良心に基づいた残虐性
夜が明け太陽が昇り始めたところで、ゴブリンたちのために買った大量の食糧を荷台に積み、俺たちは町を発ち山へと向かった。
フーレンから買った魔法薬は効き目抜群で、酔いの後の悪心はすっかり無くなった。
町から山へ向かうのに整備された道は無く、草原を突き抜ける形になったが、ヴィルケのおかげで車輪に石が挟まろうと泥に取られようと力ずくで通ることができた。普通の馬ならまず進むことはできなかっただろう。
整備された道が無いことを考えると、ますます町の人たちは関係ないのではないかと思えてきた。
普通なら鉱石を町へ運び込むための道ぐらい整備するはずだろう。
相変わらずの心地良い風を身に受けながら、最悪の乗り心地と共に山の近くまで辿り着く。
高い木々が目立ち始め、これ以上馬車に乗って先に進むことはできないというところで、俺とリリフラメルが馬車を降りて先に進む。
リリベルとエリスロースには馬車で待ってもらう。
昨夜のリリベルから受けた暴力が記憶にしっかりと刻み込まれてしまった俺とリリフラメルは、しばらく彼女の近くにいることができなくなってしまった。
怖い。本当に怖いのだ。
リリベルが昨夜の酔いのことなど全く覚えていない様子だったことが、尚更幸いであった。昨夜の彼女自身の行いを彼女が知ったらきっと衝撃を受けるだろう。
彼女からしてみれば俺とリリフラメルが彼女を避けている理由が分からず、かなり悲しんでいた様子だったが、エリスロースに何とかしてもらう他ない。彼女なら上手くやってくれるという信頼はあった。
勿論、リリフラメルとエリスロースからはいつか必ず彼女の性質を話すようにと注意されたので、俺の心の傷が癒えたところで打ち明けようと思う。
森に入ってからは、リリフラメルに来た道を間違えないようにと通る木々を熱で焼き付けさせた。
指に灯した赤い揺らめきが木に触れると共に、焼かれる音が聞こえて黒焦げていく。
今の彼女の魔力の源は、この歩き辛い入り組んだ森にある。伸びた木の根や急な地面の段差に彼女が足を取られるたびに、ぶつぶつと小言を言っているからきっと小さな怒りが沸いているはずだ。
歩く途中で彼女から木々を焦げ付かせることについての質問を受けた。
「確か、緑衣の魔女だっけ? 植物を通してその地で何が起きているかを把握することができる魔女がいるのだったよな」
「ああ。そいつがどうしたんだ?」
「こうやって木を痛めつけたら、ソイツに私たちのことを知られてしまわないか?」
その疑問に答えるのは簡単だった。同じ質問をリリベルにしたことがあるからだ。
「多分痛めつけなかったとしても、緑衣の魔女は俺たちがどこにいるのかを確実に知っているだろうな。どこを行こうともこの世界の中で植物が全く無い所は中々無いだろうし」
「大丈夫なのか?」
「元魔女協会にいた彼女から聞いた話だが、彼女たちは自分たちの欲望を満たすことに忙しくて、わざわざ大海を越えて俺たちをどうにかする程の熱意は持っていないそうだ。彼女たちの頂点にいる紫衣の魔女でさえもな」
「そうなら良いけれど……」
「ただ、恐らくたった1人だけ、どんな困難に遭おうとも俺たちを殺そうとする者がいる」
その者の名を尋ねるリリフラメルに俺は「ラルルカという名の魔女だ」と答えた。
最後に見た彼女の顔を今でも忘れることはできない。
ノイ・ツ・タットで出会ったリリフラメルの時と同じように、憎悪や怒りで支配された者の表情は強く印象に残る。
輝きを失った目つきが、眉間に寄せられた皺が、極限まで下がった口角が、確かな敵意を向けていることを簡単に教えてくれていた。
今までの経験則から言えば、それ程強い怒りを持った者は、必ず殺したい相手を殺しにやって来る。嫌な自信だが、この自信は間違い無いと俺は思っている。
夜衣の魔女の弟子であるラルルカはその余りある才能のせいで、師匠である夜衣の魔女から嫉妬を受け殺される予定だったのだ。
元歪んだ円卓の魔女の1人であるリリベルに立ち向かうために、彼女は必ず成長する。彼女にはそれを実現できるかもしれない才能がある。
リリフラメルになぜ殺せる時に殺しておかなかったのかという怒りを受けたが、リリフラメルと同じ境遇にさせてしまったことを告げると、しばらくの間彼女は黙ってしまった。
彼女だって、最悪な境遇の中で生きてきたのだ。
だから、ラルルカに貶されたことのあるリリフラメルでも、少しは同情してくれたのだろう。
そう思っていたが、どうやら彼女が再び出した答えは俺の想像とは異なっていた。
「それこそ殺してくれた方が良かった。辛く苦しい思い目に遭わせるぐらいだったら、いっそのこと楽に死なせてやれば良かったんだ」
ラルルカに同情しているからこそ、リリフラメルは潔癖な正義を歪ませて答えた。
誰よりも他者の死を嫌い、自身にかかった呪いによって怒りに支配されて他者を殺してしまうことを他の誰よりも怒る彼女が、簡単に殺してしまえと言うのは、相応の気持ちが含まれているだろう。
だから、彼女に何と返してやれば良いのか分からなかった。
森を歩いていると、突然目の前に鏡のように綺麗な壁が現れた。
実際に鏡のように反射している訳では無く、凹凸が全く無いのだ。
壁際に立ってそこから上を見上げると、目で確認できる先までその壁は綺麗に平面にできていた。
本当に、綺麗に縦にぶった斬られたような山だった。
見た目は土の色では無く黒っぽい。
触ってみると硬い。とても硬かった。拳でノックすると強く反発するその黒っぽい壁は、どう考えても鉱石としか思えない。
ともなるとこの壁一面が全て鉱石なのだろうか。本当ならすごい話だ。
その綺麗な面沿いに山を歩いていると、やがて人工物が見つかった。
何本かの木枝を組み立てて作られた篝火だった。
そして、篝火の近くに、1つの穴があった。
とても硬い壁にどうやって穴を開けたのか気になるが、入り口から覗いた程度では最奥が分からないぐらい暗闇が続いている。反響する足音からしても相当深いことを窺わせる。
ただ、困ったことに誰もいない。
入り口近くにも人間の姿は見えないし、入り口近くで穴の奥から音がしないか耳を澄ましてみても、人の声など全く聞こえてこない。
「中に入って誰かいないか確認しよう」
そうリリフラメルに告げると、彼女は穴の暗闇に光を確保するために、魔法で自らの手を燃やし始めようとしたので、慌てて止める。
代わりに、篝火に残った火を貰って松明を作って彼女に見せる。
「こっちの方が痛くないだろう」
リリフラメルを気遣って言ったのだが、彼女は特に反応せず穴の中に入ろうとしたので、俺は駆け足で彼女の後ろに付いて行った。




