潜入する者3
さすがに夜の暗い町中を歩いていると怪しまれそうなので、朝日が昇るのを待ってから行動することにした。
城壁の内側は外と違って随分と長閑な雰囲気が漂っていた。
肉塊の姿も無いし、拒否感を示す言葉をひたすら呟いている者もいないし、争いに勤しむ者もいない。
ただただ町は平穏で、今日売る商売品を店に運び出す者がいたり、木箱一杯に入っていた飲み物らしきものが入っている瓶を家々に届けていく者がいたり、家の前を箒で掃いてゴミをどかしている者がいたりしていた。
念のため、ヴィリーに匂いを嗅いでもらう。
嫌な匂いが少しでもするなら、彼にとって都合の悪い何かが近くにあるということになる。
彼は鼻を空へ向けてぴくぴくと動かすと、すぐに匂いを嗅ぐのをやめてしまった。
「……何もないよ。むしろ良い匂いがする」
そりゃあそうだ。
彼のすぐ横にパン屋があるのだから。今もガラス窓越しに三角巾を巻いたおばさんが、焼きたてらしきパンを棚に陳列しているのが見える。
パンの匂いぐらいしか反応するものがないのだと判断して、ひとまず安心する。
町行く人を呼び止めて、今いる場所から首都までどのぐらいの時間がかかるのか聞いてみたら、最低でも2日は必要だと言われた。
しかもそれは人を乗せて運賃を取る早馬車に乗って行かなければならないと言うのだ。
「もっと早く移動するには、リリベルの魔法ぐらいしかないな」
「……でも、そんなことをしたらバレると思う」
「そうなんだよなぁ」
俺とヴィリーで悩んでいると、町人が察して別の提案をしてくれた。
「ああ、アンタたち、急ぎの用かい? 懐に余裕があるのなら新しくできた交通手段を試してみたらどうだい?」
「新しく?」
「そうさ。馬を使わずに走る不思議な物みたいらしいが……確か、『列車』って言ったっけなあ」
町人から出てきた言葉に思わず顔を引きつらせてしまった。
胸元に収まっていたリリベルは、列車という言葉を聞いても俺と目を合わせることは無かったから、彼女はなんとも思ってもいないのだろう。
俺は正直、画期的な移動手段という印象よりも、人死にがあった上に魔女に攻撃されたという嫌な印象しかない。
だが、嫌な印象があるからと言って乗らないという選択肢はない。早くエリスロースを連れ戻して、皆のもとへ帰らなければならないのだ。
「……乗り場はどこにあるか分かりますか?」
列車の景色は酷く単調なものだった。
確かに列車は速いが、どこまで行っても町並みが変わらず、飽きがくる。
逆にこれだけ列車を走らせても変わらない町並みに不気味さすら感じた。
途切れることなくずっと町並みが続いているということは、これも1つの町なのだろう。
この広大すぎる町を見るだけでも、レムレットが大国であることを思い知らされる。
列車はほぼ満員であった。
首都へ向かう運賃だけで金貨を必要とするのだから、金持ちでないと乗ることができないと思っていたのだが、意外にも払える者がこれだけ多くいるようだ。
随分と羽振りが良いようで。
以前乗った列車とは違って、この列車は乗客のための個別の部屋は無く、1つの大きな部屋に多くの座席が取り付けられている。
真ん中を通路にして、左右が座席になっていて、俺たちは向かい合った座席を借りている。
この狭苦しい座席で金貨を取り上げられるのだからボロい商売だ。
乗っている間に不意に思いつきリリベルに質問をしてみた。
「以前、フィズレとエストロワを繋ぐ列車に乗ったが、確かあの列車の動力部分はリリベルが造ったんだよな」
隣の座席に座る彼女はふふんと鼻を鳴らし、胸を張って自慢するポーズを取って「その通りさ」と言った。
その後、もう1つ質問をするつもりだったが、それよりも早くリリベルが俺の意図を察して、手を鳴らしてなるほどと言う。
「この列車に関しては知らないよ。造るのに私が手伝った覚えはないね。でも、もしかしたらフィズレの商人なら商売として技術を売ったかもしれないね」
なるほど、合点がいった。
てっきりリリベルが俺の知らないうちにこの国に赴き、列車を効率良く走らせるための技術を教えたのかと思っていたが、どうやら違うようだ。
「金貨をたくさんせしめている理由は、動力になる魔力石がそれ程良い品質ではなく、また物価が高いからじゃないかな」
「物価?」
「うんうん。列車に乗るまでの道すがらに店々の値札を見てきたのだけれど、どこの商品も随分と高かったよ。この国では生活必需品から嗜好品の何から何まで高いのだろうね」
「良く見ていたな」
「褒めてくれても良いのだよ」
何だかレムレットに来てからのリルベルは、妙に甘えたがりな気がする。
さてはまた何か変な本を読んで触発されたな?
「匂いがする」
対面に座っているヴィリーが窓を見ながらぽつりと呟いた。
どうせ鼻の利くヴィリーのことだから、食べ物の匂いに強く反応したのだろう。
「また食べ物の匂いか?」
「……いや、違う。これは嫌な匂い。明らかな敵意を感じるし、匂いは母国やサルザスで戦った時のよりも臭い」
そこでリリベルが初めてヴィリーの鼻について言及した。
「ほう。君は目ではなく鼻で魔力を感じ取っているのだね。しかも、匂いの感度と好き嫌いで、魔力の質すら判別できる。すごいものだね」
「……幼い頃から鼻がよく利くんだ。なぜかは知らないけれど」
つまり、ヴィリーが匂いに強い反応を示せば示す程、相手は魔力を持った者であり、自分にとって害をなす存在だと教えてくれるのだ。
もしかしたらエリスロースか?
「ヒューゴの仲間の匂いとは違う……。そっちも臭いけれど、気になる匂いではなかった。今感じているのは、もっと別の嫌な匂い」
「それだけ過敏に魔力に反応するなら、リリベルの近くにいたら大変じゃないか?」
悪気はなかったが、リリベルが俺を睨みながら「失礼な」と言ってきた。
単純にリリベルの魔力で他の匂いが掻き消されていないか聞いただけなのだが、彼女は俺が彼女のことを臭すぎるという意味で聞いたのだと誤解している。
「……正直、今まで嗅いできた匂いの中で、1番強い匂い。でも、特徴的すぎて逆に慣れた」
薄白い肌のリリベルだから、血行が良くなるとすぐに感情が変化していることが分かる。
ヴィリーからリリベルの匂いについて伝えられると、彼女の耳先と頬がすぐに桃色に変色した。俺を恨めしそうに見て今にも噛みついてきそうだったので、どうどうと彼女を手でおさえる。
「……あっちからもこっちからも強い嫌な匂いがする」
列車が徐々に速度を落とし始めると、ヴィリーはあちらこちらをきょろきょろと見回し始めた。どうやら彼が感じる嫌な匂いとやらが、複数の方向から感じ取られているようだ。
「おいおい。それって……」
「へえ、さすがに大陸で1番大きな国だけあって、魔女もうじゃうじゃいるみたいだね」




