不死にして魔女
『魔女の呪い』は決して魔女からの一方的な契約ではなく、本人の望みに左右されることがある。
リリベルは当初、俺にあらゆる魔法を魔法陣や詠唱の必要なく使えるように仕向けたがったようだが、俺の強い望みのせいで、物を生み出すという事象においてだけ魔力以外の制限を必要としない呪いになってしまった。
一体、なぜそう思ったのか。
心の奥底で生み出そうとしたかった物は何なのか。
彼女はその点に関して特に強く興味を引いていた。
それを語るためには、俺の身の上話を彼女に語る必要があった。
踏み鳴らす者が動き出さないのは、奴を操る夜衣の魔女が、影から俺の身の上話を聞くことに力を割いていたからだと思う。
だが、他愛も無い話だ。聞き耳を立てて聞く程の内容では無い。
その他愛も無い話に、リリベルとリリフラメルは同情を示してくれた。もっとも、リリベルは俺に対して好意があったこと、リリフラメルは人一倍正義感が強いことを考えると、同情を示すのは当たり前と言うべきか。
そうして一介の騎士の昔話が終わった後、踏み鳴らす者と夜衣の魔女を倒すための作戦会議が始まった。
まずは踏み鳴らす者の止め方だ。
リリベルが魔女協会から去ることを考えれば、夜衣の魔女の目的の1つである『歪んだ円卓の魔女』の席が空き、踏み鳴らす者の利用価値が無くなると踏んで良い。
後は踏み鳴らす者を弱体化させて、奴の手で止めを刺せば、夜衣の魔女としての評判はうなぎ上りになる訳だ。
聳え立つ巨神が全く動く様子を見せないのは、巨大な片腕を落として平衡を保つのに苦労している面もあるが、歩行に必要な魔力を消費させて弱体化を狙っている可能性も高い。
「十中八九、このデカブツは勝手に滅んでくれるってこと?」
「夜衣の魔女に他の目的が無ければの話だがな。俺を奴の騎士として迎える必要も無いから人々を皆殺しにする必要も無いだろうしな。弟子を殺すことなんてもののついでだろうし、わざわざ巨神を利用してまで行うことはもう無いと思うが」
「じゃあコイツは無視する?」
リリフラメルと俺が話し合っても、最終的に判断するのはリリベルでなければならない。
2人でリリベルの方を見やると、彼女は目を瞑って1つ唸った。
「癪に障るね!」
満面の笑みで彼女は言った。
このまま夜衣の魔女の思い通りにさせたくないという感情を表した彼女に、多分俺は目を丸くしていたと思う。
「黄衣の魔女をやめるとは言ったけれど、未練が無い訳じゃ無いんだよ? ダリアが私にくれた大事な名前なんだから」
「ダリア?」
リリベルの師匠であるダリアという魔女の存在を知らないリリフラメルは、誰だそいつと疑問符を頭の上に乗せているように見えた。
俺が知るダリアの情報をリリフラメルに短く伝えると、彼女はすぐにその情報を飲み込んでくれた。
リリベルにとって大切な存在であるダリアが残してくれた証を、彼女は惜しいと言いながらも捨てようとしている。彼女にとっては、それが心を狂わせないでいられる拠り所の1つであったのに、彼女は決心したのだ。
俺なんかのために彼女は変わった。
「奴が行動を起こすとするなら、夜のうちだろうな。万全な状態で巨神を倒そうとするだろう」
「明日の夜とかでは無いよな?」
「恐らくそれは考えられない。奴は自分の地位を確かにするために、より偉大に見せるために、自分が1番名声を高められる瞬間に巨神を倒したいはずだ」
リリフラメルは「なるほど」と俺の話を前のめりで聞き取ってくれている。説明しやすくて助かる。
「魔女協会は人々が滅びることを望んでいない。魔女の存続には国と民が必要だからだ。大国レムレットに1歩でも足を踏み入れてから踏み鳴らす者を倒しても、他の魔女たちからの評価は得られないし、下手をしたら他の魔女に手柄を取られる可能性もある」
「最も劇的な瞬間に、自分に光を当てたいって訳? 演劇の主役にでもなったつもりかっての」
けっとリリフラメルが土を蹴って悪態をつき、怒りを露わにする。
彼女の気持ちは分かる。俺もできるなら彼女のように身体で怒りを表したい。
今思えば、奴は最初からレムレットまで攻撃するつもりでは無かったのだろう。
世界をそのまま滅亡や混乱に追いやったとしても、それは奴にとって良い結果とはならない。他者の存在がなければ、奴の偉大さを証明してくれる者がいなくなる。
奴もまた世界に依存しているはずなのだ。
「だとしたら彼女は、踏み鳴らす者にルーブラントを越えさせて、レムレットの隣国ルクセナティアで倒すつもりだろうね。上手くことが運べば彼女は、ぎりぎりのところで大惨事を回避した伝説の魔女に晴れてなる訳だね」
夜衣の魔女と見える好機があるとするなら、踏み鳴らす者を倒す瞬間だ。
弟子たちに倒させるという手はあまり考えられない。それでは奴自身の功績に繋がりにくくなってしまう。
だから奴は、踏み鳴らす者を倒す瞬間だけは、踏み鳴らす者の近くに現れるはずだ。
その機会を逃せば、影に隠れ続ける夜衣の魔女を倒すことはできなくなるだろう。
ただ、俺たちがずっと踏み鳴らす者の近くにいる訳にはいかない。
影から俺たちの姿を察知して、肝心な時に出て来ない可能性もある。
夜衣の魔女に出し抜かれない形で、踏み鳴らす者を止める方法が思い付かずにいると、リリベルから俺に不意に質問が飛び込んできた。
「本当に夜衣の魔女は君に、『私が踏み鳴らす者を操っている』と言ったのかな?」
それは本当だ。
奴が踏み鳴らす者を起こすために、わざわざエルフとドワーフに争いを起こさせ、その争いで発生した魔力を糧に歩行させた。
そして、効率的に魔力を吸収できるように行く町に焦点を絞って踏ませた。
奴は確かにそう言っていた。
あの巨体を操っている者でなければ吐けない台詞だ。
だが、リリベルは俺と夜衣の魔女との会話に疑問を持っているようだった。
腕を組んでうんうんと唸る彼女に、何か気になることがあるのかと尋ねると、彼女の疑問が開かれる。
「あれだけの大きな身体を、魔力を使って物理的に動かすにはとんでもない魔力が必要になると思う。踏み鳴らす者そのものが動くため以外に、それ自体の動きを強制的に操るための魔力とかね」
夜衣の魔女が持つ魔力は、凡人と大差無いという話を念頭に置けば、確かにどうやって操っているかは不思議だ。
町を踏み潰して得た魔力は、夜衣の魔女に補給されている訳ではなく、あくまで踏み鳴らす者にしか渡っていない。
あの巨体と夜衣の魔女との間で魔力の受け渡しができるというなら話は別だが、魔力を吸収し続けようとする特性を持つ巨神に果たしてそんなことができるのだろうか。
「リリフラメル君が頑張って放った魔法でやっと、吸収されていく魔力よりも上回る魔力量を集めてやっと、アレの腕を抉ることができたんだよ? 外から直接操り続けるなんて難しいと思ったんだ」
彼女の言葉で感じた違和感が、頭の中を駆け巡り1つの可能性に辿り着く。
なぜ、あの邪悪な考えの持ち主がこれまで無事に生きてこられたのか。
強い者にはへりくだって、弱い者には高圧的に接するという行動だけでは、どこかでぼろが出ることは明らかなはずだ。
弱い者だって追い詰められれば、逆に夜衣の魔女に噛み付くことだってあり得る。
奴の邪悪さを鑑みれば、友だちだと言っていた緑衣の魔女が雑に殺されかけたことだって、1度や2度ではないはずだ。
なぜ、誰も夜衣の魔女を追い詰めようとしないのか。
なぜ、リリベルとの先程の会話の時に、彼女の言葉が太陽のように明るく感じたのか。
「身体ではなく心?」
「ほうほう」
「奴が操っているのは、心なのではないだろうか」
エルフとドワーフが争う元になった最初の殺人。
他種族への差別思想が種族たちとは言え、いきなり殺し合いに発展する程に、物分かりが悪い者たちではない。それでも争いが激しくなっていってしまったのは、怒りや憎しみを増幅させて我を忘れさせるぐらいのことをやってのけたのだとしたら合点がいく。
踏み鳴らす者が起き上がり、生きとし生けるものの蹂躙を始めたのは、自分の身体の上で争いを起こされ眠りを妨げられ怒ったから。
夜衣の魔女は巨神の怒りの感情に隙入り、争いを起こす元になる忌まわしい奴らを踏み潰すよう唆した。
遠くからでもはっきりと姿が分かる巨体を目にして、リリフラメルや夜衣の魔女の弟子たちが避難させた者たちを除いて、町や都から逃れようとしなかった民たち。
彼らの危機感を欠落させることができるのなら、その異常な死者の数も納得できる。
少し前の会話で、リリベルに対して嫌味ばかりを言って、彼女を遠ざけようとする言葉を吐き続けていた時の俺は、頭がおかしかった。彼女に心からの悪感情でもって接してしまったことは確かだ。
彼女がこの場に来てくれて嬉しいと思っていたはずなのに、次の瞬間には心の中の暗い部分が前面に押し出されたかのような気分になってしまっていた。
心の中に確かに影はあった。
「ああ、今の君の言葉は心地良く聞こえるよ」




