目立たぬ事件性2
日課のようにリリベルたちに、昨日までの今日の繰り返しについて打ち明けた。
どの今日でもリリベルは必ず、普通だったら信じられないような俺の馬鹿げた話を信じてくれる。信じてくれるから、リリフラメルとエリスロースも何となく同調してくれている。
だが、説明する時間にも限りがある。
繰り返しを行えば行う程、皆に話さなければならない内容が増えていく。その内、事細かに話すことをやめて、俺の中で重要だと思うことだけを重点的に話すようになった。
繰り返す今日の中で、俺たちの行動を阻害する最も邪魔な存在はマルムだった。
彼はマルム教の神で、繰り返しを行っている張本人である癖に、繰り返しによる記憶を蓄積できない。自分のこれまでの行いを認識できないのだ。
繰り返す度に未来を確認して、世界が滅ぶと分かれば繰り返しを続ける。
しかも、彼が未来を変えるために取る行動は、聞く限りではほとんどの場合、世界滅亡の回避に導くどころか加速させる悪手ばかりだ。
たちが悪すぎる。
そして彼は、明日の今日も、明後日の今日も、俺とリリベルの仲に嫉妬して襲い掛かって来る。
一片たりとも彼に紛れ込まない愛を求めて、最低でも俺かリリベルのどちらかを含めて、その日は殺され続ける。
最初はマルムに対して、懇切丁寧に俺たちが世界滅亡を回避するために行動していることを説明したのだが、今はやっていない。
マルムが、俺かリリベルの話に聞く耳を持つようになるためには、必ず彼との戦いを挟まなければならないのだ。それだけで確実に今日の内の半日が消費される。
無駄な時間を浪費させられている間に、フーレンがゴブリンを殺して、2種族の間に埋まることの無い溝ができあがってしまう。
この繰り返しにおいてマルムは最悪な存在だ。
まだ悪いことはある。
手立ての打ちようが無い今日というものを、何度か経験することがあった。
繰り返しの始まりでは、必ず俺たちは馬車に乗って町へ向かっている。
その時点でフーレンが既に森に入っていて、ゴブリンを殺す寸前の場面であれば、幾ら頑張ろうともその日は、人間とゴブリンの争いが起きて失敗に終わる。
無駄な1日が発生するのだ。
なにせ繰り返される前の話を誰も関知できないのだ。
メルクリウスが森の外へ出ていたかもしれないし、フーレンが森の中に入っていなかったかもしれない。
繰り返す度に、状況が変化する。
マルムが未来を変えるための行動は、過去すらも変化させているとしか思えなかった。
本当に世界が滅ぶかも分からない。滅ぶかもしれない世界を救うために繰り返しを続けるのは、骨が折れる作業だった。
そして、繰り返すことを「作業」と言ってしまうぐらいには、この状況に慣れてしまった。
1度もフーレンの悪事を止めることができないまま、更に50回程、今日を繰り返した。
似たような繰り返しを経験することがあって、あらゆる場面で覚える既視感に対して、どの今日で経験した出来事なのかを把握することも難しくなった。
リリベルたちに説明するのに、今まで何回繰り返してきたかを話に含めていたが、今となってはおおよその回数でしか答えられない。
紙にメモを書いたところで、明日の今日には消えてしまう。
頼りになるのは俺の記憶だけと言う酷い状況だ。記憶は古くなれば薄れてしまって、曖昧になる。
繰り返しを認知できるのが、リリベルであれば良かったと思うことがある。彼女は興味あることに対しては恐るべき記憶力を発揮できるからだ。彼女の記憶力があれば、経験から導き出せる綺麗な解決案を思い出してくれるはずだ。
だが、彼女が繰り返しを認知できなくて良かったとも思う。
繰り返しを実際に体験している俺だから言えることだが、ほとんど同じことの繰り返し程辛いことは無い。
「ヒューゴ君?」
馬車の中でリリベルたちに、これまでのあらましを説明していたつもりだったが、いつの間にか言葉が途切れてしまっていたらしい。
慌てて話を続けるが、自分のことなのに、自分でも何を言っているのか分からない。何を言えば彼女たちに上手く納得してもらえるのかも分からない。それ程までに俺の頭の中に、今日の記憶が蓄積してしまっていた。
リリベルやリリフラメルが心配して、俺の体調を労わろうとする姿が目に入ってきた。
「あ、すまない。少し呆けてしまっていた」
少なくとも100回は繰り返しを行っているのに、未だに正気を保っていられるのは自分でも不思議だと思う。同じようなことの繰り返しに、いい加減無意味な叫びを上げてもおかしくない頃だろう。
辿々しくも、何とかリリベルたちが状況を把握できるような説明ができたところで、リリフラメルから1つ提案を受ける。
「フーレンがゴブリンを殺すことを阻止するのでは無く、殺した後の争いを止めることはできないのか?」
「それはもう話した」
「ごめん……」
珍しくリリフラメルが悲しそうに顔を下げるのを見て、はっとする。
しまった。
彼女に当たってしまった。
「すまない。リリフラメルが言ってくれたことは何度か試したんだ。上手くいかなかったことを思い出して当たってしまった。許してくれ」
「気に止むなよ。私は苦しんでいるヒューゴの姿を見られるだけで嬉しいのだから」
リリフラメルに気を使わせてしまった。
俺は何と馬鹿な男なのだ。
これ以上、彼女たちを傷付けるような言葉を吐かないように会話を止めて、俺1人だけで物思いに耽ることにした。
荷台の外に目を向けて、彼女たちを視界に入れないようにしながら、今日はどのように動いてやろうかと考えようとした時だった。
俺の顔が両手で掴まれて、無理矢理正面を向けさせられた。
するとほとんど突進するような勢いのまま、リリベルが俺の口に噛みついてきたのだ。
それが噛みつきでは無くて、口づけであることを理解するのには暫く時間が掛かった。
彼女に求められるままに身を委ねて、彼女が満足して口を離そうとしたところで、今度は俺の方から彼女の口を追いかけた。
無意識と言えばいいか、自暴自棄になったとでも言えばいいか。
いつもなら人目を気にしない彼女のそういった行為を咎めるところなのだが、繰り返しによって疲れた心が、タガを外す手伝いをさせた。
リリフラメルが「おーい、また始まったよ」と言って、荷台から御者台の方へするりと移動してしまった。少しばかりの罪悪感を覚えたが、すぐにリリベルに気が向けられる。
今はリリベルしか目に入らない。
名残惜しくも彼女の唇が離れていくと、代わりに彼女の笑顔が現れる。
間近に見える金色の目がとても綺麗だった。太陽や月や星よりも綺麗だ。
「これまで君が経験してきた繰り返しで、こんなに情熱的な口づけを交わしてきた私はいたかい?」
いきなり何を質問してきたのかと思ったが、その質問にはとても答えやすかったのですぐに否定できた。こんなに記憶に残ることは、今までの今日の中で経験が無い。
「ふふん、やったね」
鼻を鳴らして満足そうな顔をすると、彼女は揺れる馬車をわざわざ立ち上がって、腰に両手を当てて胸を張った。彼女が自慢する時に良く取る姿勢だ。
「どんな他の私より、私が1番幸せな思いをしている」
それが彼女なりの励ましであることは理解できた。
理解できたが、それでもやっぱり彼女は変だった。
「自分にさえ嫉妬するのか……」
感想が素直に口に出てしまった。
「愚問だよ、ヒューゴ君。他の繰り返しの私は、私ではないでしょう? 私の知らない私が、君と仲良くしているって分かったら胸も痛くなるさ」
今日もリリベルはいつも通りのリリベルだった。
自分の顔に手を当てたら、自然と表情が綻んでいることに気付いた。
「これは命令だよ、ヒューゴ君。今日は休息を取ること。良いね?」
今日は良い日だった。




