巡る良心に基づいた残虐性2
夢と同じで、角を曲がった先にある部屋に彼はいた。
鮮やかな多色の布の集まりが一種の祭祀服にも見えるが、それでも服というには奇抜が過ぎる。最も特徴的なのは、光っている丸い物が服のあちこちにくっついていて、彼をこれでもかと照らしている。
夢で見たままの彼が、そこにいる。
まるで正夢のようだ。夢で見た出来事と同じような状況、同じような台詞が展開されていて、止めどない既視感の嵐に襲われている。
あの夢が正夢なら、これから起きるかもしれないことに対して危機感を感じざるを得ない。
「人間のお客と魔女のお客だ! 2人とも何と可愛いのだろう! さあ早くこちらへ!」
俺はリリベルの前に出て、彼女が光に誘われないよう阻止する。
俺が彼女を庇う姿を見た彼は、自ら立ち上がってこちらへ近付いて来た。
光る丸が非常に鬱陶しい。
「止まれ。近付くな」
そう注意した瞬間には、まだ距離があったはずの彼が、既に俺を抱き締めていることに気付いた。
彼はそのまま愛おしそうに俺の頭を撫で始め、思わず全身に鳥肌が立つ。男に抱き締められているからでは無く、度重なる既視感に身体が必死に抵抗をしようとしているからだ。身体は、今すぐここから逃げろと言っているのだ。
「あ、ヒューゴ君! 浮気は許さないよ」
「彼のことは愛している! けれど勿論、君のことも愛している!」
言うが早く彼は俺から離れてリリベルを抱き締めようとし始めたので、俺はそれを食い止めるべく、彼を思い切り抱き締める。
彼が俺を抱き締める腕と、俺が彼を抱き締める腕が絡み合って、中々見苦しい絵面がリリベルには映っているだろう。俺の顔がもっと2枚目顔なら、少しはマシに見えたかもしれない。
「彼女を抱き締めるのはやめてくれないか?」
「もしかして、君は彼女のことを愛しているのかい? すごい! 君たちは愛で一杯なのか!」
愛、愛、愛と五月蝿い。
高まった警戒心は、リリベルへ近付けさせないようにと掴む彼への腕の力をより強めさせる。
夢の通りなら俺は彼に対してゴブリンたちの住処を明け渡すように願うのだが、それを言葉にしたくは無かった。
その会話から続いて、彼は俺たちに自身への愛を確かめようとしていた。
そして、『はい』とも『いいえ』とも回答できないまま、嫌な予感を感じて逃げた果てに、一瞬の内に暗闇の空の上に移動させられるのだ。
これは単なる偶然だと信じたいが、ほとんど嫌な予感に支配された俺は、この後に起きるかもしれない事象を避けて一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
「さあさあ! 理由無くここに来た訳では無いのでしょう? 聞かせて欲しい! 愛しい君たちの言葉を!」
夢で聞いた一字一句同じ言葉がここで復唱される。
「ここに元々住んでいたゴブリンたちが、家が無く困っているようなのだよ」
「ああ! ゴブリンたちを追い出したのは私だよ」
あれだけ強く掴んでいたはずの彼の身体の感触がいつの間にか失われていて、彼は3歩程後ろに下がった状態で立っていた。
俺の腕は空を掴むように突然空振る。その様子をリリベルは見ていたはずなのに、特に疑問に思っている節が無かった。
リリベルは俺の代わりにゴブリンについて言及し始めた。
リリベルと彼の会話が進む前に、振り返ってリリベルを抱え上げてこの場から逃げるしかない。
「マルム! 俺たちは誤ってこの穴に入ってしまったようだ! すまない! すぐにここから立ち去る!」
「ああ! ああ! 私の名はたくさんあるから……ああ、そうだ! 今日はこれが良い! 私の名前はメルクリウスだ!」
彼はマルム改め、メルクリウスと名乗った。
ゴブリンの王様が、自身が尊敬する名で呼んで欲しいと言った名と同じ言葉が彼の口から飛び出る。
胸の鼓動がより高まり、命の危険を感じさせる。
「リリベル! 一旦ここを出よう!」
もうなり振り構っていられなかった。
確実に夢で見た内容の終着に向かい始めている。今この時ですら夢であってくれと祈りたいが、確かな手足の感触がそれを拒否してくる。
「君がここで何をしているのかは知らないけれど、ゴブリンのためにここを明け渡して欲しいよ」
「リリベル!?」
彼女に俺の言葉は届いていなかった。
通常ではあり得ないことだった。彼女は他の者の言葉よりも何よりも、俺の言葉が先に耳に届く魔女だ。彼女が俺のことを好きだからこその性質なのだが、それが今はまるで、俺のことが視界に入っていないような口振りになっている。
「可愛い君たちの願いを聞かない訳が無いよ! もちろん、出て行くよ!」
「物分かりが良いね。明日にでもゴブリンたちをこの穴に戻すつもりだけれど、良いかな?」
「勿論!」
メルクリウスとリリベルの中間にいる俺そっちのけで、2人だけで話がまとまっていく。夢と同じように。
「私からもお願いが1つだけあるんだ!」
「何かな」
「私は君のことを愛しているから、君の願いを幾らでも叶えてあげたいって思うんだ! 君はそんな私のことを愛してくれるかな?」
既に俺は松明を床に投げ捨てて、リリベルを抱え上げていた。
リリベルは簡単に抱き上げられて、この部屋から離れようとしているのに、それを意に介すること無く、メルクリウスとの会話を続けた。
「リリベル、喋るな!」
「愛する訳無いでしょう。私が愛するのはヒューゴ君だけだよ」
「君はヒューゴっていう人間をとても愛しているのだね!」
既に部屋を出て、背中に光を感じている程度まで走っているのにまだ2人の会話が続いていた。
余りにも気色悪かった。まるで演劇でも見ているようだった。台本の流れを絶対として、それ以外の展開を望まないような強制力が働いているようだった。
光が徐々に遠ざかって、視界一面が暗闇に包まれて方向感覚が分からなくなり始める。壁に何度か肩をぶつけながら、それでも何とか進んでいると、突然耳元で声が聞こえた。
少しは距離を離したと思っていたメルクリウスの声が、極々間近にいるかのように、俺に耳打ちするかのように囁いてきた。
今の俺は死ぬことは無いが、心臓が止まるかと思った。
「ヒューゴ。君は、リリベルと私、どっちをより愛しているのだろう?」
暗闇の中に突然、丸い物体が現れた。
遠くに小さな丸い光があって、そのすぐ手前に巨大な丸い物体が存在している。
緑と白と青の模様が入り組んだ丸は、とても綺麗だった。




