巡る完璧な致死性2
地上に戻ったのは良かったが、ここがどこなのかは見当がつかなかった。
先程まで胸元に収まっていたリリベルだが、今は彼女を解放して自由に歩き回っている周囲を確認しようとしていた。
ほんの少し前まで無限に続く痛みにひたすら耐えていたのに、今は周囲の物見を始めているのだから切り替えが早い。
だが、死なずとも精神は確実に摩耗しているはずだ。空の上にいた間、彼女はずっと強く俺を掴んでいた。彼女は人前で弱い部分を見せたがらない矜持の持ち主だ。端的に言うと強がりなのだ。
「リリベル」
「何かな?」
いつも通りを装うとする彼女に、背を向けて屈んで手を後に広げて待つ。
彼女は若干の嫌そうな顔をして、手を胸に当ててから拒否の言葉を広げた。
「ヒューゴ君。これでも私は日々成長しているのだよ? いつまでも子どもでは無いのだよ」
「分かったからおぶされ」
「分かってないよね」
嫌々言いながらも、割とすぐに彼女は俺の背中に身体を預けた。
何だ。言葉では拒否しているが身体は正直じゃないか。
今いる場所が標高の高い場所であることは分かった。
草原地帯を歩いていると、遥か遠くの景色を覗くことができる場所に辿り着いた。今いる場所よりも低い地がある。
ただ、ここがどこなのかは全く分からない。
目印になりそうな場所がどこにも無い上に、周辺で見かける生き物やどれも珍しいものでは無い。
「海に落ちなかっただけ幸運だが、これじゃあ俺たちがどこにいるのか分からないな」
「君と2人きりだから、私は困らないよ」
おそらくリリベルは本気で言っているのだろう。彼女を慕っている者がいるということを自覚して欲しいものだ。
もしかしたら、慕ってくれる者がいると知っていて尚、俺以外に興味が無いと言っているかもしれない。かもしれないというより、十中八九合っている。
「そういえば、ヒューゴ君。君は夢を見ていたと言っていたね」
「え、ああ」
「私もリリフラメル君もエリスロース君も覚えが無い話で、そして君だけが見た夢の内容を現実だったかのように話していた」
俺にとっては昨日起きたはずの出来事だったが、誰も知らないのだから夢だったと片付けるのが普通だろう。
当然、彼女に肯定で返答する。
「もしかして、今までの出来事は夢の内容と似ているのかな」
「そうだな。似ている。夢ではリリベルは、昨夜酒を飲んで酔っ払っていたし、山の中に入ったのは俺とリリフラメルだった」
「ふうむ」
彼女の吐息が耳元に常に当たっていて、こそばゆい。耳を掻きたかったが、我慢して草むらを掻き分けて他の目印が無いか探して回る。
すると考えごとから意識を戻したリリベルが1つの可能性を提示してきた。
「私たちは1つの時間の中に囚われているのかもしれないね」
彼女は昨日のことを覚えていないはずなのに、今日起きた出来事が夢で見た内容と似ていると騒ぐ俺の言葉をあっさり信じてくれた。
そして、その上で1つの可能性を提示してくれたのだ。やはり彼女は心強い存在だ。
彼女は昨日のことを現実に起きた出来事だと認識してくれたのだ。
たった1回同じような出来事を繰り返しただけなのに、1つの時間に囚われていると思った彼女の発想には興味があった。
彼女に詳細を尋ねてみる。
「私は君の言葉を全て鵜呑みにしちゃうからね。それで、君が見た夢だと思っていた内容と似たようなことを、先程私も一緒に体験してみて1つ思う所があったのだよ」
「私と君を流れ星にしようとしたメルクリウスという男は、確実にただの魔法使いでは無いでしょうね」
「そして、それ程の力を持つ彼が魔力を欲していたなら、きっとそれは並の魔力量では無いのでしょうね」
リリベルの話を聞きながら、もっと景色の良い場所を求めて上へ登って行く。
「昨日のリリベルの話とメルクリウスの話を全て本当だとするなら、彼は神様かそれに近しい存在なのかもしれない」
「ふふん、確かマルムと言う名もあったと言っていたね」
「ああ。もし彼が神様でマルム教の信徒から魔力を貰っていたなら、本来の力を使うことができない状態なのかもしれない」
「それなら、時間を繰り返す理由が見つかったね」
足を止めて顔を振り返ると、非常に間近に彼女の顔が視界に入った。彼女は俺の好きな笑顔で俺のことを見ていた。
マルムもしくはメルクリウスが時間を繰り返す理由。
「必要な魔力を効率良く得るためか?」
「かもねー」
合点はいくが、まだ似たような出来事を合わせて2回繰り返しただけだ。
途轍も無い偶然に偶然が重なっただけかもしれない。それこそ奇跡のような偶然が。
いや、神様だからこそ奇跡のような偶然を引き起こせるのかもしれない。
それなら彼が俺たちを空の上に吹き飛ばして殺そうとする理由も察しはつく。
魔力を得ようとしている彼を、山から追い出そうとする俺たちに良い感情は抱いていないはずだ。取り分け俺とリリベルは、彼の望んでいそうな答えを返すことができていない。
俺はメルクリウスよりもリリベルを愛しているし、リリベルもメルクリウスより俺を愛しているのだ。彼の期待する言葉なんて返すことができる訳無い。
「そして、なぜか君だけが彼の時間の繰り返しを認識することができている。その理由は分からないけれど、どうやら今回の話は君だけが頼りのようだね」
「だが、どうすれば良いんだ。彼が魔力の調達に満足するまで耐えるしか無い気がするぞ」
「耐える必要は無いよ。殺してしまいなよ」
滅茶苦茶なことを言う主人だ。
再び歩き出してしばらくすると、草原地帯を抜けて岩が転がる地帯に入る。
視界には岩場の向こう側の景色が見られそうな尾根がある。今度はそこに向かって歩き始めた。
「無茶を言うな。神様だぞ」
「君と私を酷い目に遭わせる神様なんて、ろくな神様じゃないよ」
「リリベルってまるで姫様みたいだな」
「ひ、姫!?」
ああ、口が滑った。正直な感想が出てしまった。
背中の彼女がもぞもぞ動き始めて、坂を登るための平衡が失われて転びそうになってしまったが、何とか足に力を入れて耐える。
若干背中が熱くなった気がする。
「今のは忘れてくれ」
「ふ、ふうん。まあ、そうだね。まずは3度目の私にもう1度ことのあらましを説明して欲しいかな」
リリベルはそう言うが、果たして上手くいくのだろうか。
ほとんど似たような出来事が起きるということは、俺たちがどのような小細工を弄そうと、結果を変えることに繋がらないということではないか。
現に、メルクリウスの愛に関する問いに対して、俺は必死に彼女に答えないよう進言したのに、彼女は俺の言葉を丸っ切り無視して会話を進めていた。
まるで俺たちが空の上に飛ばされるという結果のために、必要な会話を強制的にさせられたみたいだった。
その不安ごとをリリベルに相談してみると、彼女はとち狂った話を始めた。
「どうしても私の動きを止めたいなら、1つ確実な方法があるよ」
「それは一体?」
「私を犯せば良いのさ」
「却下だ」
「ヒューゴ君のことを愛している私なら、君に求められてしまえば、その他一切のことを無視するはずだよ」
「却下だと言っているだろ!」
これだから気狂いは困るのだ。「神様の思い通りにもならないし、君は私と良い時を過ごせるしで、一石二鳥なのに」と呟く彼女を無視して俺は歩を進めることに集中する。
百歩譲って彼女とそういった行為に及ぶことになるなら、俺の意志で行いたい。
不可抗力で行為に及ぶことになるのは嫌いだ。女々しいとか気色悪いとか言われても構わない。リリベルの過去を知っているからこそ嫌なのだ。
ようやく尾根に辿り着くと、どうやらここが周囲よりも高い位置にある山だということが分かった。
尾根の頂点から遠く先の景色まで、ぐるりと見渡すことができた。
そして、遥か向こうに見えるとある1つの山に目が止まる。
「やけに眩しい山だね」
背中にいたリリベルが顔を突き出して、そして額の前に手で影を作ってその山を凝視していた。
ここからでも顔を背けたくなる程の光を届かせたあの山は、きっとメルクリウスがいる山だ。
眩しさに当てられて目を細めた所で、いきなり視界が目まぐるしく回り始めたような感覚に陥る。
気持ち悪い感覚だった。岩場に立っていた時の地にしっかりと足が着くような感覚が突然変化して、すぐに柔らかい草原に立っていると気付く。
草木の匂いと心地良い風が吹いていて、細めた目を再び開いた時には、リリベルを背負ったまま見慣れた馬車の前にいると分かった。




