逆らうな4
トゥットが造った階段は、地上に向かう途中までの物質を全て本来のものとは異なるそれに置き換えられていた。
マルムが造った山と同じように、四方を謎の金属が覆っている。おかげで下水道の異臭は届かずに済んでいる。
俺とクロウモリが歩く度に甲高い音が鳴り響いていた。
強制的に構造を変更させられた階段を見ていると、正気の者がしでかせる技ではない。
トゥットが只者でないことを再認識させられた。
だが、そのような感心は地上に戻ると同時に吹き飛んだ。
暫くの間、異臭に曝されていたから鼻としての能力を失ったと思っていたが、案外そうでも無かった。
空は快晴。気分が良くなる程の青空なのに、その下には悲鳴と怒号が木霊していた。
いや、笑い声もあった。
大人も子どもも元気良く笑っている。
『ヒューゴさん、楽にしていてください』
クロウモリは紙を見せたが、俺が文字を全て読み終わる前に俺を抱え上げた。
彼よりも歳も身体も大きな俺が、いとも簡単に彼の胸の内に収まった。
何と力強く包容力のある男か。
いや、今はふざけている場合では無いぞ。
クロウモリに運ばれたまま俺の身体は飛んでいた。
彼の一歩が強く地面を蹴り上げると、心臓が浮き上がる程の勢いで飛び上がり家の屋根に着地する。
そして彼は高速で屋根伝いを走った。凄まじい風切り音が耳を通り抜けている。
彼が走る方向を見ると、屋根の高さが不揃いなせいで壁にぶつかるのでは無いかと思う瞬間が何度もあった。
彼はその段差を最小限の力で飛び越えて行くのだから、怖くて途中で進行方向の景色を見ることはやめた。
余りの速さに、周囲の人間は俺たちの姿を認識すらできないだろう。
景色が過ぎ去る速度は凄まじいが、道行く大勢の人が何かから逃げ惑っている姿は見えた。
1つや2つでは無く、至る所でそれが確認できた。
そして、地下の下水道よりも広い道幅がある通り一杯に満ち満ちた肉塊が存在していた。
触手のように伸びた腕が逃げ惑う人を捕え、肉塊の下に消し去っていく。
その瞬間的に見える町の様子を暫く確認した後、クロウモリが突然角度を変えながら飛び上がった。
景色が目まぐるしく変化していき、何が起きているのかをその瞬間には察知できない。
ただ、全てが終わって俺が地面に下ろされたと同時に、彼が壁を蹴っては飛んで、蹴っては飛んでを繰り返しながら、目的地に辿り着いたことを知った。
「クロウモリの身体能力もすごいが、その身体の動きについていける反射能力もすごいな……」
『それ程でもありません』
降り立った場所は、白衣の魔女が患者の治療を施した屋敷の敷地内だった。
敷地の庭の土に彼は文字を書いて見せたのだ。
『僕は白衣の無事を確かめに行きます。ヒューゴさんは黄衣の魔女さんの方に行き……ますよね?』
「彼女は大丈夫だ。まずは白衣の魔女の無事を確認しに行こう」
クロウモリは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに頷いて先を急いだ。
扉を守る衛兵はいなかった。
彼が扉を開く勢いから感情を読み取ることはできた。
声に出せなくてもオルラヤの名をきっと呼んでいるだろう。
彼が向かったのはオルラヤが借りている部屋だろう。
一心不乱に廊下を走ってからある部屋の前で止まる。彼はすぐさま扉に襲いかかり部屋の中にいるであろうオルラヤの姿を探し始めた。
「おわっ。びっくりしました」
「良かった、無事だったか」
「無事ではありませんよ。私もこの町も……」
オルラヤの左手は包帯で巻かれていて、痛々しく赤く染まっていた。
彼女はそれを掲げて俺たちに見せつけた。
クロウモリは慌てて指を取り出して、オルラヤに持っていき彼女に手渡すと同時に、彼女を抱き締めた。
クロウモリの行動に即座に反応するようにオルラヤは彼を抱き締め返した。
お熱いことだ。
2人の世界が終わったところで、彼女は千切れた指をくっつけ始めた。
彼女の魔力制御は非常に緻密で、いとも簡単に指はくっつき、そして問題無く動き始めた。
さも当たり前かのようにやっているが、並の魔法使いができる業では無いから誤解してしまいそうになる。
オルラヤは自分の手の動きを確認しながら、俺たちに言葉だけを向けてきた。
「聞こえますか? 隣の部屋の声が」
俺もクロウモリもオルラヤを探すことに夢中だったから、外の喧騒なんか気にもしていなかった。
だからオルラヤの言葉で、音を気にかけて初めて語りかけるような声が聞こえた。
「……らうな……逆らうな」
地下の下水道で出会った肉塊のように、誰かが同じ言葉を繰り返していた。
一体誰に向かって喋っているのか分からないが、とにかく言葉の主は逆らって欲しくないようだ。
「既にここは全ての部屋が患者で埋まっています。病の伝染速度が私の手に負える範疇を超えました」
「そんな……」
「幾人もの患者が1つの塊となっている症例もあります。治すには1日どころでは足りません」
彼女は指の動きが万全であることを確認すると、俺の方に目を向けて言った。
「ですから、やっぱり、黄衣の魔女さんの力をどうしてもお借りしなければならないみたいです」




