互いの正当性2
朝早くだというのに町は騒々しかった。
売り物の食料を荷作りする者もいたし、正装に身を包んで馬車に揺られて町を出て行く者もいた。
彼等が向かおうとしている場所は、草原に建てた建物だった。
道行く町人に誰が建物に行くよう呼び掛けたのか聞いてみたが、どうやら彼等の意志とは関係無く行動に及んでいるようだった。
それでエリスロースが上手くやってくれたのだと分かった。
余りにもことが上手く運んでいて、今までの繰り返しの苦労は何だったのだとさえ思い始めてしまう。
本来の目的を果たすためフーレンの魔法薬店に行くと、店の扉前で3人の男が立ち塞がっていた。
3人のうち2人は屈強そうな若い男で、腰に剣を提げている。
もう1人は白髭を蓄えた老人で、明らかに裕福な者特有の身なりをしていて、2人の男を従えている者であることが分かる。
何事かと近付いてみると、どうやら老人はこの町の長であり、フーレンに対して一冊の本とナイフを渡すよう要求していた。
町長に俺の身分が魔女の騎士であることを正直に明かすと、彼等の信用を損ねる可能性があったため、フーレンから依頼を受けて仕事をしている者とだけ伝えて、店の中に入れてもらった。
フーレンは既に一冊の本と何本かのナイフを手に揃えていて、それらを町長に渡そうかという場面だった。
彼にとって後ろめたい物を町長に素直に渡しているのは、彼が手私たち本に起因していた。
年相応に生きてきたであろう古さを感じる表紙や中の紙に、でかでかと表紙の真ん中に書かれたフーレンという名の文字には十分な既視感がある。
魔女フリアが亡き夫であるマテオにお守りとして渡した本だ。
その本は日記の体裁として書かれており、その本に書いた内容は次の日に起きることと同じになる。その日記を読む者からすれば予言書としか思えないだろう。
実際は危険な魔道具であり、書かれた内容が魔力によって現実を確定させるとんでもない代物だ。
ただし、物理的にあり得ない距離を移動したり、無から有を生み出す等、実現不可能な内容が日記に記されることは無い。あくまで現実的な話で未来を確定させることができるのだ。
俺やリリフラメル、エリスロースを精神的に追い込んだ魔道具は今、フーレンの日記としてここに存在している。
そう。
エリスロースへの頼みごととは、フリアに会って日記を使わせてもらうことだったのだ。
繰り返しが始まってすぐ、エリスロースに山を下りてすっ飛んで行ってもらったのは、昨日のうちに日記を書いてもらいたかったからだ。
今、あの日記の中には、フーレンの目で見たことが書かれているはずだ。
彼が今日体験することになる裁判のできごとが、始まりから結末まで記されている。
ゴブリンと人間の争いを激化させずに丸く収める実現可能な内容を、あの日記に予言してもらうために、最も収めやすいであろう手段の1つとして裁判という形式を取ったのだ。
町で確認すべきことが終わってから、もう1つ用事を済ませて、その後フーレンと共に草原の上の建物に向かった。
当然であるが、彼は自分がこれからどうなるのかを気にして怯えていた。
彼がゴブリンを手にかけることは、残念ながら今までの繰り返しで回避することは叶わなかった。
できるなら彼が苦しい目に遭わずに済むようにことを運びたかったが、こればかりは致し方無い。
ただ、彼をありもしないゴブリン殺しで罰を受けるように仕向けるつもりは無い。
あくまでこの地域の誰をも死なせずに繰り返しを終わらせるつもりだ。
今はただ彼に励ましの言葉を送り、決して最悪の事態になどならないことを伝えてやった。
建物周辺には多くの人間がテントを張っていた。
裁判が始まる前の待ち合いのようなものだろう。
美味しそうな料理の匂いもしていて、大きな寸胴鍋の中身を料理人がかき混ぜている姿もあった。
その周囲をゴブリンたちが囲んでいた。
一足先に出来上がった料理が器に盛られて、別の料理人が恐る恐るゴブリンに差し出すと、ゴブリンも同様に慎重に受け取る姿が見られた。
器と同時にもらったスプーンをぎこちなくも使って料理を口に運ぶと、そのゴブリンはぎゃいぎゃいと騒ぎ出した。
するとまだ食事をもらっていないゴブリンが、一斉に料理人の近くに駆け寄り、食事をねだり始めた。
おっかなびっくりの様子の料理人たちだったが、それでも食事を配ることは止めずに、ゴブリンたちにそれを配り続けた。
この地域の人間とゴブリンたちの初めての交流と言っていいだろう。
その様子を見ていると、突然横からもの凄い勢いで草を掻き分けて、俺の横腹に突進してきた者がいた。
思い当たる人物が1人しかいないから、突進された衝撃に驚いても突進されたこと自体には驚きはしなかった。
「彼等の食事代は払っておいたよ」
「すまない。そのような雑務は、本当は俺がやるべきだったのだが」
リリベルは気にしなくて良いと手で制してから、いきなり指を俺の手に絡めてきた。
その艶かしい仕草は、どきっとするからやめて欲しい。
彼女の行動を止めるように、俺は町で済ませた用事の1つを彼女に見せる。
彼女は袋に包まれたそれを思い当たる節が無いような呆けた顔で見てから、俺に中身を尋ねてきた。
「俺からの贈り物だ」
彼女は俺からの贈り物だと分かると、奪うように袋を取り慌てる必要も無いのに急いで袋を開けた。
「ここに来るまで全く落ち着ける時間が無くて、気が回らなかったが、今日を繰り返したおかげで、衣料品店に立ち寄る機会もできたんだ」
言葉を続けながら、彼女が袋から取り出したのは黄色のフード付きマントだ。鈍い黄色でも明るい黄色でも無く、純然たる黄色のマントだ。
「まあ、その、なんだ。やっぱりリリベルには、その色が似合っていると思うから……そういうことだ」
リリベルが魔女協会を脱してからこれまでの間、彼女はずっと茶色のスカートと白いシャツの上に茶色のジレを着ていた。
黄色のマントなんてこの上無く目立って仕方が無い。
そのような目立つ物を羽織っていれば、必ずどこかで目を付けられて、要らぬ問題を起こすこともあるだろう。
それに、彼女は魔女協会から追われる身となっている。彼女の身に危険を及ぼす可能性は一気に上がるはずだ。
それでも、彼女のこれまでの魔女生を象徴する物が、彼女を彼女たらしめる物が、今の彼女に無いことは寂しいと思っていた。
もっと直接的に言うと、彼女の喜ぶ顔が見たかった。
例え『黄衣』という冠を失ったとしても、俺にとっては今も彼女が黄衣の魔女であることに変わりは無い。
だから、俺は今日の繰り返しの中で見つけた黄色のマントを、この場面で買ったのだ。
彼女はマントを羽織って、その場でくるりと回転して目立つ黄色の布を披露してくれた。
これ程までに酷く周囲から浮く黄色のマントを着こなせる者が彼女以外にいるだろうか。
「君という人間は、どうしてこうも簡単に私の心を滅茶苦茶にしてくれるのかな」
嫌味のようにも聞こえる彼女の言葉だが、声色は柔らかい。
彼女は満面の笑みでマントの端を掴み布を見つめて、「すぐに防護の魔法をかけないとね」とか「破れたら勿論ヒューゴ君の手で直しておくれ」とか言っていた。
喜んでくれたのなら幸いだ。
これから始まる裁判に、不安で一杯のはずのフーレンから咳払いが1つ入ったところで、すっかり俺と彼女だけの世界に浸ってしまっていたことに気付いた。
勿論彼には一言謝りを入れておいた。




