鏡の外の魔女
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リリベルの様子がおかしい。
見た目や話し声、仕草から何までいつものリリベルであることに違いは無いのだが、彼女の話す内容がおかしい。
「ヒューゴ君、ここの鏡は面白い物ばかりだね。見てご覧よ。これ何か正面から見たら私の顔が伸びてしまっているよ」
彼女は酷く湾曲した鏡を指差して、それに映る間延びした自分に喜んでいる。
先程からずっとこんな調子で、鏡にばかり興味を示している。
城内を勝手に歩き回らせてもらった結果、この城には誰にもいないことが分かった。
鍵がかかった扉はあったが、まさか城の者全員がその扉の向こうにいるとも考えにくい。
雨足は更に強くなり、雷も近くに落ちている。
窓から閃光が走ったその瞬間から音が聞こえてくるから、余程近くに落ちているのだろう。
リリベルの雷魔法を普段から間近で聞いている身としては、気になる音では無い。
今は夕暮れに近付いている頃で、城の中はどうにも暗い。
上側には陽の光を取り入れるために窓が沢山取り付けられているが、この生憎の天気では明るさは確保できない。とは言っても、あちこちで瓶詰めにされた魔力石から小さな火が灯されていて、全く見えない訳では無い。
誰かが戻ってきてもすぐに事情が話せるように、城の正面口近くの床で待機させてもらっている。
「リリベル。外の馬車で待たせているエリスロースとリリフラメルを呼びに行かないと」
「それよりもヒューゴ君! こっちの鏡は色付きの鏡だよ! 初めて見たけれど、こんな鏡があるのだね」
リリベルが何かに興味を示した場合、彼女は本当に心から興味を引いていることが多く、若干興奮気味になることが間々ある。
彼女に鏡を鑑賞する趣味があるとは思わなかったが、彼女が興奮していること自体は不思議なことでは無い。たまにあることだ。
だが、俺の言葉を無視する程興奮しているのは珍しいことだ。もしかしたら初めてかもしれない。
この質問をしたのはこれで3度目で、わざと無視しているのかとさえ思えてくる。
彼女の嗜虐心に火がついて、俺に意地悪するためにあえて行動していたとしても、最後には答えてくれるだろうと思っていたのだが、さすがにもう3度目だぞ。
今度は興奮しながら鏡を眺めている彼女の手を取って、此方へ振り向かせてから彼女にもう1度同じ質問をしてみた。
質問をしてから、彼女が左目を閉じていることに気付いた。
目配せか?
何の合図だ?
まさか城の中に誰かいるのか?
しかし、彼女は再び顔だけを鏡の方へ向けて、楽しそうに鏡に関する感想を述べ始めた。
もしかして、何かを伝えようとして、鏡にばかり興味を示している振りをしているのだろうか。それとも鏡に彼女に気にして欲しいことがあるのだろうか。
念のため、彼女の耳元に口を持っていき、他の誰にも聴こえないように声を潜めて彼女に質問をしてみた。
「左目を閉じているのは、何か意味があるのか?」
「ヒューゴ君! あっちの鏡はガラスと重なっていて全く違う場所の物を映しているよ!」
この質問も無視か。
馬車の中で待っているとはいえ、いつまでも彼女たちを雨の中で待たせるのは酷だろう。
念のため、単純に目を怪我しているという可能性もあるので、リリベルの左目を確認してから、その後2人を迎えに行こうと思った。
鏡に興奮しているところ悪いが、彼女の顔をもう1度振り向かせて、左目を無理矢理こじ開ける。
「うお!?」
こじ開けた彼女の左目を見て、俺は驚きのあまり、手を離して彼女から離してしまった。
彼女の左目は怪我をしていた。
ただ、その怪我は単純に目蓋を切ったとかそういう可愛い話では無かった。
眼球そのものが何かに刺し貫かれたように潰れていて、彼女の綺麗な金色の瞳は失われていた。
「リ、リリベル! その目はどうしたんだ!」
「あ、ヒューゴ君! よく見ると、君の目に私の顔が映っているね。まるで鏡みたいだね!」
「鏡どころでは無いだろう! 一体、いつ怪我をしていたんだ! すぐに治すからじっとしていてくれ」
改めて様子がおかしい。
目を怪我しているのに、それを放っておくなんてどうかしている。
すぐに回復魔法を詠唱しなければならない。
彼女の目に狙いを定めて。
『ヒ――』
『剣雷』
『ヒール』と詠唱したかったのに、腹に熱を感じ始めて止まってしまった。
下から煙が立ち昇っていくのが視界に入って、顔を下げると腹に直視できない眩しい光が突き刺さっていた。
その後すぐに尋常では無い痛みと、肉が焼ける匂いと、連続する小さな破裂音がそれぞれの感覚を刺激してきた。
嫌な予感は何となくしていた。
本当は聞こえない振りをしていたのだが、彼女は確かに「剣雷」と呟いたのだ。
リリベルの魔力で作り出された雷は、非常に高度な魔力の制御によって剣の形に押し留められていた。
その剣が、俺の腹を貫いている。
詠唱された魔法は俺を攻撃していた。
「君の綺麗な鏡をもっと私に見せて?」
「何を……する……」
痛みが酷すぎて呼吸もままならないし、声も出し辛い。
彼女に対する抗議も雷の剣の連続する爆発音で掻き消されている気がする。
リリベルは剣から手を離して、俺の顔にゆっくりと両手を伸ばしてきた。俺の眼球を鏡だと言って興味を示した彼女が、これから俺に何をするのかは大方予想がついた。
彼女の身に何かあったことは確かだ。
急ぎ、彼女の左目に回復魔法を詠唱した。
いや詠唱してしまったと言うべきか。
冷静に考えれば、優先順位がおかしい。
自らの身の危険より、リリベルの目の怪我をすぐに治したいと強く思ってしまっていた。
俺の呻き声なんか丸っ切り無視して、彼女は俺の目に興味を示していた。
だからこそ、その辺りを動き回らなくて良かったと思いながら、徐々に彼女の目蓋が開いていくのを確認した。
最終的には、いつもの綺麗な金色の瞳を宿した左目が復活させることができた。
その直後だった。
彼女の両手がそれぞれの眼窩に突き立てられて、視界があっちこっちに動き回った後、肉が千切れる音と共に一切の視界が失われてしまった。
歯を食いしばっても尚、我慢できない痛みによって、腹の底から声が漏れ出てしまう。
きっと途轍もない苦悶の表情を彼女に見せているであろうに、残念なことに彼女は俺に対して一切の興味を示さなかった。
「わあ。とっても綺麗な鏡だね」




