考えるな3
『この町を見てどう思いましたか?』
老婆の家に向かって歩いている間に、クロウモリが大紙に文字を書いて俺に見せてきた。
いきなりの質問だったし、思ってもいない内容だったから動揺してしまった。
短い時間だが、この町に対して悪い雰囲気は感じていないと思っている。町はそこに住まう人々のために作られていて、そして平和ですれ違う人々は皆笑顔だった。
良い町だと思った。
彼は紙の空いた部分に即座に文字を書き始めた。
さすが普段から意思伝達手段として用いているだけあって、目にも止まらぬ早さで書き上げた。なるべく会話を円滑にするべく、その文字は多少の荒さが見受けられるが、読めない文字では無い。
『この町は、ヒューゴさんが思う程平和では無いですし、良い町では無いです』
「そんなまさか。争いも無く、暮らし的にも不自由の無い町が、良い町でないはずが無いだろう」
『確かに、皆さんは笑顔です。ですがこの笑顔は作られたものなのです』
クロウモリが紙に記してくれたのは、この町の本性だった。
2人は、流行り病の噂話を聞きつけてこの町にやって来た。
そして、病が黒衣の魔女と関係しているかを調べていくうちに、町の歴史や現状を知ることとなったらしい。
この町周辺は昔、争いの絶えぬ地域であった。作物の育ちにくい土壌が多くあり、肥沃な土を求めて多くの種族の移動があった。
当然、移動を行えば種族の衝突がある。
残念なことだが、誰もが円満にことを解決できた訳では無く、土地を求めた争いは少なからず発生した。
時には策略を駆使して別の種族と共に相手を退けたり、時には謀略によって味方を裏切って自分だけが利を得ようとしたり、誰が敵か味方か信用できずに疑心暗鬼に陥って自滅する集落さえあった。
この町は、度重なる争いの中で、敗戦した側の集落だった。
勝った集落は、この町が再び力を付けて自分たちに反旗を翻すことが無いように、この町に住む全ての者にある呪いをかけた。
それは笑うと強い多幸感と快感が得られる呪いだとクロウモリは教えてくれた。
争いに勝つためには多くの兵士が必要だ。
ただ頭数を揃えるだけでなく、相応の戦闘訓練や戦いの緊張感や死に対する恐怖に立ち向かう気概も必要だ。
勝者は戦いには士気が最も重要だと認識していて、心さえ潰してしまえば自分たちに刃向かうことはできないと考えたのだろう。
だから、戦力となるものを生まないように、そして兵士を生んだとしても戦いには全く役立たないようにするため、この町の人々を笑顔にさせることにした。
心から笑ってしまえば人は争う気にはならない。
しかも、呪いによって笑いで得られる価値は増幅させられている。幸せを人々の脳に毒のようにこびりつかせている。
人々は絶え間ない快感を得るために笑いの種を探し始めた。当然、笑わなければ今まで得ていた快感は無くなり、一気に不安感を覚えるようになるだろう。
笑わないことに恐怖した民衆は笑わざるを得なくなる。
こうしてこの町は活気で溢れた良い町となった訳だ。
しかし、記憶違いでなければ笑みをこぼしていない者たちもいた。
主に衛兵たちだ。
『彼等は笑い疲れた人たちの集まりです。笑う快感よりも、笑わないことで生まれる不安感の方を選んだ人たちです』
「なぜ笑わない者は皆、衛兵になったのだ?」
『白衣の精神分析の結果を鵜呑みにした話ですが、笑わない者たちは皆、呪いで生まれた不安感を感じないように別の負の感情を求める傾向にあるみたいです』
彼等にとって最も恐れていることは、笑わないことによって生まれる快感の喪失感を感じることであるようだ。
町では頻繁に自殺が起きており、その自殺者の全てが死ぬ寸前は笑っていなかったようだ。
自殺の様子をたまたま見た者たちがそう語っていたとクロウモリは言っているから、直接聞き取りをしてその情報を得たのだろう。
つまり、不笑で生まれる恐怖は彼等にとって、自らを殺してしまってでも逃れたい恐怖なのだ。
それらの情報からオルラヤは、笑うことを諦めた人たちが衛兵になるのは、別の恐怖で心を埋め尽くそうとしているのでは無いかと予想している。
腐っても衛兵は兵士だ。
町人が就く仕事の中でも、命に危険が及ぶ可能性が高い職業だろう。
衛兵たちは、いつ怪我をするかもしれない、誰かを殺すかもしれない、殺されるかもしれないという恐怖をあえて享受することで、不笑の恐怖を何とか掻き消そうとしている。そうクロウモリは言った。
町の為政者が黙ってこの状況を受け入れる訳が無いと反論してみたが、彼から返ってきた言葉は無慈悲な言葉だった。
『この町に来てすぐに白衣と一緒に会いに行きました。残念ながら皆、心が死んでいました』
クロウモリの言葉に続けてオルラヤが、2人で見た景色を補足した。
「強い中毒症状が、出ていました。誰も彼も口を開けて涎を垂らしながら、視線も定まらずに、笑っていました」




