喋るな2
地下の下水道通路に入って俺たちは、誰かいないか確認することとなった。
流行り病と魔力酔いを引き起こした者は皆、下水道で見つかっていることを考えると、もしかしたらこの通路のどこかに入り込んでしまっている可能性があると彼女は言った。
しかし、事件が起き始めてから衛兵は地下の下水道に繋がる扉を見張っているはずだが、仮に入り込んだ町人がいたとしてどうやって入り込んだのだろうか。
まさか、衛兵の中に地下へ案内している者がいるのではないか。
周囲を注意深く見ながら、歩き始めているが特に目立つ物体は無い。
光が当たる真下を通ると、水路に流れている水の色が透明な色では無いことが分かった。
排泄物や何らかの残飯と思わしき色の付いた物体が流れていて、明らかに清い水では無い。下水道の無い町が直接川にこれらを流しているのだと思うと、下水道の有用性を十分に感じる。
この水が行き着く先は、大量の魔力石が保管されている場所で、そこで吸収した汚水の吸収と浄化を行うようだ。
何らかの災害で水が逆流したり増水した場合に、被害をなるべく抑えるための処置らしく、それをクロウモリから聞いた時は感心するばかりだった。
「多分、呻き声とか聞こえると思います」
オルラヤの助言よりも、彼女の純白の衣装が汚れないのか心配だった。
あれだけ綺麗な白は、このような場所にいれば簡単に汚れてしまうだろう。旅の洗濯係を任されている者としては、あの衣服を汚した時の対処を考えると、気が気では無かった。
『大丈夫です。彼女の魔法には、汚れを落とすことができる魔法がありますから』
「いや、まだ俺は何も言っていないのだが」
『白衣の装束に汚れが付いた時の心配をしていますよね?』
もしかして俺ってそんなに分かりやすい男なのだろうか。
リリベルが俺の心を見透かしたように読み取ると思っていたから、彼女だけの芸当だと思っていたが、もしかして違うのか。
別の心配事に心が持っていかれそうになるも、すぐに目の前の通路に意識を向けることになった。
呻き声が聞こえる。
音がする方向を指差して2人と顔を見合わせると、2人とも頷いて先へ行くことを促した。
ゆっくりと先の様子を注意深く見ながら歩いて行く。
水音に混じって、確かに呻き声は聞こえた。音の源は徐々に近付いている。
何かが起きてもせめて自分の身は守ることができるように、いつものように黒鎧と黒盾、そして黒剣を具現化する。
「べんりー」
間伸びしたオルラヤの声とクロウモリが文字を紙に書き込む音が聞こえた。
多分「すごい」とか書いて此方に向けて見せているのだろう。
「……るな」
微かに聞こえたそれは、呻きに混じって言葉を発している。
「……喋……な……喋るな……」
声色が女性のものではない。発している言葉も違う。
老婆では無い?
呻き声に混じって引き摺るような音を鳴らしているそれは、突如として視界に現れた。
天井の穴から差し込まれた光の下に出て来たのは、肉塊だった。
凄まじい腐臭を放ち、肉体は身体の内側に何か飼っているのでは無いかと思える蠢き方をしている。
沸騰した水のように、表面の肉が膨らみぱちんと音を立てて弾けると、弾けた部分から新しい肉が盛り上がる。
羽毛が落ちて骨だけが飛び出たような翼が背中らしき部分から生えている。
明確に腕だと思えるものが肉塊の下に生えていて、その腕は地面を掻いて前へ進もうとしている。
あれを人間だとするなら、本来腕が生えている場所には肉塊が生えていた。露出された肉肉しい赤いものは見ていて良い気分では無い。
目は2個以上あってどれと目を合わせて良いのか悩む。
あの姿を人間だと認識できた奴はすごいと思う。
「どうやってアレを無事に収容すればいい?」
「眠らせて動きを止めます。私にお任せあれ」
白いモヤが光を伴って通路を照らしながら、肉塊の下まで続くとオルラヤの詠唱が始まった。
同時にいきなり兜の目の前に紙が飛び出てきて、『呼吸を止めて』という文字が見えた。
後ろからクロウモリが腕を伸ばして紙に書いた文字を見せてきたのだと気付き、すぐに息を止める。
『眠れや』
詠唱と共に地面を這っていた白いモヤが、一気に辺りに吹き上がった。
雪煙のような白がしばらくの間視界を埋めて、周囲の状況を掴むことができなかった。
念のため盾を構えながら、息止めに集中して次の呼吸を待ち望む。
次に起きたのは強風だった。
白いモヤが一斉に天井の穴に向かって吸い込まれていき、先程までの景色に戻った。
風は一定の方向から来るものでは無く、身体を押したり引いたりするようなものだった。だから効率良く鎧の隙間に異臭が入り込んできたと思う。
次の呼吸で苦しい目に遭うのは確実だった。
『もう大丈夫』
再び紙が視界を遮ってきたので、文字を確認してから、腕を上げてクロウモリに合図を送った。
目の前にあった肉塊は動きを止めていて、目的が達せられたと一瞬だけ安堵した。
間も無く安堵できなくなった。
動きを止めたのは目の前にあった肉塊だけだった。
奥から新たな肉塊がやって来た。
通路の幅一杯に満ち満ちた肉塊が呻き声を上げながら迫って来ているのだ。




