人形遊びを好む魔女2
◆◆◆
早く牢屋から逃げ出したいところだったが、難しい。
トリスタ様が腕を振り払ったと思ったら、急に身体が動かなくなる。
背負ったものを落とさないように後ろ手を当てながら走り出そうとしている姿勢にぴったりと一致する穴に嵌め込まれたかのように、ピクリとも四肢が動かせなくなる。
足を振り抜いて1歩前に進もうという意思と筋肉の使い方をしているはずなのだが、いつまで経っても結果がやってこない。
何が起きているのか理解できていないが、背中の魔女はふふんと鼻を鳴らして余裕そうに笑っていたから、きっとこの事態を飲み込めているのだろう。
やはり狂っている。
仮にこの場で何が起きているのかを理解できていたとしても、果たして笑うだろうか?
やっぱりこの魔女はどこかおかしい。
「良く聞いて。彼女は自分と相手とを糸で結び、対象を操る魔法を使うんだ」
いきなりひそひそと耳元で話しかけてきたか細く柔らかい声に、魔女が耳元にいるという実感が湧いて鳥肌が立つ。
「糸が付着しないように壁になるものに隠れるか、その前に切ってしまえばきっと大丈夫だよ」
そんなことを言われても糸なんか見えない。
「あ、もしかしたら今の君には見えていないかもしれないね。彼女は魔力で糸が見えないように細工をしているから、よっぽど魔力感知の力に長けていないと」
そう言うと魔女は俺との一方的な会話を切り上げて、トリスタ様へ向けて話し始めた。
「灰衣の魔女。君の糸は頑丈で衝撃には強いけれど、斬撃にはただただ弱い」
「そんなことは知っている。対策を立てていない訳が無い」
「隙ありっ!」
『剣雷』
耳元で雷が落ちたかのように爆音が鳴り響いて、目を瞑らざるを得ない程の閃光が一瞬だけこの部屋を蹂躙した。
同時に、突然時間が動き出したかのように四肢が可動できるようになった。
あまり視界に自由は効かないが、それでもしばらくこの部屋で長い時間を過ごした経験がある。目を瞑っていても部屋から脱することは容易なくらい勝手を知っている空間だ。
部屋を出てからの勝手は知らないから、躓いて転びそうになる。
「トリスタ様! 申し訳ありません!」
「トリスタ君。ごめんね?」
「クソガキ!!」
トリスタ様は既に後ろに置いてきた。
背を向けた状態で背中からどのような攻撃がどの瞬間で訪れることは予想ができないので、階段を登っている間はずっと恐怖が付き纏っていた。
そんな心配を知ってか知らずか、背中の魔女がまたぼそっと呟くと、先程とは比べ物にならない程の爆音と閃光が後ろからやって来た。
確か『瞬雷』とか呟いていた。
何が起きたのかを尋ねたかったが、困ったことにその後の音が何も聞こえないのだ。狭い空間で鳴った爆音が何重にも響いて、俺の両耳を貫通してくれたから無理も無い。
とにかく、ほとんど足の感覚だけを頼りにして階段を駆け抜けて、まんまと塔から抜け出すことに成功した。
◆◆◆
『支配者の糸』
宙を浮かぶ灰衣の魔女が手を振り払うような動作が見えたので、想像に想像を重ねて黒盾の形を変化させる。
前からの防御には適した真っ直ぐな盾では無く、半球状の盾に形を作り変えて、その中に入ってじっとする。
盾を動かそうとしても、ピクリとも動かなければ、この盾の支配権は向こうにあるということだろう。
盾だけをその場に残して、新たな盾を具現化して魔女に近付く。
雨で糸は見辛い。頼りになるのは、灰衣の魔女の腕の動きだけだった。
破裂するサルザス兵の破片を防ぎ、盾が使い物にならなくなれば補修に集中する。
たまに防御に失敗して身体の均衡を失って転びかけたりするが、何とか耐えている。
「防御で精一杯っていうことは、攻撃することができないっていうことだよね」
『筋力強化!』
返事を詠唱で返して、空中に浮かぶ灰衣の魔女に向けて手を突き出す。
その手から具現化して解き放つものは、地獄の王アアイアが作り出していた刃の蛇だ。
ありとあらゆる刃を持つ道具や武器を具現化して、それを蛇の顔の形にしていく。
残念ながら実際には、地獄で見た刃の蛇とは似ても似つかない完成度だ。
何せ武器1つ1つを想像して具現化しなければならないのだから、俺の頭と集中力では本物と同じものを作り出すことは無謀な話だった。
刃の集まりの密度が薄く、蛇と認識できないような中途半端な顔だったが、それでも俺が知る限りでは最も恐ろしく強い凶器の塊だった。
強化した膂力で作りかけの刃の蛇を灰衣の魔女に思い切り投げつける。
「な、に!?」
投げた後の灰衣の魔女の様子は見ない。
あくまでアレは陽動だ。
盾を構え直して、ローズセルトに突撃を仕掛ける。
彼女を愛する余りに思いついた作戦があるのだ。
この作戦を思いつけたのは、不死を合理的に利用しようとするリリベルのおかげだ。
『私を愛してよお』
サルザス兵が散って、破片がいくつも鎧の中を貫通してくるが、生憎此方は不死だ。
すぐに目覚めて突撃を続けられる。
糸が巻きつけられていないなら、俺はローズセルトに近付ける。
『私を愛してよお』
「ああ、愛している」
『私を愛してよお』
「愛してやるとも」
何度も爆発を受けてもそれでもローズセルトの目の前に辿り着くことができた。
目の前に焼け爛れていても美しい姿をした魔女がいる。
その妖艶な姿には愛さずにはいられない。
だから盾を投げ捨てた。
そして、そのまま彼女を抱き締めた。
筋力強化の魔法を自身に詠唱していることを考慮した上で、両手で彼女の身体を包み込むように抱き締めた。
こんなに彼女を愛おしいと思ったことは無い。溢れる気持ちを抑えることはできそうに無い。
今の俺は、リリベルに対する愛情を遥かに凌駕したローズセルトへの愛を持っている。
だから。
具現化した長剣を、彼女に突き刺すことができた。
彼女の背中から進入した刃は、胸から飛び出してそのまま俺の鎧と身体を貫いた。ローズセルトと俺は共に血を流し始めた。
俺とローズセルトは抱き締め合ったまま、剣で繋がる。
「愛しているから、俺と一緒に死んでくれ」
愛している者同士でしかできない死を迎える方法がある。
それを実践した。
「桃衣の魔女!? 何をしている!?」
この剣は殺意を持って刺しているのでは無い。
愛しているからこそ刺し貫けるのだ。
「あらあ……?」
ローズセルトは初めて顔をしかめた気がする。
俺には分かる。
彼女は自らが血を流していることを不思議に思っているのでは無く、俺が刺したことを不思議に思っているのだ。
「ずるい……わあ。貴方は……不死じゃないのお……」
散々あらゆる種族を食い散らかしてきたというのに、愛を語り続けてきたというのに、彼女は誰1人として愛されたことは無い。
俺が偉そうなことを言える立場では無いが、恐らく彼女だって本当の意味での愛を知らない。
ローズセルトは、俺が彼女を刺した意味を理解できていないのだ。不思議な話だ。
ローズセルトが口から血を吹きこぼし始めた。
雨が彼女の顔や髪を濡らし、それが流れ出た血に混じり、赤色を広げる。
喉に痰が絡む感覚がずっと続いている。
鉄臭い味がしていて、咳をすると勝手に口からそれが溢れていった。俺も彼女と同じ状態だ。
彼女の手が俺の頬を撫でる。
その手に力は無かった。間もなくその生命が終わることを示していることは、明らかだった。
「私を……愛……し……」
「愛している」
彼女が死ぬまでは、この言葉に嘘偽りは無い。
俺の言葉を聞き終わった彼女は、鼻で笑った。
結局、この愛も本当の愛では無いと分かっているからこそ、出てきてしまった乾いた笑いなのだろう。
何とも悲しい結末であるが、彼女と死ねるなら後悔は無い。
そうして、俺と桃衣の魔女は死を迎えた。
次回は8月18日更新予定です。




