最善にして最良5
「ああ!! 何だよ、この会話!! 気持ち悪いな!」
リリフラメルに暴言を吐いてただでさえ怒りを内に溜めた彼女は、大声を上げて更に怒りを主張してきた。
彼女と目を合わせると彼女はあっさり顔を背けて、八つ当たり気味に草木がある所へ行ってそれを蹴り上げながら、どこかへ行ってしまった。俺が何を言ったところで彼女の怒りを買いそうだったので、彼女自身に上手く怒りを発散してもらいたくて、彼女に声をかけることはしない。
リリベルはここに来て頑固さに拍車と磨きをかけて、自分の意見を曲げなかった。
俺がどんなに彼女を諭しても彼女の首は縦に振らない。俺は彼女が大切に想うものを簡単に失って欲しくないというのに。
「俺の言うことは何でも心地良く聞こえるのではなかったか?」
「今は心地良くないかな」
はっきりと彼女は言った。ほとんどの事柄に興味が無く主体性が無い彼女が、強く意思を表す。聞き分けの無い駄々っ子などではなく、拒否する彼女の目はリリフラメルに負けないぐらいの火が灯されているようにも見えた。
いつもリリベルのことを捻くれた性格の持ち主だと思っていたが、それが逆転して今や俺の方が捻くれた性格になってしまった気がする。
彼女に「俺のことが嫌いになったから、心地悪く聞こえるのか?」と嫌味たらしく言った俺に、俺自身がムカついて自分の顔を殴ると、彼女がくすくすと笑った。
「死ぬ程好きさ。でも、今は心地悪い」
リリベルのその言葉が出た瞬間、少し向こうの方で大きな火柱が上がった。
一瞬だけ彼女の顔が明るく照らされて、俺は顔を背けざるを得なかった。彼女の顔を真正面から見る勇気が無かった。
「……すまない、酷いことを言ってしまった」
「大丈夫だよ」
俺の手はリリベルに取られてそのまま彼女の頬に吸い込まれる。
彼女は頬を俺の掌に擦り付けて、いつもの天真爛漫さをどこかへ置いて来てしまったかのように、柔らかく笑って見せた。年不相応の大人の妖艶さをどこか感じさせるものだった。
「黄衣の魔女として騎士に命ずるよ。騎士である君の心を守るために、夜衣の魔女を殺害し、魔女協会から去る、その協力をして欲しい」
その命令は最早、俺にとって呪いであった。
彼女に「別に魔女協会から去らなくても良いじゃないか」という言葉をかけることはもう意味が無いのだろう。彼女は、黄衣の魔女という肩書きよりも騎士を選んでしまったのだ。
それでも最後の悪あがきとして、彼女に「俺はただ、俺のせいでリリベルに大事なものを失って欲しくないんだ」と彼女の頬を撫でながら懇願すると、彼女は手を上から重ねてから、ばっさりと吐き捨ててしまった。
「『黄衣』はもういらないよ。いらないんだ。ヒューゴ君……ただ君だけが欲しいんだ」
俺はこの先も、魔女協会に属する黄衣の魔女と共に、騎士として過ごしていくのだと思っていた。
だから、黄衣の魔女として生きるリリベルを、皆から好かれる魔女にしたくて、これまで幾つもの依頼をこなしてきた。
それなのに、リリベルの魔女としての名声が、俺のせいであっさり崩れていくという事実に直面したことが怖かった。とても怖かった。
彼女が好きだからこそ、彼女が築き上げたものを破壊されることは死んででも忌避したくて、あれこれと悩んでいたのだ。夜衣の魔女の騎士になることさえ考えるぐらいに、リリベルと黄衣の魔女を大事に想っていたのに、彼女はあっさりと『黄衣』を捨ててしまった。
俺が、黄衣の魔女の名声を高めることに力を入れていることを、彼女は知っていて、それでも俺というただ1人の人間を選んでしまったのだ。
「これは仮定の話だ。もし、夜衣の魔女を殺せなかったら、奴は長い年月をかけてリリベルと俺の評判を落としにかかるだろう。奴の最終目的は『歪んだ円卓の魔女』になることではなく偉大な魔女になることだ。俺たちが魔女協会を抜けたら、奴は容赦無く俺たちを殺しにかかるだろう。不死である元黄衣の魔女を無力化させた魔女、という名声を得るためにな」
夜衣の魔女は、今は魔女協会の中だけで自分の地位を確立させようとしているが、邪悪が広がってしまえば、魔女協会の外の範囲にも影響を及ぼすだろう。
魔女協会を抜けようが抜けなかろうが、俺たちは邪魔な存在になるのだ。
そして、夜衣の魔女は俺たちを消すために、必ず魔女だけでなくあらゆる種族を利用するだろう。
人間もエルフもオークも魔物も、全ての種族がこぞって俺たちを襲うように仕向けてくるはずだ。
リリベルは魔女の中でも1、2を争う程の魔力量を持つ魔女なのだから。
「魔力を求めてあらゆる者たちが戦争を仕掛けてくるかもしれない。俺とリリベルが初めて会った国、サルザスで起きた出来ごとと同じことを体験する羽目になるかもしれない」
「俺は、俺はリリベルが酷い目に遭うのだけは嫌なんだ。それでも魔女協会を抜けようとするのか?」
ふふんと鼻で笑った。彼女の目は真っ直ぐ強く俺を見つめていた。その表情だけで、返事はおおよそ分かってしまった。
「私は、君のことを好きと自覚するまで、私自身も他のどんな者にも興味が無かった」
「だから私が、君の考えている酷い目に何度遭おうと、どうでも良かった。どうでも良かったから、他者の命を無理矢理奪うことはせず、私を害する者の好きにさせていたんだ」
リリベルに引き寄せられた片手は、彼女の手に再び引かれて今度は、彼女の胸の上に置かれた。ぼろぼろの衣服の上から強く押し当てられた手には、彼女の少し早めな鼓動が伝わる。
「正直に言うと、今もこの身体には興味はほとんど無いけれど、君が私の身体を考えてくれているおかげで少しは気にかけるようになったよ」
彼女の心が成長したと言って良いのか。
いや、これを成長と捉えては良くない気がする。
「だからこれからは、君を守るために、君が私を想うその心を守るために、私は、私と君を攻撃しようとする一切の者の命を奪うつもりだよ」
俺を守るためなら他者の殺害を行動の選択肢に入れると言った彼女の言葉は、決して比喩なんかではなく、本気で殺すと言っているのだ。
他者の命を奪うことを罪として罰を与える法やルールは、どこの国にもある。
ほとんどの者は、殺傷という行為を心のどこかで禁忌と考えて踏みとどまっているのに、リリベルは平気で踏み越えてやると宣言したのだ。
俺も彼女に同じだ。
彼女のことを好きだと自覚したその時から、彼女を害する全てに殺意を覚えるようになった。
今まで、弱い俺が想像する強さの理想像に向かって、俺は行動してきたつもりだった。他者の命を無闇に奪ってはいけないことも強さの象徴の1つだと思っていたから、できるだけ戦うことを避けてこれまで生きてきた。
しかし、天に高く聳え立っていた強さの理想像は、今や路傍に打ち捨てられたごみのように心の中に存在しかけている。
この小さな魔女を守るためなら、俺は禁忌を犯すことも構わないと考えるようになってしまったのだ。
夜衣の魔女を邪悪だから殺そうと考えている俺もまた邪悪だ。
本に出てくるような心優しく強い英雄とは程遠い、不死の力を持ったとても利己的な悪役に成り下がってしまった。
「分かった」
それでも良いと思えるのは、黄衣の魔女というただ1人の魔女の存在が目の前にいるからだ。
「黄衣の魔女の命、騎士ヒューゴが謹んで受ける」
リリベルは心臓の鼓動をもう少し早めながら、いつもの笑顔で迎えてくれた。
そして、この時点からしばらくの間、俺は他者を殺すという行為に躊躇いを持たなくなった。
ある種の心の切り替えが終わって、今度はリリベルに尋ねたかったことを尋ねた。
「リリベル、話は変わるが、俺にかかっている『魔女の呪い』について教えて欲しいことがある」
丁度、怒りの発散が終わったのかリリフラメルがふらふらと戻ってきて、崩れるように倒れてしまった。恐らく、怒り散らして冷静になってしまったため、両手両足に取り付けられた魔法具の義手義足が動かなくなってしまったのだろう。
彼女の義手義足が元と全く同じように動くためには、それなりの魔力を必要とするためだ。
顔から地に伏せてしまった彼女を、上にして横たわらせていると、リリベルから返事が返ってきた。
「何が聞きたいのかな?」
「全部だ。俺にかかっている呪いの詳細を教えて欲しいんだ。勿論、本当のことをだ」
するとリリベルは、胡座をかく俺の真ん中にすっぽりと身体を収める形で移動してきてから説明を始めた。




