影にして喧騒5
「夜衣の魔女から、離れなさいよ!」
夜衣の魔女を掴む手の感触が突然失われる。
後ろでキンキンと頭に響く声が、貫かれた両目の痛みをより印象付かせる。
『夜の帳!』
俺が夜衣の魔女を掴んでいることが余程気に食わないらしい。
ラルルカの二度目の詠唱は、俺の鎧の中にある全てを刺し貫いた。
そして、今やっと影を操る2人の魔女と俺とでは相性が悪いことが分かった。そうだ、鎧の中は影だらけじゃないか。
再び目を覚ますことができたのは、大地の揺れを感じたからだ。
意識が覚醒し始めて、空を雷光が流れ星のように走っていく光景が見えて、完全に覚醒する。
夜衣の魔女を呼び叫んで周囲を見回すが、彼女はいない。
緑衣の魔女が作り上げた俺たちを囲む木壁は、いつの間にか消し炭になっていて、その代わりに全く別の場所に、死ぬ直前まで生えていなかった木が何本か草原から気持ち良く伸びていた。
だが、それらはリリベルの雷で今正に焼き払われてしまった。
「な、なんでアンタ、死んでないのよ!」
リリベルと紫衣の魔女、緑衣の魔女は激しい魔法合戦の最中で、ラルルカの方はいきなり起き上がった俺に驚いて甲高い文句を上げていた。
夜衣の魔女以外はまだこの場にいた。
肝心の彼女がいない。逃げられた。
彼女の声は一旦無視して地響きの元を辿るため、踏み鳴らす者の姿を確認すると、腰を落として余りに巨大すぎる上体を大地に近付けていた。
ただ、1歩先に進んだ訳では無いみたいで、ホッと一安心する。
それではこの地響きはどこから来ているのか。
「無視すんな!」
当然、ラルルカの相手をしている暇は無いので続けて無視する。
音がまだ遠くの方から聞こえているから、この近くで鳴っているものではないと推測はできる。
だが、足元の揺れが段々近付いていることは確かだ。
魔法の応酬に夢中なのか、3人の魔女はこの地響きを気にする様子が無い。
東西南北に身体を動かし回して音の正体を探そうとするが、景色の変化は見えない。
西は森が近いからほとんど景色なんて見えないし、南や東の方は平野が広がるだけ。北は遥か向こう側に山々が連なって長い尾根を見せてくれている以外に変わったところは無い。
長い長い尾根?
余りにうっすらとしか見えないぐらいの遠くにある山々が気になって、近くにいたラルルカの両肩を掴み取り、彼女の叫びを俺の叫びで掻き消す。
「目は良いか? 北の山の方を見てくれないか!」
「はあ? いきなりなん――」
「夜目は効くかと聞いているんだ!! 向こうの山は、本当に山なのか確認して欲しい!! 踏み鳴らす者だったりしないか!?」
「な、何よ……そんなに怒鳴らなくても良いじゃない……」
彼女に迫り過ぎたのか、怯えさせてしまった。
ほんの少しだけ申し訳ない気持ちが胸の中に表れるが、よくよく考えてみれば俺を1度殺しているのだから、そんな罪悪感なんかすぐに帳消しだ。
彼女の身体を無理矢理北側に向けて、ひたすら遠くにある山々を確認させた。
「んー……」
夜を得意とするなら、遥か向こうで起きていることぐらい、すぐに分かるだろうと思ってラルルカに聞いてみたが、やはり正しかった。
「って! 良く見ればコッチに近付いているのが、山の大きさではっきり分かるじゃない!! 大いなる者の腕よ!」
誰も彼も巨神の呼び方を統一していないから、『大いなる者』が何を指しているのか一瞬分からなかった。分かった後はなぜ呼び方を統一しないのかと少しだけ小言を言いたい気分になった。
しかし、あの長い長い尾根が踏み鳴らす者の一部であるというなら、今は3人の魔女の戦闘を止めることが先決だ。
まさか夜衣の魔女が仲間である緑衣の魔女ごと、俺たちを巻き込み殺そうとはしないと思いたいが、あの邪悪さを考えると簡単にはいかないだろう。
リリベルから今日教えてもらったばかりの、俺が不死の呪いにかかっているという事実を彼女も知っているのなら、彼女は喜んで攻撃するだろうな。
あれだけ遠くから大地を削りながら此方に近付いているのだ。
いくつかの町が巨神に食われているだろう。しかも魔法で戦っている3人の強大な魔女がここにいる。
恐らく踏み鳴らす者はこれから先の殺戮に必要な魔力を大量に 得ることができるだろう。
しかも、この場には『歪んだ円卓の魔女』が3人いる。
リリベルは彼女の不死性を考えれば除外されるが、残る2人は俺の知る限り不死では無い。
どちらかが命を落とせば、彼女が欲しがっている『歪んだ円卓の魔女』の席が空くことになる。
ダメ押しに、このラルルカという夜衣の魔女の弟子がここにいる。
夜衣の魔女の人を見る目が正しいならば、この生意気な女は将来良い魔女になるだろう。
しかし、夜衣の魔女は自分よりも優秀な弟子の存在を許さない。
だから、彼女は逃げる時にラルルカを連れて行かなかった。
ラルルカは踏み鳴らす者の存在に気付いて、別の場所に逃げようと影に潜り込もうとしているみたいだが、それができずにいて酷く動揺している。
「あれ、影の中に入れない……! どうして、なんでよ……!!」
泣きそうな声でヒステリックに叫ぶ彼女を、夜衣の魔女はついでの用事で殺そうとしている。
すごいな。
上手くいけば一石三鳥か。
クソ野郎が。
「黄衣の魔女! 紫衣の魔女! 踏み鳴らす者がこの辺り一帯を消し去ろうとしている!! 今は戦いを止めてくれ!!」
「上等だよ、ヒューゴ君! こんな奴ら皆死んじゃえばいいんだ!」
リリベルは一体いくつの魔法を同時詠唱しているのか。
緑衣の魔女と紫衣の魔女の攻撃をあらゆる雷で防ぎ切りながら、逆に2人に雷を解き放っていた。
雷鳴の音が常に鳴り響いているのに、俺もお前も互いの言葉を良く聞き取ることができたなと思う。
しかし、怒りが収まらない彼女は、2人の魔女への攻撃を止める気配が無い。
紫衣の魔女は耳が遠いのか、わざと無視しているのか俺の要請に答えてくれなかった。
まともに反応してくれたのは、ただ1人だけだった。
「今日はとても満足した。お前が泣いてしまう程苦しむ姿が見られたのは、とても良かった」
足元から、言葉と共に青い炎が噴き上がった。
混乱するラルルカを無理矢理引っ張り、炎から遠ざけて様子を見ると、草原のあちらこちらで炎が噴き上がっていた。彼女の文句は勿論無視だ。
影を炎で焼き掻き消し、沼のような影から青い髪が飛び出て来た。
「気分が良い。物凄く気分が良くて、気分が良すぎて腹が立つ!!」
肌が焼けるように熱いが、リリベルから魔力の使い方を教えてもらった彼女は、無差別に周囲を焼き尽くさないために、対象のもの以外には熱を与えないように調節している。
ラルルカも俺も一瞬で発火したりはしていない。俺たちよりも更に彼女に近い魔女たちもまた、炎に焼かれる様子は無い。
彼女が燃やそうとしているのは、巨神だった。
無数の青い火柱が噴き上がって、それが生き物のように動き始めた。
「お前を助けるぞ。ヒューゴ!!」
リリフラメルの巨大な炎の嵐が、周囲一帯に強烈な熱波と風を巻き起こす。




