影にして喧騒2
『おい』
詠唱はただその一言で済む。
遠く離れていてもなぜかすぐに魔法として詠唱ができるリリベルの魔力を使って、鎧と剣を作り上げ、夜衣の魔女と改めて対峙する。
「なぜ、その人質を見せることで俺が素直に従うと思った?」
勿論、これはハッタリだ。
夜衣の魔女に、リリフラメルは俺にとって特段重要な人物ではないと思い込ませれば、彼女も慌てるかもしれないと思ったのだ。
だが、暗闇の中に浮かぶ夜は小さく上下し、笑っていた。彼女の羽織っているマントの裏地に描かれた星を表す小さな光が、煌めいて余裕を見せている。
「昼間は影に潜み、夜は堂々と貴方を観察していました。だから、貴方がどういう人間かは分かっていますよ……ふふっ」
どうやら彼女にとって俺は、今日が初めましての人間では無いようだ。
ハッタリが無駄になったと知りつつも、まだ説得を諦める訳にはいかない。
「ここで、俺たちが話し合っている間にも踏み鳴らす者が進んでいるのだぞ。魔女たちが死んだら、『歪んだ円卓の魔女』も、下手すれば魔女協会という存在すらも危うくなるぞ」
「なりませんよ……ふふっ」
一体何がおかしいのかと思った矢先、彼女は巨神に向けて指を差してとんでもないことを口に出した。
「アレは私が動かしているのです」
は?
「では貴方が、私の騎士になりやすくなる情報をもう少し教えてあげましょう」
頭が追いつかないままの俺に構わず、夜衣の魔女は続けた。
「私はこの子だけを使って貴方を脅しているのではありません。この世界中の命運を、貴方の返答に握らせているのです……ふふっ」
人質はリリフラメルだけでなく、世界中の皆だと夜衣の魔女は訂正した。
だが、俺の頭の中では未だ夜衣の魔女が踏み鳴らす者を動かしている話題で止まっているままで、ついて行くことができていない。
リリベルの話では、夜衣の魔女は凡人と同じぐらいの魔力量しか持たないと言っていたのに、どうやって彼女はあの巨体を動かすことができているのか。
彼女の話を遮って俺は質問した。
すると彼女はいとも簡単に手の内を明かしてくれた。余程の自信家でなければできない芸当だ。
「元々、アレはただの山として大陸の西側にいたことは知っていますね? アレがただの山であった時に、そこに住まうエルフとドワーフは、山を神として崇めていました。彼らは長い間、神聖な山を互いに守り合っていたのです」
既に嫌な予感を感じ取っていて、剣を握る手に力が入る。
「私は、エルフの仕業に見せかけてドワーフを殺し、ドワーフの仕業に見せかけてエルフを殺しました。するとどうなったでしょうか……ふふっ」
「神聖な山の上で、命を殺すという冒涜的な行為を行って、山を穢したとして互いが互いに怒りました」
「神聖な山に棲まう邪悪な種族を根絶やしにするための聖戦が始まったのです。戦いには当然、魔力が使われるでしょう」
「その魔力を活用させてもらいました」
嫌な予感はまだ止まらなかった。叶うならばこの予感が気のせいであったと思わせて欲しいぐらいだったが、その祈りは無意味であった。
「ですが、それだけでは巨神を動かし続けるための魔力は到底足りません。だから、効率的に魔力を得るべく……」
「なるべくたくさんの命が住まう町を狙って踏み付けました」
巨神を止めるために誰もが魔法や剣で攻撃を仕掛けていたが、それは全て奴を動かすための糧となっていた。
そして、どんな生き物であれ少なからず持っている魔力を吸い上げるべく、皆殺しにしたと彼女は嬉々として語ったのだ。
俺はこれまでの人生で邪悪な奴に何度か会ったことがある。
誰も彼も己の欲望を満たすために、他者の命やその人生などをまるで意に介さず平気で奪っていった者がいた。
これ以上の屑とは生涯出会うことはないだろうと毎度毎度思っていたが、平気で俺の予想を超えてくる邪悪な存在にこうも簡単に出会うものだろうか。
1つの肩書きを得るために、世界を破壊しようとする魔女がいるなんてまさか思わないだろう。
「効率良く魔力を得たいなら、アンタの弟子を町に向かわせてそこの人たちを避難させる必要は無かっただろう。弟子の命を危険に晒してアンタに何の得がある」
「彼女たちはとても優秀です。私よりも魔力を持ち、魔法を扱う才能があり、未来ある魔女なのです……」
「お前……お前!!」
言葉遣いに構う余裕すら無くなる。
夜衣の魔女は、自分よりも優秀な弟子をもののついでかの如く殺そうとしていたのだ。
そして、なぜ俺を騎士として自分の近くに置こうとしたのかが、そこではっきりした。
彼女は、彼女よりも強い者が身近に存在することを恐れているのだ。
黄衣の魔女を貶める以外で、俺のような弱い騎士を側に置く意味があるのかと思ったが、逆であった。彼女の下に強い者がいることは許されないのだ。
自分よりも優秀そうな者がいるということは、いずれ自分の立場が脅かされる可能性を孕んでいる。
弱き者の存在こそが、彼女の立場を強くさせる。
理解したくないのに、簡単に彼女の心情が理解できてしまった俺自身に、悲しみさえ覚えてくる。
そして、俺のせいでたくさんの命が奪われたことを理解する。
俺を脅すためだけに、冗談では無いことを示すために、こうやって2人だけで話す前に命をすり潰してきたのだ。
だから、止めなければいけないと思った。俺の人生の中で最も邪悪な存在の息の根を止めなければならないと思った。
握り締めた剣を更に強く握り締めて、沼のようになった影に足を踏み入れる。
足が影に取られるが、構わず進もうとしたその時に、夜衣の魔女は更に言葉を続けた。
「そして!!」
邪悪な魔女の言葉は耳に入りつつも、足を止める訳にはいかない。
狙うは魔女の首だ。
彼女を止めれば踏み鳴らす者は止まるはずだ。
これ以上、この世界に邪悪が広がるのを阻止しなければならない。
そう思っていた。
邪悪な魔女は、更に邪悪な言葉を吐いた。
「私を今ここで殺せば! 世界を滅亡に導かせた魔女として、貴方の愛する魔女は迫害されるでしょう!」
彼女の首に触れる寸前で剣を止めた。
止めざるを得なかった。
「私が死んでも、歩みを止めなくて済む程度の魔力が巨神にはあります。そして、この先にはこの大陸で最も多くの命が集う国がありますね」
「貴方の大事な魔女は、この先ずっと追われる身になるでしょう。魔女協会だけでなく、この世界の全てに嫌われるでしょう。巨神を止められたはずなのに、黄衣の魔女の騎士が、夜衣の魔女を殺したと。『騎士に邪悪な命を下した最悪の魔女』と語り継がれるでしょう……ふふっ」
夜衣の魔女が咳き込まなくなったのは、目の前にいるのが彼女よりも弱い者しかいないからだと悟った。




