喋るな3
「しっかり定期的に下水道を点検しているのか?」
「しているはずですよ。それを仕事にしている人たちがいるのですから」
このような巨大な肉塊、すぐに見つけられそうなものだが、それが今日になって見つかるか?
「喋る……な……喋るな喋るな」
肉塊が喋る。
喋るなと喋った。
あちこちに肉が裂けたような場所があるのは全て口で、それらは肉塊が喋ると共に一斉に同じ動きをする。口は1つで十分だと思うが、肉塊はそれでは足りないみたいだ。
奥の肉塊は手前にあった肉塊を飲み込むようにのしかかって行った。
「まさか、今ので2人分がくっついたり――」
「してるかもです。もう1度眠らせます」
オルラヤの合図と共に呼吸を再び止める。
『眠れや』という掛け声と共に、白いモヤが肉塊を包み始める。
だが、白いモヤをものともせずに、肉塊は前進を続けた。
「口を閉じてますね」
彼女の言葉から察するに、彼女の魔法は呼吸によってモヤを吸い込むことで効力を発揮するものなのだろう。
「傷付けるのは不味いのだよな?」
「そのとおーり、です」
それなら俺は盾を構えて防御するだけだ。
肉塊の前進に合わせて俺たちも1歩ずつ後ろへ下がる。
肉塊の動きを止める有効な手段が他に無いか聞いてみるが、彼女は唸るばかりで言葉が出てこない。
もしかして、もう手詰まりなのでは無いだろうなとツッコミを入れたくなる。
「ぬふん、私は戦い向きでは無いですから」
自慢げに言われても困る。
だが、打つ手が無いなら一旦外に出た方が良いだろう。
幸い皆の意見はすぐに合致した。
悪臭からも逃げられると思えば、喜んでここから立ち去るさ。
後ろを振り返って元来た道を走ろうとする。
クロウモリが片手でオルラヤを抱え上げていて、オルラヤは慣れた感じでクロウモリの首に手を回して、持ち運ばれやすいようにしてみせた。
だが、天井や地面から嫌な音がし始めた。
ぽろぽろと天井の素材が剥がれ落ちて、壁には亀裂が走り始めていた。
俺たちが急ぐ速度よりも亀裂の方が先に行き、数が増え始める。
振り返ると俺たちに沈黙を要求する肉塊が必死に進もうとするその度に、通路が悲鳴を上げていた。このままここで生き埋めになるのだけはごめんだ。
そして元来た出入り口の階段まで辿り着き、慌てて駆け上がる。
しかし、踏みしめようとした階段は無かった。
ついに満ち満ちる肉塊に地面が負けてしまい崩れてしまった。
目の前のまだ残っている階段に手を付けようとするが、先を行くクロウモリが足を乗せた瞬間、そこも崩れ落ちてしまった。
他に手をかけられる場所が壁しか無かったが、当然、手をかけられるような凹凸のある壁では無い。
俺の抵抗も虚しく、ずるりと滑って下に落ちる。
クロウモリは足場を失って身体の平衡を失いながらも、無理矢理オルラヤを上に投げ捨てた。踏ん張る足場が無くても片手で彼女を放り投げられる馬鹿力には目を見張るものがある。
そしてその後は俺と共に仲良く落下を始めてしまった。
「いっっったあい!!!」
天井の景色と出入り口の光が遠のき始めたその瞬間、オルラヤの悲鳴が聞こえた。
オルラヤとクロウモリとの距離が離れてしまったことにより、呪いが効力を発揮し、彼女の心臓が破裂したのだと思った。
天井に見える光が掌に収まるぐらいの大きさになった所で、背中に強い衝撃を受ける。
高所からの落下で叩きつけられるのはもう慣れたものだ。
すぐに回復魔法の詠唱を始めて、痛みを感じる部分を治す。
もう1つの衝撃音が近場で響くと、そこから小さな光が湧き上がるのが見えた。
赤っぽい光が優しく輝いているのは、クロウモリの角だった。
彼は膝から着地したものの、すぐに立ち上がって周囲を警戒し始める。ただの人間が怪我をするような高さでも、彼からすれば何てことの無い高さなのだろう。
角の光で俺の姿を見つけた彼は、すぐさま近寄り、俺の身体を案じてくれた。
死ぬ程の怪我は負っていないことを伝えると共に、クロウモリの方に怪我は無いか尋ねると彼は親指を立てて無事を表した。
頑丈すぎる。
「オルラヤは大丈夫か? もしかして呪いが発動してしまっていないか?」
彼は何かを探すかのように辺りを見回し始めて、探していたものを見つけるとそちらの方へ駆け寄ってしまった。
しばらく自分の身体が暗闇で何も見えなくなっていたが、再び彼の赤い角が近付いてくると、彼女は紙を持って俺に見せながら近付いて来た。
どうやら会話をするために、落とした紙と書く物を探していたようだ。
だが、紙に書かれた文字を見て思わずぎょっとした。
それは文字に書かれた内容もそうだが、彼が持っている筆記具が筆記具とは呼べない異質な物だったからだ。
『白衣は僕が落ちそうになった瞬間に、指を食いちぎって渡してくれました』
オルラヤの人差し指を物差し棒のように使って、紙に書いてあった文字を注視させた。
彼の赤い1本角で照らされた赤い紙に書かれている文字は、赤い光で無かったとしても赤い色をしているとすぐに直感できた。
血だ。
千切れたてほやほやの彼女の指を使って文字を書いたのだ。
何とも恐ろしいことをする2人である。
『白衣の身体の一部でも僕の近くにあれば、白衣の心の臓が破裂することは無いです』
「そ、そうか。彼女の身が一先ず大丈夫なら良いが……」
一瞬の判断で自分の指をクロウモリに託すことができるオルラヤは、やはり魔女だと思った。
例え過去に同様の経験があったとしても、クロウモリとの距離が離れると分かった途端に、簡単に自分の指を食いちぎる決断ができるものだろうか。
俺が見知っている女性は、なぜどいつこいつも化け物じみた胆力を持っているのだろうか。




