露発の情感
この城の主がどのようにして大鏡を入手したのかは知る由も無いし、誰が何の目的で作り上げたのかも分からない。
城のあちこちに置かれた鏡の数々からして、城主は相当の鏡好きであることを窺わせるから、大した理由は無いのかもしれない。
ただただ鏡を最善の状態に保ちたかったとか、鏡を最も美しく見えるようにしたかったとか、そういった他愛も無い理由かもしれないね。
ただ、城の主が本という形で大鏡に関する情報を保管して、鏡の力を発揮できる状態にしている。
鏡のことになると周りが見えなくなるような気狂いの性格でなければ、意味があって鏡の中の世界と繋げた可能性も残っているから、決めつけは良くないかもしれない。
「いずれにせよ、城主と会ってみたいところだね」
「会うって、鏡の中なのにどうやって会うつもりなのよ」
詰め寄ってくるラルルカに対してえもしれぬ感情が湧き上がって、頭を撫でてしまう。
なぜ、撫でてしまったのだろうと自問自答したかったけれど、すぐに黒い感情が湧き上がってそれどころでは無くなってしまった。
今、彼女を撫でているこの手から雷を放ったら彼女はどうなるのだろう。
でも、彼女はすぐに手で振り払ってきたから、私の悪い想像は途切れることになった。
それどころか彼女は、振り払った手をそのままの勢いで私の顔に向けて張ってきた。ぱちんっていう音と共に肌がひりひりじんじんと痛みを伴い始める。
「勘違いしないで。私はアンタもあの男のことも許した訳じゃない。機会があるならいつでも喜んで殺すつもりだから」
「殺すなら私だけにして欲しいな」
言うだけだったらタダ。
でも、その言葉が彼女の怒りに触れてしまったみたい。
私はその場で組み伏されて、巨大な何かに顔を叩きつけられてしまった。
書庫一杯に響き渡るような音と共に、私は次の生を得て生き返るけれど、それでは彼女の怒りが収まらなくてもう2度3度殺されてしまう。痛いと思う暇さえ与えてくれなかったから、悪くは無いね。
彼女の腕には真っ黒なものが覆われていたけれど、殺してしまう程の怒りから冷めるに連れて少しずつ彼女のマントの内側に戻っていくのが見えた。
彼女はその割と可愛らしい顔を台無しにさせるぐらい眉間に皺を寄せて、私を軽蔑の眼差しで睨んでいた。
それは私にとって、とても怖いことだった。
「そうやって普段から自分の命を大切にしない言動を取っているから、他人の命を簡単に奪えるような性根になんのよ!」
「……君の言う通りかもしれないね」
怖くて、素直に彼女の意見に同意することしかできなかったよ。
「何度もアンタを痛めつけているのに、アンタは声1つ上げずに余裕な顔をして、反撃の1つもしてこない。神様にでもなったつもり? 馬鹿馬鹿しいわ!」
痛いと声を上げて言わないのは、私が声を上げると喜んでもっと痛めつける人間たちがいたからだ。
だから、無意識に表れる肉体の反応だけは魔法で無理矢理に操って、無反応の振りをしてみせることで、彼等が私を痛みつけることを飽きるように仕向けたのさ。もちろん心の内では痛みを感じているけれどね。
そして反撃をしないのは、もし反撃をしてしまったら1度しか死ねない君たちが死んでしまうからだよ。
君たちが私に何かをすることで君たちの気が済むなら、反撃をせずに暫くの間痛みに耐えた方が円満でしょう。
長く痛めつけられないようにする術は身に付けたのだから、それを活用しても良いじゃない。
そう心の中では考えているのだけれど、ラルルカのことが怖くて反論できなかった。
私よりも優秀な彼女に反論してしまって、その後どうなってしまうのかが分からなくて怖い。
もし反論に失敗したら、ヒューゴ君が取られてしまうのではないかって思ってしまったからもしれないね。私が言葉に詰まる姿をヒューゴ君に見せてしまったら、彼は幻滅してしまうのではないかって。
今まで、慎重に慎重を重ねて彼に対して私の格好悪い所を少しずつ打ち明けていった。彼が心変わりしないように細心の注意を払って行動してきた。
最初は誰もが日常で遭遇するようなことを彼に見せた。
例えば、病気になって弱る姿を晒してしまうこととか、お化けが怖いこととか。
そこから少しずつ度合いを深めていった。
都度都度、私の悪い部分を打ち明けていって、少しずつリリベル・アスコルトという魔女の本質を彼に認めてもらいたかった。
理由はただ1つ。彼のことを好きだからさ。好きだから知ってもらいたい。もっと興味を持ってもらいたかった。
だから、心の中で決めた打ち明ける内容の段階を踏まないと、怖くて仕方が無いのさ。
ヒューゴ君がこの場にいなくても、何がきっかけで私の無様な様子が彼の耳に目に入るか分からない。とても怖い。
「はあ。黄衣の魔女って案外大したこと無いわね」
……まあ、『ヒューゴ君に嫌われてしまうかもしれない不安』と『魔女の矜持を馬鹿にされること』は話が別だけれどね。
私は無意識に彼女の髪を引っ張って振り回してしまった。
考えて物を言うこともできない。心のままに言葉を吐き出してしまった。
「うるさい、馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿!」




