心たけかき開
彼のこれまでの境遇のせいでこびり着いてしまった狂気にも近い死生観が、逸脱した優しさとなって表れたことは、良いことでもあり悪いことでもあった。
だから、荒療治だけれど少しずつ彼の性格を捻じ曲げさせて矯正している所さ。
だって聞いてよ聞いてよ。
出会ったばかりの彼は、自分の命をまるで大切にしていなかったのだもの。
誰よりも死を重く受け止めているくせに、誰かの命を助けるために、自らを危険に晒してしまうのだよ。死にたくないのに、最悪の場合は他者のために死んでも良いなんて、矛盾しているよね。
多分、彼の病的とも言える死に対する恐怖が、他者を思いやる優しさに強く変換されてしまったのではないかな。
他者への慰みの心が、彼にとっても最も重要視すべき事柄になり、自らを疎かにしてしまう。
例えば、彼には味方とか敵とかの分別は無くて、どの命も等しく尊いものだと考えていたから、戦いの場であっても、相手を殺さないで済む手立てが無いか一々逡巡するのさ。
一瞬の思考の誤りが自らに死を招く可能性があると知っていながら、彼は悪手を取り続けていた。あの時はとても困ったね。
今のヒューゴ君は、私の努力の甲斐あって、死に対する異常な執着は弱まりつつある。
誰かの命を無闇に奪うことは嫌うけれど、それでも命を奪う方法以外で避けられない壁に当たれば、彼は躊躇しなくなったね。
ヒューゴ君のこれまでの話をラルルカに語ってみたけれど、人の身の上話をいきなり聞かされたところで、彼女の興味が強く引かれた訳では無いかもしれない。私だったら興味津々で聞くけれどね。
なので、敢えてラルルカの身に話を繋げるとすれば、ヒューゴ君は彼女を気にかけているところが挙げられるかな。
彼は、ラルルカにとって師であり、家族にも近い付き合いをしている夜衣の魔女を殺害することで、ラルルカの心に傷を与えることを危惧していた。
結局は、彼の強い憎悪と怒りが、夜衣の魔女の殺害を決心するに至らせたけれど、彼はそれでもラルルカを気にしていたんだ。
ヒューゴ君は、彼女が生きる希望を失わないように、わざと彼女の目の前で夜衣の魔女を殺害しようと提案してきたのさ。
ヒューゴ君と私が夜衣の魔女の仇であると彼女に知らしめるために、彼は殺戮者になる決意したのだ。
実際に提案された時は私も驚いたよ。
他者のために、殺したい者の殺害の仕方を練るという話は、どう考えても異常だからね。
勿論、この話を聞いたラルルカは、すぐに私に暴力を振るってきたよ。鼻血が中々止まらなくて困ったよ。
魔法で傷を癒したところで、すぐに彼女が私をボコボコにしてくるからあまり意味は無いかもしれない。
「で、結局それが何だって言うのよ。もしかして許しを求めてるつもり?」
「そうだね。私は許さなくても良いけれど、私の騎士のことは許して欲しいかな」
「虫が良すぎるわよ……」
ラルルカは「それに」と付け加えて後を話してくれた。
「もし、絶対ありえないけれど、もしも、万に一つでもアンタたちのことを許したとしても、アタシはここから出る方法を知らないし、知っていたとしても教えるつもりは無いわよ」
それは知っているよ。
もし、君がここから出る方法を知っていたなら、さっさと私をこの場に残してどこかに行っちゃっているはずでしょう。
あ、ラルルカ1人の力では脱出することができないという可能性もあるね。
でも彼女の口振りからして、彼女は本当に知らないのでしょう。
それに、私がヒューゴ君のことを彼女に話した理由は、襲い掛かる彼女の無茶苦茶な暴力を止めて貰いたかったのと、ここを出るためのヒントを彼女から得るためなのだ。
だから、概ね目標は達成できたと言っても良いかな。
暴力はともかく、会話については出会ったばかりの時よりもまともにできていると思う。
「知らないなら一緒に脱出する方法を考えてみない?」
「うるっさいわよ」
「よく考えてご覧。私は不死で、私の騎士も不死だよ。君はすぐに死ぬだろうけれど、私たちはそうはいかない。長い時間が与えられているのさ」
例えここに取り残されたとしても、私にはここから出る方法を考える時間がラルルカより遥かに多いと、彼女に自覚させる。
私が生き延びる可能性があると知れば、彼女がここで仇討ちできずに野垂れ死ぬ可能性もあると分かるはずでしょう。
「そう簡単に生きるのを諦めない方が良いと思うし、こんなちっぽけな世界に私を閉じ込めたぐらいで私を殺した気にならない方が良いと思うよ」
わざと彼女を挑発して発破を掛けてみたのだけれど、少し言葉が強かったみたい。
言い終わると同時に私の下顎が何かに吹き飛ばされてしまった。出血多量によって死ぬまでの間、あうあうおえおえと赤ちゃんみたいに喘ぐしかできなかった。
「アンタって本当、傲慢よね。自分が常に強いとでも思っているつもり?」
「質問で返して悪いけれど、それなら君は、私より強いのかな?」
「当たり前でしょ! アンタみたいな不死が無ければすぐ死んじゃう貧弱魔女と一緒にしないでよ!」
君のその言葉も中々に傲慢だと思うよ。
必死に笑いそうになるのを我慢したけれど、思わず鼻から音が漏れ出てしまった。すると彼女の怒声がすぐに返って来てしまう。
「何笑ってんのよ!」
生き返ったばかりの私の胸ぐらを掴んで、両手の爪を首に突き立ててきた。
両手は私の首を絞めているのだから、胸ぐらを掴んでいるのは一体何かと思ってちらと見てみたら、彼女のスカートの下から1本の影が蛇のように伸びていて、その先端が手の形となって掴んでいたのだ。
ヒューゴ君の言う通り、彼女は夜衣の魔女よりも優秀みたいだ。
「すごいね、君。詠唱も無しに……どうやって魔法を……使ったんだい?」
彼女を素直に称賛すると、すぐに首に掛かっていた手が離れて、私をまるで珍獣でも見るかのように凝視し始めた。
もしかして、彼女は褒められ慣れていないのかな。
「そ、そんなこと、敵に教える訳無いじゃない!」
「私はね。他人の作った魔法にはよっぽどのことが無い限り興味が湧く性格では無いんだよ。魔法陣や詠唱を教えて貰わなくても再現できてしまうからね。でも、君のその魔法には興味が湧いたんだ」
「ふ、ふーん……」
おやおや。この娘さん、案外ちょろいかも。




