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弱くて愛しい騎士殿よ  作者: おときち
第13章 笑わぬ者には戦いを
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病むな3

 混濁した意識も相まって身体を自由に動かすこともままならない。


 今も視界の中には黒衣(こくえ)の魔女が残像のように残っているが、既に視界から消えていると思う。

 天井から落ちて来る汚水の臭いが悪心を強めていき、気分も体調も最悪だ。天と地の区別もつかないし、自分が立っているのか寝そべっているのかも分からない。




 回復魔法を詠唱してみたが無意味だった。この症状が治ればと(すが)ってみたが、やはり効果は無い。


 気持ち悪すぎて、あーあーと呻いてその場をのたうち回ることしかできない。




「なんじゃ。こんな所で人間がのたうち回っておる」


 誰かの声が聞こえてきた。

 喋りかけられるたびに、声が頭の中を駆け巡ってきて吐き気を加速させる。「頼むから喋らないでくれ」と言いたくても、身体を芋虫みたいに動かすことしかできないから、意思の疎通なんて皆無であろう。


「なんじゃいなんじゃい、お主は白痴か」


 馬鹿を言え。


 力の入らない首を転がしてようやく声の主が視界に入れる。

 黒衣の魔女の残像が残っている中に新たな残像が目に映る。


 白髪と口の周りに白髭を蓄えた皺の多い老人が、俺を見下ろしていた。

 彼は手に灯りになる物を持っていて、その顔立ちをはっきりと見ることができた。同時に、その明かりが目に吸収されるたびに目の痛みと吐き気を呼び起こして、うつ伏せになりたくなる。


「あっちには……ほう。鬼がおるわい」




 言いたい言葉が言えない代わりに、地面を叩いてみるが、老人には俺が狂人にしか見えないのだろう。

 全く気にかけてくれる様子が無い。


「お主、彼奴(きゃつ)に害されでもしたのかのう」


 鬼と呼称された者が誰なのかは分かりきっている。

 クロウモリに何かしたら許さないぞと彼を睨みつけてやるが、多分、残像の中にいる老人を睨んでいるだけだろう。鼻先に冷たい地面の感触があるからきっとそうだ。


「なんじゃ。彼奴ものたうち回っておるでは……」


 耳の中に老人の声が反響して、それが頭の中に残ったままになっている。彼が新たな言葉を紡げば紡ぐ程、声が全部頭の中で響き続ける。音が増えて悪心を加速させるのだ。


「……察したぞ。あの(ばばあ)、まだ手足を集めているのか……」




 言葉は入ってくるが、その言葉の意味を噛み砕くことができない。

 此方は手足を振り回して、布感を感じる何かに掴まることができた。身体を捻りながら視界を回転させて、おそらく老人の足だということを認識してから、彼がこれ以上クロウモリの元へ行くことを阻止する。


 意図さえ伝われば良いのだ。無我夢中に掴んだ足を引っ張って、首を振る動作をしてみる。


「ええい! 気持ち悪い虫じゃ! 離せい!」


 振り払われても諦めることなく、足を探し求める。


「……なんじゃ。お主、不死か?」


「……ふうむ」




 何かが胸に当たり、それが俺のもがきを食い止めた。その何かに身体を押さえ付けられて、よじることしかできなかった。吐き気は最高潮に達していた。


「良し! その病、治してやろう……って此奴、吐きおったわ!」






 気を失った時は、全てのことが一瞬と感じられる。


 本の(ページ)を飛ばして読んでしまった時のように、前後の繋がりを一切無くして、いきなり場面が転換するのと同じことが起きる。


 同じような感覚で言えば、寝て起きた時の感覚と同じだろう。






(はよ)う起きぬか」


 何かで胸を思い切り突かれ、無理矢理意識を覚醒させられる。

 当然、攻撃されたと思う。身体を無茶苦茶に動かして、即座にその場から離れて、周囲の状況を認識することを最優先にした。


 だが、周囲が不整地だったこともあって、飛び退いた先で転げそうになる。体勢を立て直そうと二の足で踏ん張りを入れようとしたら、そこには地面が無かった。

 身体が傾いて踏み外した方へ落ちていきそうになるのを、両手でもがいて地面に指を突き立て、どうにか留まることができた。


 ここで、意識を失う前にいた場所は足場が狭かったことを思い出す。


「不死なだけあるわい。活きが良い」




 周囲の状況を認識していく程に、情報が頭の中に入ってきた。

 異臭、暗闇、小さな赤い光。


 最後に認識した赤い光に向かって急いで駆け寄る。


「クロウモリ! 大丈夫か! クロウモリ!」

「安心せい。生きておるわ」


 横にしておくには酷く不安定な崩れた岩場の上で彼は静かに息をしていた。

 良かった。


(わし)に礼の1つでも言ったらどうかのう」


 助けてくれたことは感謝するが普通、自分から礼を求めるか?




 老人は暗い色のローブに身を包んでいて、左手にランタン、右手には長杖を携えて歩み寄って来た。


「一体、アンタは誰なんだ? こんな所で何をしていた?」

「それは儂の台詞じゃ。お主等こそ何をしておった」

「地下の下水道である調査をしていたが、地崩れでこの坑道に落ちてしまった。それで、上に戻る道を探していたところだ。そうしたら黒衣の魔女に出会って、いきなり……」

「先の揺れのことか」


 老人は深い溜め息をつきながら、ゆっくりと腰を落とした。

 すると、腰を下ろした先の地面が突然盛り上がり、丁度良くできあがった椅子に老人は丁度良く座ったのだ。詠唱は無かった。


 得体の知れない彼の素性を早く知りたい。無意識に湧いている警戒心を解いて、クロウモリの様子を見たい。

 だから、彼にもう1度素性を確認した。


「散歩じゃ」


 残念ながら警戒を解くことはできないとすぐに悟った。


「お主等に言っても分からんじゃろう。だから、散歩と言ったまでじゃ。落ち着かんから、その着ぐるみを早う剥がさんか」


 詠唱無しに鎧を具現化したのに、老人は驚く素振りも見せずに冷静に言ってきた。年の功から生まれた余裕なのか、ただ図太い性格なのかは今は判然としない。

 クロウモリの盾になるように、彼と老人の間に俺を挟む。


「黒衣の魔女に殺されかけたんだ。まだ奴が近くにいるかもしれないから、簡単に鎧を解くことなどできない」

「奴はこの辺りにはもうおらんわい。病を振り撒くことに夢中だからのう。振り撒き終われば用などなかろうて」


 彼は拳で肩を叩きつけてコリをほぐそうとしながら、さも当たり前かのように語った。

 どうやら彼は黒衣の魔女の素性を知っているような口振りだ。


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