とある船乗りの死について15
最後に呼んだのはアルバロだ。
彼は表情から感情を読み取るのは難しく、ほとんどがぶっきらぼうをそのまま表したような顔をしている。彼自身が自分の顔は誤解を受けやすい顔だと言っていたが、彼自身で感情表現をしてもらわないと一体彼が喜んでいるのか泣いているのか怒っているのか分からない。
そして、彼の最も困る点は、多くを語らないことだ。
用心深い性格なのか、失言することを恐れているのか、こちらの質問に対して言葉がやけに少なく、下手をしたら答えない。
ルーカスやフリアは積極的に質問に答えてくれるし、レオは返答することには嫌がりつつも答えてくれる。もっともレオの場合は、答えているというより焦って口を滑らせているという印象を受けた。
だから、この談話室に仕掛けをした。
仕掛けというには大げさかもしれないが、とにかく彼のための小細工をさせてもらった。
夜中外に出ていたせいでずぶ濡れになっていた服は、今も椅子の背もたれに掛けられていて、彼は時折、乾き具合を確かめていた。服の水分が椅子に移っていて、椅子が湿っているのを彼がこの部屋に来る前に確認した。今、あの椅子に座ると背中が酷い目に遭うだろう。
「もう1度確認をしますが、アルバロさんは夜中にフリアさんにもルーカスさんにもレオさんにも会っていない。そうですね?」
「知らん」
まともな回答が返ってこないことに苦心しているというのに、リリベルは俺の右隣の椅子で、いつの間にか淹れてきた茶を呑気に飲んでいた。まるで俺の苦しむ姿を酒の肴ならぬ、茶の肴として楽しんでいる。
舌打ちして彼女を牽制するも、更に釣り上がった口角を見ると彼女には効いていないようだ。
「それで、何か分かったのか?」
「え?」
「散々、茶番に付き合ってやったんだ。犯人は分かったのかと聞いているんだ」
大分トゲのある言い方である。悪気が無くて言っているのか、挑発の意味合いを込めて言っているのか、やっぱり表情も相まって分かりにくい。
件の日記を取り出して、彼に見せつけた。
寡黙な彼が更に寡黙になってしまうかもしれないが、意を決して彼に言葉を紡いでいく。
「この本は実を言うと俺たちの物ではありません。この本の魔法に俺たちは苦しめられて探していたことは本当だが」
「この本はとある女性が、お守りとしてマテオに渡した物なんです」
「彼女は自分の正体を隠したかったから、この本の力を彼に明かすことができなかった。だから日記として彼に渡した」
「彼女は、彼に何かを書いてくれることを期待したそうですが、彼は日記を書く趣味が無かったからそれが実現することは無かった」
「そして死んでしまった」
こちらは彼の姿を真っ直ぐ見つめているが、彼は常に暖炉の火を眺めていて、たまに身体を動かしたと思ったら椅子に掛けられた服を気にする程度だった。
「貴方が彼を殺した。そしてここで更に2人を殺した」
ことの核心に迫る言葉を言ったつもりだが、彼は眉1つ動かさない。
ひゅるひゅると吹く風と、弾けるように壁や窓に当たる音に混ざって、後方から床が軋む音が聞こえた。意識しなければ聞こえないような微かな音だ。
「疑うのは勝手だが、それを言葉にするからにはどういうことか分かっているんだろうな」
多分、彼の凄味に本当なら怖いという感情が生まれるべきなんだと思う。
だが、この世には彼なんかよりも恐怖すべき存在が腐る程いることを知っている。成り行きで不死になってしまったこの身体をもってしても、尚それでも死を恐怖させる奴らがいるのだ。
ついでで悪いが、リリベルが隣にいるというのも安心材料だ。
「分かっていますよ」
「それなら言ってみろ。例え相手が貴族だろうと、納得できねえ答えを言ってきたらタダじゃおかねえぞ」
若干ではあるが、アルバロの声に重みを感じた。その僅かな違いが彼の動揺を生んでいるのではないかと推測する。予想が外れていたら恥ずかしい。
「昨夜、レオさんと色々話をさせてもらいました。その時、俺たちの仲間に記憶を読み取る者がいることを明かしました」
「初耳だ」
「仲間が殺されたのは、それが理由です。マテオに何があったかを知る者がこの中にいて、それを明かせる者がいたことが犯人にとって都合が悪かった」
「それが本当なら、そりゃあそうだろうな」
「ここでいくつか疑問に思うことがありました」
茶の味に飽きたのかリリベルがすくと立ち上がり、後ろの方へ歩いて行ってしまう。
「なぜ先に俺とリリベルを殺さなかったのか。先に仲間を殺せば俺たちが疑心を生むのは明らかだったはずなのに」
「それに、リリベルは魔法を使えることを貴方たちに明かしている。魔法を良く知らない貴方たちからすれば、彼女ももしかしたら記憶を読み取る魔法が使えるのではないかと想像できたはずだ」
「犯人にとって1番安全な結果は、俺たち4人全員を殺すことだ。誰か1人でも生き残ってはならない」
俺が次の言葉を述べようとしたその時、後ろにいたリリベルが突然大声で騒ぎ出した。外の嵐も、俺たちの会話も、暖炉の火の音さえも掻き消すような大きな声だった。
「ああ! 暖炉の火が消えそうだ! 薪をくべないとね!」
当然、アルバロはリリベルの方へ気を向くことになる。
だが、彼はすぐに暖炉を見て薪はまだまだ健在であることを確認した。リリベルの叫びは彼にとっては奇行としか思えないだろう。
しかし、彼女の奇行に呼応するかのように扉を開けて飛び入って来た者がいた。勢い良く叩き開かれた扉は、勢いのまま壁にぶつかり反動で1度閉まりかけた。
部屋の中に入って来たのはレオだ。
そして、閉まりかけた扉をもう1度開けて中に入って来たのはルーカスとフリアだった。
彼等3人は、俺たちの会話を扉越しから聞き耳を立てていたのだろう。
「お、おお嬢さん。危ないから薪をくべるのはお、俺がやるよ」
そう言いながらレオは、誰の返事も待たずに歩を進めて来た。怯えていながらも、確かな意志を持って突き進んでいると分かる強い足踏みだった。
リリベルはそんなレオの行進を止めた。
彼の進行方向に立ち塞がり、広げた掌を彼に向けて掲げて制止する。
もう片方の手に持っていた茶が入った器を小さなテーブルの上に置き、同じくそこに置いてあった三又に伸びた燭台の蝋を素手で取り除いた。蝋が取り除かれた燭台の先端には、蝋を突き刺すための鋭い突起が現れる。
誰がなんと言おうと彼女のそれは奇行である。
「それなら、ヒューゴ君。君が代わりに薪をくべてよ。あ、既にある薪を上手く崩してからの方が良いかもね」
リリベルの目の前で困惑しているレオを尻目に彼女は、俺に暖炉の火の番を任せてきた。
アルバロとの話の途中ではあるが、薪をくべるぐらいなら大した時間を使わない。暖炉のすぐ横に立て掛けてある火かき棒を手に取り、暖炉の前まで歩もうとすると、今度はレオから制止が入る。
「ま、待て!! お、お、俺がやるって、い、言ってんだろ!」
レオはリリベルが先程までいじっていた燭台を手に取り、リリベルを羽交締めにして燭台の先端を彼女の首元に当てた。
人を殺す体勢というやつだ。
「おいおい! 落ち着けレオ!」
さすがに陽気なルーカスも真剣にならざるを得なかったみたいで、笑みは一切無かった。
フリアが音を立てないように静かに忍び寄ってレオを後ろから制圧しようとしたら、ルーカスは「危ないから近付くんじゃねえ!」とかなりの大声を出して、慌てて彼女を止めた。
「ヒューゴさん。レオがなんでキレてるのか分からねえが、薪ぐらいアイツにくべてやらせれば良いじゃねえか。レオ、薪をくべればそれで収まるんだろう?」
少し声に重みがあったはずのアルバロは、今の方がより緊迫した状況であると言うのに平静に見える。
アルバロの言葉にレオは荒い息を上げながら、小刻みに頷いた。
アルバロの説得を掻き消すように俺はわざとレオを挑発する。
「怒りすぎですよ、レオさん」
「や、やめろ!」
「やめるのはお前だ、レオ。無駄だ」
挑発に怒り狂うレオにアルバロは説得を重ねる。
他人に暖炉をいじられるのを酷く気にするレオは、もうまともな思考ができていない。
「やめろ! 無意味なことをするな!」
アルバロが初めて声を張り上げた。
だが、彼の言葉は最早レオの耳に届かない。
ブツっと張りのある皮が突起物で突き破られる音が聞こえて、リリベルの首元から鮮血がこぼれ落ち始める。
普通なら苦悶の表情で刺された痛みに悶え、何だったら悲鳴の1つでも上げるところだろう。
しかし、生憎リリベルは格好悪く人前で痛みに叫ぶことを嫌う性分なのだ。
だから、彼女は声1つ上げずにわざと余裕そうに笑顔を見せている。俺にとってはそれはいつも通りの彼女だから今更驚くことは無い。
そして、首に燭台の先端を突き刺されたリリベルの表情が、その光景にはとても似合わない笑顔であることを視界に入れられるのは、俺とアルバロだけだ。
アルバロは特に驚かなかった。
散々声を荒げてレオを説得していた割には、いざ1人の女の子が首を突き刺されたこと自体には焦る様子を見せなかった。
だから、俺はアルバロに質問をしてみた。
「ところで、アルバロさん。『無駄』とはどういう意味ですか?」
「は?」
初めてアルバロが俺の方に顔を向けた。
初めて彼が驚いた顔を見せた。
「もしかして過去に彼女が死ぬ瞬間を見たりしましたか?」




