病むな
クロウモリの馬鹿力があれば、落ちた穴を登り切ることは可能ではと思ったが、間も無く天井の大崩落が始まってその望みも絶たれた。
落ちてきた穴がある通路は瓦礫で塞がれてしまう。
上にいるオルラヤに聞こえないか声をかけてみるが、良い反応は返ってこない。
『瓦礫をどかしたとしても、また通路が崩れるかもしれません。歩いて戻りましょう』
オルラヤの指を大事そうに胸についたポケットにしまって、俺の鎧を引っ張って先を急がせた。彼の力加減次第で鎧が捩じ切れると思うと、恐ろしく思う。
しかし、クロウモリの言う通りだ。
ここで待っているぐらいなら先を進んだ方が良いだろう。幸いにもここは自然にできた洞穴では無く、人工的に作られた通路だ。外に出る道は必ずあるはずだ。
此方の地下道は水路では無く、坑道のようだった。
下水道と比べて道の整備はされておらず、あくまで目的地に向かうための通路といった作りだ。天井や壁が落ちないように坑木の支えがあり、地面にはレールが敷かれている。
「まさか地下に坑道があるなんてな。ここは採掘も行っていたのか」
『この辺りが昔、多くの集落に分かれていた頃は、限られた自分たちの土地の中だけで採掘を行おうとしたみたいですね。もっとも、ほとんどは徒労に終わったようですが』
意思疎通に使える大紙は今彼が持っている1枚だけだ。
彼はその紙の端に非常に小さな文字で文章を書いたのを見て、気軽な会話を行って申し訳なくなってしまう。
しかし、クロウモリは『久し振りにヒューゴさんと話すことができて嬉しいですから、気にしないでください』と書き足して親指を立てて、にやりと笑ってくれた。
リリベルの捻くれた優しさと違って、純粋な優しさで接してくれるクロウモリは俺にとって貴重な友だ。
クロウモリへの評価を考えたら一瞬だけ殺気を感じた。殺意の発信者がリリベルからのものでは無いことを祈る。
坑道は長らく人が立ち寄らなかったせいで、魔物の巣窟と化していた。
魔力を求めて動き回る彼等にとって、リリベルの魔力を間借りしている俺はご馳走であっただろう。俺が歩みを進める度に、魔物が走り寄って襲いかかって来る。
だが、俺が剣を振るうよりも早くクロウモリが魔物を拳で蹴散らした。
俺よりも小柄で筋肉の付いていない身体から、有り得ない速度と威力の殴りや蹴りが繰り出される。彼の攻撃を喰らった者は、例外なく木っ端微塵になってしまった。
今や彼の服は返り血で真っ赤に染まっている。
リリベルの騎士の名に恥じない働きをしたくて、せめてもの想いで、彼が怪我をした時は言ってくれと彼に頼み込んだ。「魔法に覚えがあるから」とクロウモリにしつこいぐらい主張してみせたのだ。
きっと後々になって、この時の自分の必死さに恥ずかしく思う時が来るだろう。
『ヒューゴさんは黄衣の魔女さんと、どのぐらい仲が良いのですか?』
「どうしたんだ、急に」
坑道に落ちていた黒鉛の破片を拾い、今度はそれで文字を書き始めて俺に見せた。
心なしか彼の角の光が強くなった気がする。おかげで文字がより読みやすくなった。
『僕は女心というものが分からないです。だから、彼女を良く怒らせることがあります……』
仲の良さで言うなら2人の方が良いと思っていたから、彼の質問には驚いた。
そして、女心なら俺も分からん。そもそも、そう簡単に人の心など分かる訳が……いや、意外とリリベルのことは分かるかもしれない。
『ヒューゴさんは女心を知っている方だと思ったのです! だから、良ければ僕に女を教えてください!』
「その言い方は語弊がある……」
俺を遊び人と勘違いしていないだろうか。
だが、せっかく彼が俺を頼ってくれているのなら、話を頭から聞かずに断るのは悪いと思った。
困っているなら助けたい。そう思って会話を続けることにした。
「例えばどのような場面で怒らせたことがあったんだ?」
『朝起きた時から不機嫌で、僕がベッドから起き上がった瞬間から怒られました』
いきなり難問すぎる。
物理的な距離を離すことができない2人である以上、なるべく傍を離れないように同じベッドで寝ていると考えられる。毎日、同じベッドで寝ているという時点で仲が良いはずなのだが。
「もっと寝ていたかったのに、クロウモリが起き上がってしまったから眠りを妨げてしまったとか?」
『有り得ますね……彼女は朝は弱いので』
自身が無いから決して鵜呑みにはしないで欲しいと、予防線を張っておいたが、彼はすんなり納得してしまった。
だから、彼の疑問心に火を付けてしまった。
『他にもあります。毎日の習慣として寝る前に彼女とキスをするのですが、たまに怒ることがあります』
もしかして、遠回しに惚気話を聞かされていないか?
そして、余りにも原因が分かり辛くて返答を考えるのが難しすぎる。
俺とリリベルが好き合うようになって、気恥ずかしく思うような場面に遭遇することだって何度あった。
その恥ずかしい思い出を遥か凌駕する、オルラヤとクロウモリの逸話に、驚嘆と少しだけ参考にしてみようという気持ちを覚えた。
魔物を片手間に殴り殺しながら、オルラヤに対する愛情をぶち撒けてくるクロウモリに恐ろしさを感じた。
中性的な見た目に違わず、彼の行動は漢らしいのだ。
クロウモリの赤い角は煌々と輝いていた。




