。
「でも違った。お前たち全員狂ってるよ。理解できる余地がない」
「それが正しい反応だよ。人間でいたいなら、魔女のことを理解しない方がきっといいよ」
この場では、唯一頼らざるを得ない私に対してすらも恐怖の感情で一杯になった彼だが、それでも手を震わせながら私の腕を掴んだままだった。
彼の手の震えが止まるまで、私は彼の手を握り続けることにした。
ローズセルトとセシルが身なりを整えている間に、私とヒューゴ君は2人だけで少し離れた木陰で休んでいた。
彼は今は落ち着いて震えも止まっている。
「いいかい。これから、あいつらなんかより遥かに狂った奴らと対峙することになる。君の心が、良心が壊れてしまうなら、私は君に家でお留守番していてもらいたいんだ」
私は彼の歪んだ良心に興味があるが、狂ってほしくはない。我ながら我儘である。
だから私の心根を彼にそのまま伝える。
彼は一息ついてから、私に質問をした。
「1つ教えてくれないか。リリベルの魔女としての欲望って何だ? お前はなぜ魔女になったんだ?」
出会った頃の彼だったらしない質問だと思う。
黄衣の魔女という私に慣れてきたからこそ、遠慮のなさを発揮できているのだと思うと多少の嬉しさはある。
ただ彼のその質問に対する回答は、彼の良心に直結する。
私の欲望を満たす行為が、彼の良心を痛めつけるなら彼はすぐにでも騎士をやめると言い出すだろう。
いくつもの欲求が入り混じってる私が、彼に全てを打ち明けるには勇気がいるのだ。
しかし、彼は私の回答を心待ちにしている。
「今までの魔女生が色々ありすぎて、長いお話になるよ」
私は深呼吸を1つしてから覚悟を決めて、初めて他人に私の過去を打ち明けることにした。
他人に私の内面を晒す日が来るなんて思いもしなかった。
「私は物心ついた時から魔女だったんだ。正確には魔女にされていたと言った方が正しいかな」
「そして私が今も魔女を続ける理由は――」
「恋をしたいからだよ」