とある船乗りの死について16
レオがリリベルから離れると彼女は力無くその場に倒れ伏した。
レオは彼女がぴくりとも動かないことを確認すると、今度は俺を怯えた目で見つめ始めた。目が合うと共に彼は、鼻息を荒立てて燭台を振りかぶったまま突進する。
フリアを止めたルーカスはレオの動きをただ注視しているだけで、アルバロもまた同じだった。
だが、ルーカスはどこか期待の眼差しを向けているのに対して、アルバロはただ目をきつく絞って睨みつけるだけだった。
レオには悪いが、火かき棒1本で彼を制圧することは容易い。
俺には、荒れた海に立ち向かえる筋骨隆々の肉体も無ければ、厳しい世界で生き抜いた証の顔つきなんかも無い。
だが、リリベルと共に過ごしてきたこれまでの経験から、俺は船乗り1人をいなすぐらい訳無い戦いの技術を身につけている。自信はある。
ただ、この技術で守るべき主人が今まさに死んでしまっているのだが、これは彼女と俺の作戦の一環でもあるから、俺の不手際には数えないものとする。
蹴飛ばした椅子が、レオの足に絡まり前につんのめる。そんな彼の顎に目掛けて、火かき棒を逆に持ち変えて取っ手部分を叩き込む。
衝撃で歪んだレオの顔が間も無くだらしなく緩んで、そのまま床の上に倒れ込んだのを確認してから、彼の衣服を剥ぎ取って彼の両腕を後ろに回して縛り付けて、倒れていない他の椅子に座らせる。
アルバロもルーカスもただただ呆気に取られていた。
痛みで呻き声を上げていたレオが、はっきりした意識を取り戻すのを待ってから、俺は改めてアルバロとの会話を続けた。
「もう1度聞きますが、『無駄』とはどういう意味ですか」
「……」
「答えてくれないなら、この話は後回しにしましょう」
俺は火かき棒を暖炉の横に戻してから、先程暖炉の中から取り出した焦げた鋭利な物を取り出す。元は何だったのか分かりにくくなってしまう程に焦げ付いているが、どう考えてもナイフであることは一目瞭然だ。
そして、このナイフの特徴的な点は、これだけ火で燃え続けていたというのに、なぜか生々しく血が付着していることだ。焦げていない正真正銘の血液だ。
「この刃物が暖炉の中に入ってました。血が付いているところを見ると、これが2人を殺した凶器でしょう」
「恐らくその服にも血が付着しているのでしょう。貴方は人を殺して衣服を脱ぎ、それでナイフをくるめて移動し、もう1人を殺した。血で濡れた手はその衣服で拭き取れば、床に血が垂れて誤って靴で踏んでしまう心配は無い」
「行き来する扉なんかは肘でも使えば開けるし、幸運にも外は嵐だったし、雨で身体ごと洗い流してしまえば後は分からない」
「ついでに、血のついた衣服や凶器のナイフを捨てようとした。ナイフを衣服にくるんでどこかに投げ飛ばしてしまえば、きっと見つけられないでしょうから」
いっそのこと盗賊のせいにして部屋の中を荒らして、廊下も泥まみれにすれば良かった。
だが彼の用心深い性格が、自分にとって都合の悪い証拠を残したく無い動きをさせたのだ。
そして、もう1つ。
証拠を外に隠せば良いのに隠さなかった理由がある。
「でも、血の付いた衣服とナイフは、なぜかこの家に戻って来てしまう。貴方にとってみれば、恐怖でしか無かったでしょう」
エリスロースの死体を見つけた時、彼女の血が全く動きを見せなかったことに疑問を持ってそこで気付いたのだ。
血こそがエリスロースそのものであるのに、肝心の血が動かず喋ろうともしなかった。
それは彼女の血が他の場所に移動していたからだ。
では、一体彼女はどこに行ったのか。
そう考えた時に、あれだけ血だらけだった寝室の様子を見て、もしや犯人の衣服や凶器に彼女の血が付着したのではないかという可能性にいきついたのだ。
素人考えだが、もし俺が2人を殺したのなら、殺した証拠を家の中に置きたいとは思わない。
だから、外の強い雨風を利用しない手は無いはずだ。他人の目も気にならないし、音だって掻き消せる。どこかに投げ飛ばしたって良いし、土の中に埋めたって良い。
だが、エリスロースならそれを邪魔すると思った。
血を自在に動かすことができるエリスロースだったら必ず、俺たちの目に付くような場所に移動して来るという根拠の無い信頼が、談話室の椅子に掛けてあった衣服を怪しいと思うに至らせたのだ。
「それでも貴方は証拠をどうにか隠すために、努力した。適当な理由をつけて濡れた衣服を椅子に掛けて乾かしている体を装い、ナイフを暖炉の中に隠した」
「濡れた衣服をわざわざ触りたいと思う人なんていないだろうし、酷く濡れた椅子に座りたいと思う人もいない。誰もあの衣服に触らないだろうと貴方は高を括った訳だ」
アルバロが椅子に座ったのを確認してから、俺も彼の隣の椅子に座らせてもらった。
後ろでルーカスがリリベルのことを気にかけることを言っていたが、今はそれどころではない。それにリリベルはとても元気だ。
「そしてナイフに関しては、薪をくべ続ければ見えることが無いと思ったのでしょう。嵐なんてそう長くは続かない。談話室なんて大層な部屋にある大きな暖炉のおかげで、数日程度であれば、灰を処理する必要も無いし、溜まり続ける灰がよりナイフを隠しやすくする」
もうほとんど俺の独り言である。
縛り付けたレオはただ怯えているだけだし、ルーカスはただ俺の言葉を立ち尽くして聞いているだけだ。
アルバロは目を瞑り俺の言葉を黙って聞き続けている。
それでも俺は構わず続ける。安眠のために。
「けれど、衣服にしろ隠したナイフにしろ、誰かに見つけられないように常に監視をし続けなければならない」
「だから、外に凶器を隠したと思い込んでいて、外から来た盗賊のせいにしようとしたルーカスさんも、暖炉の中にある物を知られたくなくて、俺の主人を殺してまで阻止しようとしたレオさんも、貴方の仲間だ」
リリベルが与えてくれたヒントは、今思えばほとんど答えのようなものだった。
ルーカスもレオもアルバロも、昨夜互いに会っておらず、薪をくべていないと言うのに絶えていない火が今もそこにある。
つまり嘘をついている。
皆がそれぞれに目立つ行動をしているというのに、誰も気付かなかった。
リリベルは薪が2度も足された形跡があると言っていたが、彼女の言葉で俺に目を向けて欲しかった箇所は、誰が薪をくべたかではなく、誰かしら薪をくべたはずなのになぜ綺麗に誰もすれ違わなかったかという所だったのだ。
つまり、1階に降りた全員がぐるになって示し合わせて嘘をついているのではないかということを、俺に問いかけていたのだ。
彼女の2つ目の大ヒントについては言わずもがな、暖炉の中に何かがあることを指し示していたのだが、彼女は一体どの時点で気付いたのだろうか。
彼女の魔力を感知する力は他の者よりずば抜けてあるから、もしかしたら衣服や暖炉の中にあったナイフに付着していたエリスロースの魔力を感じ取っていたのかもしれない。
ようはリリベルが俺に意地悪をしなければ、もっと簡単にことは済んでいたのだ。
「貴方は既に勘付いていると思いますが、話を戻しましょう。なぜ貴方がリリベルを殺そうとするレオさんに『無駄』と言ったのか」
俺は立ち上がって、レオを座らせていた椅子を動かし、彼の視界にリリベルを映らせた。
ルーカスは何事かと俺の方を眺めていて、丁度その間にリリベルがいることを確認する。
そして、アルバロも後ろを振り返っていることを確認してから、俺はいつも呼んでいる彼女の名を呼ぶ。
首から血を流していた床に倒れていた彼女だったが、いつの間にかいつもの状態に戻っていた。
俺の呼び声に呼応して、彼女は目を開き、わざとらしくレオを睨み、そしてゆっくりと立ち上がる。
揺らめく金色の髪が、幾人かの悲鳴を誘う。
レオは雄叫びを上げて、まるで幽霊でも見たかのように彼女から離れようと椅子の背もたれに背中を押し付け始めた。
ルーカスは目を見開き、なんでだなんでだと疑問が尽きない様子だ。
フリアは多少は驚いているようだが、彼女にはリリベルが魔女であることを明かしているから、2人程は驚いていない。すぐにどこか納得したような表情に戻る。
「俺もリリベルも普通ではないことを貴方は知っていた」
「貴方は2人だけじゃない。俺たちも含めて4人殺したんだ」
その言葉を聞いてアルバロは鼻で笑った。
恥ずかしい話だが、ぐっすりと眠りこけてしまった俺は、殺されたことにも気付かずにずっと眠り続けていたのだ。
不眠で廃人寸前になって、いざ夜に眠ろうとも眠り辛くなってしまった身体だったが、それでも1度眠ってしまえば、眠り姫のように起きなかったのだろう。
この迷惑な日記とリリベルのせいで、ほとんどの日をろくに眠ることができなかったんだ。大目に見て欲しい。
アルバロは目を閉じて何かを考えているようだった。彼にこれ以上言い逃れを考える暇も与えたく無くて、俺は言葉をもう1つ継ぎ足す。
「そして、彼等のこの反応こそが、貴方が直接俺たちを害したという証拠だ」
「船乗りも、青髪の少女も、俺も、彼女も、タダでは死ななかったでしょう?」
アルバロは、にやにやと笑っているリリベルを見てから、俺の方に顔を向けて一言放った。
「ああ。お前たちが化け物すぎて、殺そうにも恐怖で全く手に力が入らなかった」




