川と湖と海を作る魔女
何度、空を天井にして夜明けを迎えたかだろうか。
野原には数え切れない人が横たわっている。
寝ている訳では無い。皆、死んでいる。
「ロンは戻ってきていないのか」
「さあな。持ち場に戻って来ないってことは、目の前のどこかにいるってことだろ」
5人で1組の小隊の内の1人が遂に命を失ったと思われる。
俺の質問に答えてくれた者は、小隊の長であるランドだ。
環状囲壁の歩廊から胸壁越しに城の外の様子を2人で見ていた。
「ランド、この戦いはいつまで続くんだよ……」
小隊の残りは、すぐ横で胸壁を背に座り込んでいた。
今ランドに質問してきた者はその1人で、ルースという髭を蓄えた男である。彼はランドと同じく40代程で相応の人生経験を積んできた顔つきである。
残りの1人はヴィリーという男で、彼は昼間の戦闘の疲れからか頭を垂れてぐっすりと眠っている。
それでも胸元には刀を抜き身のままで抱いており、不測の事態にいつでも対応できる準備はできていた。
「サルザスの連中に聞いてくれ。俺は分からん」
「まあ、そうだよな」
そう。
今、俺はサルザスの隣国オーフラの防衛線になっている城で、兵士として戦っているのだ。
ここを越えて行けばすぐにサルザスに辿り着く。俺とリリベルが初めて出会った地だ。
この世界は混乱を極めている。
ワムルワ大陸で最も大きな国レムレットの王が崩御したという噂が立ってから、周辺国の争いが突如加速し始めた。
現在のレムレットでは周辺国を御することはできていないようで、各国で暴走が始まっている。それ程、前王の影響力は強く、次代の王が愚王だったのだろう。
そうでなければ、このようなことはなっていないはずだ。
しかし、資源や兵力を膨大に保持するレムレットは、他国の勝手を許すつもりは無い。
彼等の思い通りにならない国は破滅の道を辿らされていった。
国々はレムレットのこれ以上の強大化を阻止するために、我先にと領土の拡大を目指し始めているというのが、エリスロースが集めた情報から見立てた予想だ。
限られた力で富国を目指すなら普通、他国と同盟を結ぶべきだろう。
だが、同盟を結ぼうとする国が1つも存在しないのは、そこら中にあらゆる陰謀が渦巻いてしまっているからだろう。
例えばレムレットより北西に位置する国で、カントゥールとシフォリアという国がある。
2つの国は元々同盟を結んでいたが、それがレムレットの国王崩御の噂の後、突然同盟破棄と開戦が発生した。
周辺3カ国を含む国々で情報を集めたエリスロースによると、2国が戦いを始めた理由は様々あるようだ。
カントゥール国王が領土拡大を狙って、同盟を結んで油断しているシフォリアを攻撃しようと画策していてそれを実行に移した。
しかし、周辺国のウルアーノでは、カントゥールがシフォリアに攻撃している間にカントゥールを攻め滅ぼそうという企てを起こそうとしていた。
カントゥールがシフォリアに攻撃するようにその国が仕向けようとしたのだ。
だが、実際はその陰謀が実行される前に、カントゥールが戦いを始めた。
その2つの騒動は、シフォリアに予め察知されていて迎撃の準備は十分に行われていた。
シフォリアに戦いの情報を教えたのは、カントゥールのとある高官だ。
シフォリアはカントゥールを迎え撃ちつつも、油断しているウルアーノを攻撃し始めた。
そして、カントゥールに凶行に走らせるように仕向けた国は、実はウルアーノだけで無くそのまた周辺国のセントファリアも同時に企てていたことのようだ。
何が始まりで戦いが起きているのか、その理由を推察することは最早できない。
戦うことに歯止めが効かなくなっている理由は、大きなところで言えば2つある。
1つは魔法使いや魔女の手が空き始めたからだ。
黒衣の魔女の存在が無くなり、ある意味で自由になった魔法使いや魔女たちは己の自己満足を解放するために、各々の研究成果を戦いの中で披露し始めた。
魔女や魔法使いが戦いに加担すれば、国を持つ者たちは強力な力を手に入れたと勘違いするだろう。その結果が増長と開戦だ。
もう1つは、黒衣の魔女が各地に振り撒いた病が猛威を振るっているからだ。
これは 白衣の魔女が各地を回って黒衣の魔女の痕跡を調べた結果から分かったことだ。
奴が残した病は、ただ生命を腐らせる病だけでは無い。
その1つが戦いに傾倒する病だ。
自然と己の精神を蝕み、戦いに傾倒させて、戦いによって剣を交えた相手が病に感染し、そしてまた新たな戦いを生む。
奴は、あらゆる病を各地に振り撒いていた。
そのうちの1つが、今、世界中で起きている騒動に繋がっているのだ。
サルザスとの戦いの最前線であるこの西方の城では、数多の死者を出した。
この地に住んでいた非戦闘員は既にオーフラの内側へ退避していて、ここにいるのは戦いに赴く者しかいない。
だが、この歩廊で休んでいる小隊のほとんどは、予め訓練された兵では無い。
オーフラの北側ではエルフの集落が国を興し、こことは比べ物にならない程の兵が死んでいるようだ。
足りない兵は、急遽徴兵という形で集われて、こうして傭兵や商人や農民のごった返しになっている。
ランドもルースもヴィリーも、これまでに戦闘など全くの縁が無かった者たちなのだ。
当然、統率等取れたものでは無いが、この小隊に関しては長生きしている方だと思った。
あちこちが戦火に包まれていて、平和な場所等どこにも無いと知った時、意外と人間は覚悟を決めるようだ。
敵影が近付いたことを知らせる鐘楼の鐘が鳴った。
歩廊で眠りこけていた者たちは、一斉に飛び上がり、胸壁の外の様子を窺い始めた。勿論、俺も具現化した遠眼鏡で様子を確認した。
今、ここではサルザスとオーフラの戦争が繰り広げられていると言ったが、実はそれ以外の理由で戦わねばならない相手もいるのだ。
まだ夜明けは来ていない。
だが、荒れた野原には赤い光が大きく広がっていた。
まるで水平線の向こうから太陽が上がり始めた時かのような横に長い光が地上を走っているが、それはそのような感動して黙って見ていられるものでは無い。
この光は全て炎の光で、炎の元は全て燃える死者なのだ。
実はオーフラの地に至る前に、ノイ・ツ・タットに赴きアルマイオと出会っていた。
この混沌とした状況に、彼等の安否が気になって寄ってみただけという話なのだが、その時に彼から興味深い話を聞かせてもらったのだ。
『地獄に繋がる門から、燃える死者が現れ始めて、日々対処に追われている。正直、困っているところだ』
地獄に行くことができない者たちが、地獄の門から現れた。
アルマイオの話は、地獄で何かが起きていることを表していることは確実だ。
そう。
例えば、地獄が満員で魂の清算を行うことができなくなった者が、溢れ出てこの世に戻って来てしまったとか。
この世界では今、生命が死にすぎている。




