人形遊びを好む魔女3
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サルザスの城が陥落したその日、俺は魔女を連れ出して第三監視塔を抜け出た。
夜空を赤く照らす程に炎が燃え盛っている。
オーフラ軍は巨石に油を染み込ませた布を巻きつけて、それに火をつけた状態で投石を行なってきていた。
石で造られた城壁の上でさえ火は良く燃えている。
その燃える巨石を避けて通っていると、ある巨石の下敷きになっていた隊長が見えた。目が合った。
「た、助けてくれ!」
腰から下は石の下敷きになり上半身だけを覗かせているその姿で、今もまだ生きていることが不思議だと思った。
俺を殺しかけた奴だからと言って、見殺しにする気は無かった。
だからなのか、背中の魔女が「君を殺そうとした人間を助けようとするなんて、君、頭がおかしいね」と素直に言ってきた。
「もしも、隊長に大事な友を殺されたら許せなかったかもしれないが、そうでは無い」
「それに、隊長はお前と違って死ねば死ぬ。助けを求めてきた1つしか無い命を無視することは、俺にはできない。後で俺が後悔することになる」
そう言ったらなぜか魔女にドン引きされてしまった。なぜだ。
魔女に被せた衣服が火の粉で燃えないように、なるべく炎から遠ざかった場所に移動して、そこに下ろしてから隊長を助けに行こうとした。
だが、彼女を床に下ろす前に邪魔が入った。
突然城壁の石が呼吸をするように上下し始めて、足元を揺らし始めた。波打っているようだ。
地震かと思ったがそうでは無いようで、次の瞬間には、第三監視塔に近い城壁の方から、積まれた石がめくり上がり始めた。
めくり上がった石は一斉に一箇所に集まり始め、やがて俺の身体をゆうに超える高さになる。
ただの石の集まりだというのに、まるで生き物のようだった。
そう思えたのは、集まった石が手足を形作り始めたからかもしれない。ただの石だが、手足らしきものが見えれば、生き物だと思ってしまうのは俺だけでは無いはずだ。
「あんな目眩しで、私から逃れられると思っているつもりか!?」
人の形をした石の集まりの股を潜って、トリスタ様が現れた。
何もかもが生まれて初めての状況ばかりで、人生のうちに味わった最大の恐怖を更新し続けている。
今もまだ痛みに喘いでいる隊長を助ける余裕が無くなったと確信する。
逃げるしか無い。
どう見たって、アレに勝てる想像が思いつかない。
俺が恐怖で足が立ち止まって動かなくなったと判断したのか、背中にいた魔女がいきなり俺の首筋を噛みついてきた。当然、予想もしていない痛みで俺は魔女をその場に落としてしまう。
「私のマントがこれ以上ぼろぼろになるのは困るから、君が持っていって欲しい。それで、私があの魔女を足止めするから、君は君が助けたい人間を助けていると良いよ」
筋肉が衰えて、碌に立ち上がることもできない彼女は馬鹿なことを言い出した。
当然、最初は承服などできなかった。身動きが取れず、芋虫のように城壁の上を這う魔女が、どうやって目の前の異常事態に対応できるというのか。
頭が混乱していて、魔女の言うことを聞き入れる余裕が無かったこともあり、再び彼女を抱き上げて逃げようとしたが、魔女はこれを拒否する。
「早く私のマントを脱がして、行って?」
その言葉は誤解を生むからやめて欲しい。幸いにも誤解を生ませる者は近くにいない。
だが、石の人間が此方に向かって歩みを始めたのを見て迷っている暇は無くなった。年端もいかない女の子の身ぐるみを剥がすその姿は正に極悪人であっただろう。
素っ裸で歩廊にべしゃりと横たわる魔女は、マントを剥がされたことに喜びの顔を見せて、いよいよ此方が正気を保っていられなくなる。
マントをなるべく小さくなるように畳み、胸のうちに抱えながら急いで隊長のもとへ駆け寄る。
「死ぬ! 死んじまう! 早く助けろ!」
蹴って巨石をどかす力は当然無いから、そこらに落ちている棒を拾ってそれを巨石と床の間に差し込み、肩で棒を上に押し上げる。重い物をどかすならこの方法が1番だと俺は思う。
巨石に間近に近付いた訳でも無いのに、肌が焼けるように熱いし、熱のせいで目が開けられなくて常に細めていないといけない状況であった。果たして、隊長がこの後、生きていられるのかは疑問であったが、それでも助けなければ俺の気が済まない。
1度の棒の押し上げで巨石が転がっていけば1番良い結果になるが、位置が少しズレただけに終わってしまう。
だから、棒を巨石と床に差し直して、棒を押し上げることを何度も繰り返した。
やっと人間の横幅分ぐらい巨石を動かして、巨石が元あった所の様子を確認するが、何とも酷い状態であった。
「おい! 足が動かねえんだ! どうなってやがる!」
どうもこうも隊長の腰から下は、何も無い。
両足が折れているとか、足が潰れているとかの想像をしていたのだが、想像を遥かに超えていて、隊長は腰から下が千切れた状況であった。
上半身しか無い人間が、こんなに元気に叫んでいるのが驚きだった。ここまでの負傷を負っても人間は生きられるものなのだなと感心すらしてしまう。
隊長は自分の足が無くなっていることに気付いていない。足の感覚が無くなっているから、足を失ったと認識できていないのだろう。信じられない話だが、もしかしたら、心が興奮しているからこそできてしまう芸当なのかもしれない。
もし俺が隊長だったら、冷静に自らの状況を把握して、そして死んでいることだろう。
結局、怒りをぶちまける隊長の言葉に負けて、真実をそのまま伝えることにした。
隊長に本当のことを言って、狼狽してしまう可能性はこの際考えないことにする。
「隊長の腰から下には、何も無いです」
「……はあ? 一体何を言って――」
肘を立てて、自らの下半身に目を向けた彼が絶句してしまうのも無理は無い。
とりあえず、隊長がこれ以上炎に曝され続けることを避けて、彼の襟首を掴み、比較的に安全そうな場所に移動させた。
その途中で人間がぐちゃりと潰された時のような生々しい肉音が、先程魔女を下ろした辺りで聞こえてきた。




