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弱くて愛しい騎士殿よ  作者: おときち
第2章 弱い騎士殿の初めてのあれこれ
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初めての昔話2

 師ダリアと暮らしているこの家は、草木もあまり生えていない地帯だ。

 今は昼間で人影があれば目立つし、誰かが来たとすぐに気付く。


 全身が真っ黒のソレは確かに、私たちの家に向かって歩いて来ているのが分かった。

 彼女に客人が来たと伝えて外に呼び出すと、客人なんか来る訳がないと訝しげに出てきた。


 そして、彼女が黒いソレを見るや否や、いきなり私の黄色のマントに付いたフードを被せ、乱暴に掴み上げ岸壁の向こう側へ放り投げた。


「後で追う! なるべくここから離れろ! 死ぬ気で離れろ!」


 そうは言うが岩壁の下はそれなりの高さがあるので、途中の岩肌に叩きつけられるとあっという間に、腕や足などが小枝でも折るかのようにパキパキと音を鳴らす羽目になって、離れるどころではない。

 岩壁の下に落ち切った頃には虫の息だが、それでも死なずに済んだのは魔法のマントのおかげだろう。

 物理的な衝撃を多少なりともやわらげるように、裏地に魔法陣を描き込んでおいて良かった。

 でも痛くて泣いてしまった。


 走るのに必要な部位は回復魔法で治し、状況も飲み込めないまま言われるがままに家から遠ざかる。

 走ってすぐに森が現れ、入り組んだ木の根の障害物をすり抜けながら突き進む。




 走っているうちに疲れて座り込んで、少しの間だけ息を整えていると、急に恐怖が私を支配した。

 今、私の近くにはダリアがいない。

 心細くて不安で仕方がない。頼れる者が近くにいないと分かると、恐怖で涙が自然と流れ出てしまう。

 それでも彼女の言葉に信頼を置く私は、彼女の言いつけを守って、息が整うとまた走り出す。


 本当は、今すぐにでもこの恐怖を取り払うために戻ってダリアの顔を見たい。

 花火を見てから、私にとってのダリアは、たまたまそこに居た心の拠り所から、ずっと傍に居て欲しい心の拠り所へと変わっていたからだ。


 視界は涙で歪んでいて、前がよく見えないので何度も転んだ。

 転ぶたびに痛みの数は増え、走るのが辛くなると休み、痛みと不安で涙をだし、それらを何度も繰り返して深く暗い森を突き進んで行った。






 不安感が爆発して、恐怖に飲まれた私が木の下で動けなくなってしまったのは、夜になってからだ。

 走り続けたことで喉は枯れ果て、泣いても声も涙も出てこない。


 ダリアがもし追いかけて来なかったら、私はどうなるのだろう?

 この場所で死ぬのだろうか。

 死んだらどうなるのかは分からないけれど、死が悪いことだけは今まで読んだ書物や見てきた演劇で何となく理解していた。

 死ぬのは嫌だ。


 何度もダリアに助けを求める言葉を呟いていた。




 すると、草木を踏み潰す音が聞こえた。

 私の願いが叶ったと思った。ダリアが追いついてくれたのだと思って、座り込んていた身体を立ち上げて音の方を見る。

 暗くて良く見えないので、掌に炎の魔法を留めて灯り代わりにして、走って音の主に近付いた。


 無条件の喜びとでも言うのか、私以外の音が今まで聞こえなかったものだから、私が発した以外の音を勝手にダリアからのものだと思ってしまっていた。

 音の主を見ると、綻んだ笑顔がすぐに止む。


 薄暗く照らされた音の主は、犬のような姿をしていた。

 けれどもその犬は町で飼われているような可愛らしい見た目ではなく、全身が真っ黒で、大きな爪を持ち、他の生き物をたくさん殺したであろう険しい顔つきをしている。

 私なんかより遥かに身体の大きなその犬は、頭の中にある書物で読んだ情報と照らし合わせて、魔物ヘルハウンドということが分かった。

 他種には非常に凶暴で、見境なく襲い掛かる魔物である。そして魔物の特徴は、より多くの魔力を持つ者を襲って、自分の糧にすることである。


 私が手に持った炎の塊をヘルハウンドに投げつけようと思ったその瞬間には、既に私の首は何か尖ったものが深く突き刺さっていた。

 噛みついてきたヘルハウンドはそのまま素早く首振りをして、私はおもちゃみたいに振り回される。


 その後、ヘルハウンドが私から牙を離すと、私は身体も動かないままその場に仰向けに倒れ込んだ。

 私が死んだことを確認するためか黒い犬は静かに睨み付けてきたのが見える。

 身体を動かそうとしても動かない。首近くの感覚を全く感じない。呼吸は多分できていない。


 死ぬのが怖いと少し前に考えたばかりなのに、その死が呆気なくやってきたものだから、受け入れる間もなく死ぬことができたのは少しだけ良かったと思ってしまった。

 それでも死にたくはないけれど。

 私はここでおしまいなんだと思った。私の魔女生はまるで山も谷もないつまらない演劇みたいだと思ったけれど、もうこれ以上の思考はできそうになかった。






 もう目蓋も開けていられないけれど、音だけは微かに聞こえた。


瞬雷(しゅんらい)!』


「リリベル……唱えたら……口を……動かして」


『魔女……アスコルトの……呪いを……』


 誰の声なのか考えることもできなかったけれど、断片的に聞こえた何かの指示に従う。

 詠唱が終わったのか分からないけれど、動いたか自覚もできない口を動かしてみた。






 目が覚めると、眼前に木々が天に昇る姿が広がっていた。

 死んだ後にも別の世界が待っているなんて思わなかった。


 少しの間を置いて、木々が見たことのある木だと分かり、私はすぐに身体を起こした。

 首を手で触って確認すると傷があるようには感じられなかった。

 ただ、着ていた服や私が倒れていた地面にはおびただしい血が付着していた。


 ヘルハウンドの姿も見当たらないし、誰かが私を助けてくれたのだろうか。


「リリベル!」


 ダリアの声だった。私はとても嬉しくてすぐに声のする方に向けて、走って彼女に抱きつこうとした。

 ダリアは大きな木の根に座っていて、私は彼女の身体に、両腕を使って思い切り抱きついた。


「生きていて良かった」


 今までの不安感は一気に吹き飛んだ。

 喉は枯れ果てていたので上手く声が出せなかったが、それでも彼女の名前を絞り出すように何度も呼び続けた。

 気付いたらまた泣いていたけれども、涙は出ない。


「声がしゃがれているじゃないか。魔法を使って水を飲みなさい」


 ダリアが私に魔法を使うよう促すので、私は彼女の言う通りに水を生み出す魔法陣を地面に描き詠唱した。

 詠唱しながら湧き出してくる水を片手で掬い、少しずつ喉を潤していく。


「リリベル、水を飲みながらでいいから良く聞いて」


「私は君に『魔女の呪い』をかけた。呪いによって君の身体がこれから死を迎えることは一生ない」


『魔女の呪い』は彼女に教えられたことの1つだ。

 呪いを受けた者は自身の望みを叶える代わりに代償を受けなければならない。

 私の望みはきっと『死ぬのが嫌』なのだとすぐに分かった。

 その代わりに受けた代償が死なない体を得たということなのだけれど、今の私には不死が代償とは考えられなかった。


 でもダリアは私になぜか謝るのだ。

 謝る必要なんかこれっぽっちもないのに。




 私が落ち着くのを見てから、彼女は再び森を進もうと言った。

 もうあの家に戻ることはできないようだ。

 私は家自体には思い入れもないので、ダリアの言われるがままに付いて行く。


 ダリアが先に進み始めたので、私は2度とあんな怖い思いをしたくないということもあって、彼女の手を取って一緒に歩こうとした。

 だが彼女のマントの先を掴もうとしても空を掴むばかりであった。


 私の行動に気づいたダリアは、歩を強めて先に進もうとした。

 いつもだったら私と手を繋いでくれるはずなのに、それをしてくれない。

 良く見ると肩幅がいつもより狭く見えて、歪に感じた。


「悪いが手を繋いでゆっくり歩いている暇はないんだ。急ぐよ」


 私は彼女より歩を強めて追いつき、彼女のマントを捲り上げた。


 本来なら手があるべき場所に手はなかった。手どころではない。腕もない。

 服の肩の部分は血だらけだ。


 後ずさって彼女の全体を見ると、彼女は両腕ともない。


「悪いがもう手は繋いであげられない。急ごう」


 私は彼女を引き留めて、泣きそうになりながら問い詰めた。

 一体誰が彼女の両腕を奪ったのか。

 黒い衣のアイツか、それとも黒い犬にやられたのかと聞いた。聞いてどうにかなる訳でもないのに知りたくて仕方がなかった。


 ただ、いつか彼女をこんな目に遭わせた奴に仕返ししてやるという気持ちはあった。

 黒い衣のアイツだったら両腕を引き裂いてやる、黒い犬だったらこの世から1匹残らず殺してやると息巻いた。

 今はその力がなくても、いつか達成すると怒った。


「そんなことはしなくていい。君は君だけの生を謳歌しなさい」


「恋をしなさい」


 まただ。

 また彼女は恋をしなさいと言った。

 恋という言葉の意味は理解しているけれど、なぜ恋が必要なのかまるで理解できない。

 子孫が欲しいならただまぐわえばいいだけだ。その間に恋や愛がなぜ必要なのか分からない。

 だから、どうしたら恋するという状態になるのか分からなかった。


 話をはぐらかされた私は、きっとはぐらかされたことに何か意味があるのだろうとそれ以上の追求はしなかった。

 おさまらない怒りを内に秘めたまま、ダリアと共に先を急いだ。






 森を歩き続けてひと月程が経っただろうか。

 腕のないダリアに代わって、私が動物の狩りを行い食事をして、魔物と戦った。

 魔物には何度も殺されたけれど、ダリアを守るためなら1度や2度の死など安いものだった。


 そして歩き疲れて身体を休めている間は、彼女に様々なことを教わった。

 魔法陣を必要としない魔法の詠唱の方法、人間やオークなど様々な種族と関わった時の話、本当の両親の話など、話の種が尽きることは無かった。


 森を抜ける頃には、家にいた頃とは見違える程に逞しくなったとダリアに言われた。

 私はそれがとても嬉しかった。ダリアに褒められたことはもちろん嬉しいけれど、蓄積された知識を役立てられたことにも私は喜びを覚えるようになった。




 森を抜けたすぐそばで夜を明かすことになった。

 私が火を付けてダリアと共に座り込んで、いつものようにダリアのお話をせがんだ。


「以前、君の両親の話をしたね」


 覚えている。

 私のお父さんもお母さんもただの村人で、ここから遥か遠い大陸で暮らしていた。

 けれども黒衣の魔女という気の狂った魔女が、村に病気をばら撒いて両親は死んでしまった。

 2人どころか村にいた生き物は全て死んだと聞いている。


 今の私にとっては興味のない情報だ。


「黒衣の魔女はいくつもの町や村に訪れては災厄を振り撒いた。奴が通った後には全ての生物は死滅すると言われているけれど、稀に生き残った者がいたんだ」


「黒衣の魔女はその生き残った者の魔力を奪って、次の生ける物が集まる場所へ向かう。一体何の目的があってそうするのかは分からないがな」


「そして君は、黒衣の魔女の災厄から生き残った子なんだよ」


「君の両親とは知己の仲でね。2人が病に冒されてから君を託されたんだ」


「私は託されはしたけれど、正直すぐに君は死ぬと思っていた。黒衣の魔女の災厄を受けた子どもなんて、魔法の耐性なんか全くないからね。だから2人からすぐ離れて死にゆく彼らを少しでも安心させるために、君を引き取った」


「けれども君は、奴の病の魔力を跳ね返して生き残った。君はおそらく生まれながらに持ったその膨大な魔力でもって、彼女の病を退けたんだ」


 ダリアはその後、膨大な魔力を持つ私を魔女として育てることにしたそうだ。

 魔女として育てれば、名を恐れて膨大な魔力目当てに襲って来る者が少なくなるだろうと思ってのことだ。


「君を魔女として育てることにしたが、君が成長して魔女の肩書きが必要ないと思えば、いつでも看板を下ろしてもらって構わない」


 ダリアは私にそう告げた。

 それは私がいつか彼女の元を離れることを暗に示しているようだった。

 今の私にとって彼女との生活が失われることなんて想像できない。




 私が両親の話と魔女になった時の話を知識として蓄積して、ダリアに次の話をねだろうとした時のことだった。


 黒い衣のアイツが、付けた火を超えた先にいたのだ。



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