ゴブリンの自己主張性2
ゴブリンの中で唯一話の分かる者と言えば、メルクリウスしか知らない。
似たような体型のゴブリンを見分ける方法は分からないが、彼は他のゴブリンと違って王冠を被っている。
草原からはみ出た王冠が確認できれば後は簡単だ。
すぐに王冠を見つけることができた。
「俺はメルクリウスの所へ行ってくる。皆は町へ行って人々を助けて欲しい」
「えー。私も君と一緒に行きたいな」
「ゴブリンたちを殺さずに人々を守ることができる皆にしかできないことなんだ」
「ふふん。それなら仕方ないね」
「それともう1つ。彼等には自分たちが魔女であることを知らせない方が良い。きっと余計に恐怖を煽ることになる」
気を良くしたリリベルを先頭に3人は町の中へと走って行った。
嘘を言った訳でもお世辞を言った訳でも無い。俺は彼女たちを信頼している。
馬車の荷台に張られた幌の一部を切り裂き、御者台の手すりを破壊して長柄を作る。その1本の木材の先に幌の布を巻き付ける。
風になびけば旗に見えるだろう。白旗だ。
ゴブリンに白旗の意味が理解できるのかは分からない。
旗を掲げて進んでも、ゴブリンに襲われるかもしれない。
だが、これはあくまで保険のようなものだ。
牙で噛み付かれようが、爪で切り裂かれようが別に構わない。
どうせ俺は本当の意味で死なないのだ。
1、2回ぐらい死んだって気にならない。
周囲の異変に気付いた大馬ヴィルケが落ち着かない様子で頭を振っていたので、彼の前脚を撫でてやる。
人慣れしたこの馬は、俺が触れても怒って蹴り上げたりはしない。
「言葉が通じるかは分からないが、ゴブリンを蹴り殺してくれるなよ」
大馬が1つ嘶く。何の意味を込めて嘶いたのかは分からないが、俺にとって良い返事をしてくれたと思い込んでおくことにする。
白旗が良く見えるように高く掲げながら、月の光に鈍く照らされた王冠目掛けてひたすら走る。
草原のあちこちで、風で揺れたのとはまた違う揺らめきをする草があった。それら全部がゴブリンの進行であることは明らかだ。
また王冠の近くには、草むらよりも高い人工物が見える。その人工物は時折、勢い良く振り上がって岩を上空へ吹き飛ばしていた。投石機だ。
早く王冠の持ち主メルクリウスに頼んで、投石機の動きを止めてもらわなければならない。
見える限りの揺れ動く草を避けて、全速力で駆ける。歩きやすいとは言えないでこぼこした地面に何度も足を取られながらも、それでも転ぶことは無く、王冠に向かって叫ぶ。
「メルクリウス! ヒューゴだ! 話をしたい!」
俺の声に反応した草むらの下のゴブリンたちが、一斉に俺の方へ進み始めたことに気付く。
しかも、先程まで見えていた王冠が草むらの下に隠れてしまった。彼にとっては今日会ったばかりの男だから、此方が叫んだところで威嚇にしかならないと気付く。
それなら草むらを照らすしかない。
『極光剣!!』
手に持った白旗に魔力を集めて塊にする。
本来は魔力の塊を武器に保持して、攻撃と共に魔力ごと放つ魔法なのだが、保持し続ければ途轍も無く眩しい明かりになってくれる。些か眩しすぎるのが問題ではある。
近くまで来ていたゴブリンたちが悲鳴を上げて、俺から離れていく。
夜襲のために明かりも携ずに、夜目を効かせた彼等にとってこの光は目に毒だろう。
光り輝く白旗を持ちながら、王冠が最後に見えた所まで駆け抜けてもう1度叫ぶ。
「メルクリウス! お願いだ! 話を聞いて欲しい!」
あちこちでゴブリン語が聞こえるが、彼等の姿は未だに見えないままだ。
投石機も今は動きを止めている。眩しさで町という目標を狙うことができなくなった平気は、今はただの置き物と化している。
俺の叫びの後、すぐに彼が返事をくれた。
「分かった分かった! だからその光を止めないかね!」
草むらから渋々顔を出したメルクリウスが、両腕一杯に顔を覆って光を防御している。
彼の位置を完全に把握したから、これ以上の発光は必要無い。
白旗に集めた魔力を上空へ解放してやると、すぐに周囲は暗闇に戻った。
「やれやれ。誰かと思えば魔女の従者かね。何の用かね」
俺は未だに視界のあちこちに光の跡が残っているのに、ゴブリンの彼は既に俺の姿を把握できているようだ。
どうやらゴブリンはすぐに夜目を利かせる能力があるようだ。彼等の視界はもう正常なのだろう。
「攻撃を止めてください。俺と魔女リリベルが、貴方たちの住処を必ず取り戻してみせますから」
「君たちには悪いが、我々は人間たちに攻撃する権利を行使せねばならぬのだよ」
「なぜですか。お昼に会った時には、そんなことは一言も話していなかった」
「全ては仲間の死とメルクリウス様のお告げなのだよ」
メルクリウスは懐から1本の牙を取り出して俺に見せた。
視界の一部は正常に戻っているので、そこから牙を確認することはできた。
「これは……?」
「我輩の仲間のものだよ。彼は逝ったのだ……人間に殺されたのだ!」
「そんな、馬鹿な」
メルクリウスは人間への憎悪を一杯に地団駄を踏む。
1度目も2度目の繰り返しでも、ゴブリンが殺された事実は無かった。無かったはずだ。
もし仲間が殺されたのなら、次の日にメルクリウスに会いに行った時に絶対話題に上がるはずだ。
だが、今までそのような片鱗すらも、彼との会話から出てくることは無かった。
しかも、メルクリウスのお告げとやらも今までに無かった出来事だ。
彼が尊敬するメルクリウスなる者とは十中八九、山にいるマルムという神のことで間違い無い。マルムがこの日にメルクリウスと接触したことも初めての出来事だ。
これまでと話の進む過程が全く異なっていて、混乱せざるを得ない。
「君たちが森を出た後、我輩の息子たちは森で食糧探しの続きをしていたのだよ。1度は戻ってきた息子たちだったが、1人足りないことに気付き、捜索を命じた」
「だが、捜索の必要は無かったのだよ。我輩の城のすぐ近くで見つかったのだ」
「木に括り付けられて殴打されて死んでいたのだよ」
怒りに乗って彼の言葉は矢継ぎ早に出てきた。
仲間を殺された憎しみが、俺の心にぐさぐさと突き刺さる。
「我々が仲間の死に悲嘆に暮れていると、メルクリウス様がいらしたのだ」
「貴方が神聖視するメルクリウスの名は、その人のことを指すのですか?」
「無論だとも。メルクリウス様は我々に真実を教えてくださったのだ。息子を殺したのは人間たちの仕業だったと!」
「ま、待ってください! 本当に人間が殺したのですか?」
「メルクリウス様の言葉に嘘は無いのだ! それに、わざわざ木に括り付けて息子の尊厳すらも殺す、悪魔のような所業を成せる者が、この地には人間の可能性しか無いのだよ!」
木に括り付けて死体を晒すという行為は、その行為自体に悪い意味があると理解できる種族にしかできないことだ。ある程度知能を持った者にしかできない芸当だろう。
だからメルクリウスの言う通り、人間の仕業に違いないという言い方も理解できる。
だが、ゴブリンたちの中の誰かがそのゴブリンを殺した可能性だってある。人間だって人間同士で争い殺し合うのだ。
ゴブリンによるゴブリン殺しが無いとは言い切れないはずだ。
しかし、そのことを彼に問うことはできなかった。
仲間を殺されたことによる怒りに満ちた彼に、仲間を疑うような発言をすれば俺との信用すら失う。修復不可能なまでに関係性がこじれる可能性だってある。
そうならないのは、中立を保とうとしたリリベルという魔女の存在があったからこそだ。
更に、彼にとって最も崇敬できる存在であるマルムのお墨付きもある。仲間を殺した犯人は人間だと、信じて疑うことは無い。
「傲慢で残虐な人間共に、仲間を殺された悲しみがどのようなものなのかを味合わせてくれよう!さもすれば少しは傲慢さと残虐さが鳴りを潜めてくれるであろう」
「犯人が分からないのに無差別に人間を殺そうとするのは、ゴブリンの誇りに傷を付けかねないと思います」
「先に手を出したのは人間たちだ」
どの口が言うのだと思った。メルクリウスのことではなく、俺のことだ。
散々、たくさんの人を傷付けて殺して恨みを買って来た俺が、誇りを口にする資格は無いはずだ。
傷口にずかずかと刃が突き刺さって、胸が痛くなってくる。
だが、それでも俺は言葉を続けなければなならない。
俺は英雄ではなく、ただの人殺し魔女殺しの悪党だ。
俺の個人的な感情を優先して、俺の望むままの結果に導くために、町の人々とゴブリンたちの争いを避けなければならない。
血だらけの心を無視して、メルクリウスに懇願してみるが、彼が頷くことは無かった。
彼が怒りに支配され切ってしまっていることは勿論だが、もう1つはマルムの存在が大きいだろう。
マルムの行動は、明らかにゴブリンたちに復讐を助長させている。
愛だ何だと散々言っていた彼が、争いごとに向かわせるような言葉を本当に言ったのかと気になった。
だから
「貴方が言うメルクリウス様とは、『愛』を良く口にしていましたか?」
「それを聞いて何が解決すると言うのか……」
余程予想していなかった質問なのか、彼は呆れたような口調になった。
「君の言う通りだ。メルクリウス様は我輩に愛を説いてくださったお方なのだよ」
ゴブリンたちにも人々にも命を落として欲しくない。
だが、ゴブリンの王様メルクリウスは、怒りとマルムの助言により攻撃を止めようとはしない。
そして、ゴブリンを殺した犯人が本当に人間なのか疑わしい。わざわざ森に入ってゴブリンを殺して晒す理由が分からないからだ。
いつマルムの魔力補充のための繰り返しが終わるかは分からない。
もしかしたら今日の出来事がそのまま真実となり、この地の人間とゴブリンたちが争い続ける物語になってしまうかもしれない。
だから、山に行かなければならない。マルムと会話して確かめなければならない。
そして、願わなければならない。
今日の出来事を真実にしないように懇願しに行かなければならない。
メルクリウスが人間たちへの攻撃を止めてくれる言葉が見つからないまま、まじないのように「今日1日だけでもどうか攻撃を待って欲しい」と彼に言うだけ言ってから、俺は山の方へ走り出した。




