真の明日の方向性
俺が生み出したリリフラメルは、あくまで俺が想像の中にいた彼女の像に過ぎない。見た目や表向きの性格だけなら、リリフラメルその人と言って差し違えは無いかもしれない。
だが、俺は彼女の全てを知っている訳では無い。彼女の心の中を全て再現等できないだろう。
つまり目の前にある偽者のリリフラメルは、俺を助けるために俺の身体の都合を気にしている様子は無いようだ。
至近距離で青い炎に海ごと身体が焼き尽くされる。
加速する死の中で、ほんの少しだけ呼吸が可能になる。ほんの少しだけだ。
尋常じゃなく噴き出てくる泡を食べて、徐々に生き永らえる時間が増えていく。
熱を逃れて身に鎧を具現化してみる。
紙の重さといつも生み出す鎧の見た目を同時に頭の中に浮かべながら、作り上げて身体に着込んだ鎧は、想像通りに軽い鎧となる。
普通の鎧なら重さで水底に沈んでしまうところだが、全くその様子も無い。
鎧の中にあった水が一瞬で泡に置き換わり、兜の中で空気ができあがった。
鎧や兜の隙間から容赦無く水が入って来ているのだが、それでも蒸発する方が早いのだ。
鎧の中で蒸し焼きになってたまに死にながら、やっとまともな呼吸ができるようになった。
肺の中に入るのが水では無くて熱に切り替わると、今度は痛みを感じる余裕ができてしまった。
滅茶苦茶痛い。
それでも痛い方がマシだ。
きっと今が瞬間的な死の回数の頂点に位置しているだろう。
せっかくできた泡が上へ上へ逃れてしまうのはもったいない。
リリフラメルの形を保つために流し込んでいた魔力を少しだけ頭上に向けて放ち、半球の屋根を生み出してみる。
半球の屋根の内側には泡が留まることができるように窪みを作ってある。
だが、窪みにできた空気の溜まりが大きくなると、半球の屋根が遠ざかり始めてしまった。必死に屋根を追いかけようと泳ぐ。
死に物狂いで水を掻き分けて、案外簡単に辿り着けた空気溜まりで、俺はやっとまともな呼吸ができた。
全身が焼け爛れて痛いが、それでもずっとさっきよりマシな状況だ。
肺にまともに入った空気のおかげで、頭が覚醒する。
覚醒した頭で、復活した集中力を元に、俺は全力でリリベルから借り受けている魔力を放出する。
彼女と離れた所にいるはずなのに、どうやって俺は彼女の魔力を瞬間的に得ているのだろう。
呼吸ができたことによる余計な思考が差し挟まれてしまったが、すぐに頭の片隅に追いやって、改めて魔力を放出することに集中する。
今は余計な疑問を考えている暇は無い。
あらゆるものを生み出す力を使って生み出したものは、俺が呼吸するために必要な空気だ。
目に見えないものを想像するのは難しいと思ったが、案外簡単にできた。
海を押し分けて、俺のいる範囲に空気の塊ができる。ひたすら同じ場所に空気を具現化し続ければ、海が空気を押し潰さないで済むのだが、魔力を常に放出し続けていないと空気の範囲を維持できなかった。
だから、身に纏っていた鎧と半球の屋根と偽者のリリフラメルは間も無く海の中で形を失って黒いモヤへと変化してしまった。
消えゆくリリフラメルに心の中で礼を言いながら、今度は言葉で叫ぶ。
何処にいても俺の魔力を感知してくれる彼女の名を呼ぶ。
これだけ魔力を放出したのだから、きっと彼女は勘付いてくれているはずだ。
例え、海の中だろうが空の上だろうが、彼女は気付く。
魔法で俺を引き戻すことができないなら、彼女自身が駆けつけてくれる。俺の愛する彼女はそういう魔女だ。
「リリベエエル!!」
俺にとっての英雄がやって来る。
心を照らしてくれる太陽のような存在が、雷を伴ってやって来る。
周囲一帯の海が、粉々に砕け散り、雨粒のように弾けて、次は爆音と共に蒸発する。
見上げると、一瞬だけ空が見えた。
そして、光が見えた。
直視すれば失明してしまうような光が飛来して、中にあったものが俺に突進して来た。
俺はそれを抱き止めて、海の無くなった地上へ落下する。
地上へ激突する前に、何重にも重ねたベッドを具現化する。
俺は背中からベッドに叩きつけられるが、反動でぽんと吹き飛んで綺麗に2足で着地することができた。
「リリベル、来てくれて良かった」
「主人使いが荒いよね、ヒューゴ君は」
こういうった極限状態で彼女の顔を見るとやっぱり安心する。
彼女に湧き上がる感情を殺して、抱き寄せていたリリベルを地に下ろして、周囲を見回す。やはりというべきか、周囲の海が一時的に他所へ吹き飛んだけで、すぐに俺たちごと空気を押し潰さんと海が洪水のように迫って来ているのが見えた。
「リリベル、作戦通りにマルムへの嫌がらせを始めよう。マルムは俺たちにとって倒すべき敵になった」
彼女はふふんと鼻を鳴らして、片方の手を空へ向けて掲げた。
俺は自由になっているもう片方の手を握って、彼女の魔法を待つ。
未だ海の中で光を保ち続けているマルムが俺たちの邪魔をしようとしてこないのは、慢心だろう。
魔力を得ることが目的なのだから、彼自身は余計な魔力を消費したく無いのだ。なるべく俺たちを無力化できる状況に追い込んで、後は次の繰り返しが起きるまで放っておけば良いとでも思っていたはずだ。
1度目や2度目の繰り返しで、彼は俺たちが何もできないと慢心してしまったのだ。
だから、俺たちは彼に対して嫌がらせができる。
『万雷!』
リリベルの詠唱と共に彼女から雷が放たれた。
彼女が詠唱した魔法は、本来なら相応の準備が必要で、準備万端であれば空から無数の雷が降り注ぐような魔法なのだ。
今は濁流に対処するために、彼女自身から直接無数の雷が放たれている。
爆音が途中まで聞こえたところで、耳と目は一瞬で機能を失い、後に残った感覚は身体の内側にまで伝わる雷の衝撃とリリベルの手の感触だけだった。
かなりの時間が経って、やっと視覚と聴覚が戻り始めたところだった。
再び目に映った景色は、海の中では無くて、俺がマルムに吹き飛ばされる前の穴の中だった。
目の前で座っていたマルムの光のおかげで、黒っぽい鉱石でできた壁や天井が視界一杯に広がっていることが分かった。
マルムは手を振って、俺たちに笑顔を振り撒いている。
僅かに残った彼女の魔力を使って、負った傷を癒やしているとようやく彼の声がはっきりと聞こえるようになった。
「愛する君たちに危害は加えないよ! だから、必要な魔力が得られるまで繰り返しを行わせて欲しい!」
どの口が言うのか。
「私たちに利点があれば良いのだけれどね」
マルムと会話を行い始めたリリベルに対して、思わず「おい」と彼女に声を掛けてしまった。
俺としては彼と敵対しているつもりだから、彼の言葉を聞き入れるつもりは一切無かったのだ。
だが、もしかしたらリリベルの中で、この繰り返しを切り抜ける新たな良策が生まれたのかもしれない。何でも無い風を装い、彼女とマルムの会話を続けるよう促した。
「君たちを1番に愛してあげよう!」
「それはいらない。それしかあげるものが無いなら、別に欲しいものがあるかな」
「何だい何だい? 何でも言ってご覧! 愛する君たちの願いは何でも叶えてあげよう!」
「君の愛を貰わない権利が欲しい」
それはリリベルが他者を拒絶する言葉であった。
滅多に他者を否定しない彼女が、久し振りに相手を拒絶する意志を表したのだ。
「君の愛はこれっぽっちもいらないよ。欠片程もいらない。君の独りよがりな愛と、糞みたいな嫉妬心にも興味が無い。正直な所、君の愛を説く言葉を聞いていると、反吐が出るよ」
彼女にとっては今日、初めて会う神であるはずだが、彼女の心のこもった言い方は、今日だけの出来事から生まれた感情では無いように感じた。
彼女にあるのは、伝えた俺の繰り返しの知識だけのはずなのに、さも彼女も繰り返しを経験したかのように語っているみたいだった。
「魔力が得たいなら協力してあげるよ。ただ、私や私の騎士を気分を害するようなことをするなら、今日のように君の欲しい私の魔力を使い切るからね。何度も何度も」
「そして同時に……」
リリベルの声が低くなり始める。怒った時の彼女の特徴の1つだ。
「必ずお前を消し炭にしてやるよ」
普段の物腰柔らかい話し方をしている彼女が、いきなり乱暴な物言いになって啖呵を切り始めると、俺の胸はついきゅんきゅんしてしまう。
すぐに俺は馬鹿だと自分に叱りつける。今はそのような感情を抱く場面では無い。
彼女と繋いだ手を離さないまま、マルムの出方を窺ってみた。
すると突然、彼は泣き出してしまった。




