白熱にして狂熱5
リリベルの肩を叩いて前方の異変を彼女に知らせる。
小高い丘から煙の筋がいくつも立ち昇っている。やがてその丘の方から数え切れない人の影が生まれる。
皆が馬に乗っていて、一直線に此方へ駆けて来る。徐々に人の輪郭がはっきりし始めると、鎧を着込んだ兵士が馬に乗っていることが分かった。
行軍を指揮する者だろうか、他の兵士たちとは違った鎧を着た者が先頭に立っている。馬の足音が騒がしく聞こえていて、後ろの踏み鳴らす者の足に音が反響しているのかよく響く。
まだ距離は離れているのにも関わらず、大きな声で俺たちを呼び掛けているのがはっきりと分かった。
「俺はロンドストリア国王の命を授かってルミシアに参った、ブライデである! 貴様等は何者であるか!」
自己紹介をするならその突撃するかのような距離の詰め方は止めて欲しいものだ。
「我々はあの巨人からルミシアの者たちを助けるべく、首都に来た!」
「ルミシア国王にお怪我は無かったか!!」
「分からない! あの巨人の足下に首都があった! 生死の確認もままならなかった!」
次の返事は無く、ブライデという男以外の兵士は皆、その場で馬を止めて綺麗に整列し始めた。
そしてブライデともう2人の兵士だけが、馬を速歩で走らせて此方に近付いて来た。
リリベルが魔女であることを伝えるつもりは無かった。
魔女に対して良い印象を持たない者の方が多いこの世界で、彼女の身分を明かすことは大抵面倒なことになるだろう。避けられるなら避けた方が良い。森の中で会ったエルフのように、無用な諍いが生まれるのは俺もリリベルも嬉しくは無い。
特に彼らは兵士だ。
数多くの兵士が武装してやって来ている姿を見ると、サルザス国でのできごとをどうしても思い起こしてしまう。
だから、兵士であればどのような者であっても心から信用できない。
魔女の中でも1、2を争う程の魔力量を持つと言われている黄衣の魔女が、隣にいる彼女その人であると知られれば、彼らはきっと彼女を利用するために近付いて来るだろう。
彼女を捕えて、上質な魔力石をひたすら作らせ、戦いに参加させることも無い話では無い。
彼女の意志とは関係無く強制的に彼女が虐げられる姿を、俺は見たくない。
サルザスで起きたことを彼女に2度と体験させない。この誓いだけは人殺しよりも優先される。
目の前まで近付いて来たブライデの動きは常に注視し、いつでも攻撃ができるように両手は空けておく。
「本当にあの下に国があったのか?」
「本当です」
ブライデは目を閉じ天を仰ぎ、沈黙してしまった。どこか残念そうな、「間に合わなかったか……」とでも言いたげな絶妙な表情をしている。
「我々はロンドストリアへ向かいたいのですが……」
「あ、ああ。先に行くが良い。丘の木々は焼き払い道を拓いてある。気にせず進むが良い」
彼等と長話をしたくは無かったので、先に進んで良いなら進ませてもらおう。
「将軍!」
ブライデの横にいた兵士が、彼の注意を指差す方向へ向けさせる。
兵士が指差す先を俺も気になって見てみたら、いつの間にか雲が消え晴れていた。
雲が消えた原因は腕だ。
踏み鳴らす者の腕だ。
いや、あれを腕と呼んで良いのだろうか。余りにも巨大すぎて腕と認識できないのだ。恐らくこの世界のどこにも存在しないであろう程の巨大な塔のような腕だ。遠目には緑と茶色が入り混じって斑目模様のように見える。
雲が無くなり、踏み鳴らす者の足より上の姿が初めて確認できた。
多分、アレは屈んでいる。
「お前等、早く逃げろ」
ブライデの言葉は多分俺たちに向けられているのだろうが、どこに逃げると言うのだ。
屈むという行為は、天井が低い場所を通り抜けたり、軽い運動をする時などに行うことがあるだろうか。
いや、他にもあるな。
下にあるものを確認する時に屈むことがある。物を落とした時とか、小さい虫を見る時とかに屈むことがあるだろう。俺だって人間だから屈むことはある。
踏み鳴らす者の顔を初めて見た。
巨神が屈んでいても尚、首を大きく上に曲げなければ見えない程に上に位置している。
最早、空は一面大地で覆われていて何が何だか分からないが、2つの青い光が人間の目のように並んでいるからあの辺りが顔では無いかという推察ぐらいはできた。
大地に嵌め込まれた巨大な青い光を目だとするなら、巨神の目はしっかりと俺たちを認識している。
なぜ見られていると分かるのかと問われたら、強烈な視線を感じているからだ。何となくとかでは無い。今までの人生で学んだ全てを活用しても、他人に上手く説明することはできないぐらい、異常な感覚を今感じているのだ。
確実に、あの青い光に見られていると頭が無理矢理、認識させられている。
見られているという感覚を身体全体で味わったのは初めてだ。こんなにはっきりとした視線を感じることは、後にも先にも無いだろう。
「ヒューゴ君、ごめん。皆を助けることはできない」
隣にいたリリベルも踏み鳴らす者の姿を視認していて、さすがに先程まで柔らかい雰囲気が彼女から感じ取られなくなっていた。
なぜ彼女が謝るのか、一瞬理解することはできなかった。
踏み鳴らす者の腕が高く、高く高く天よりも高く上がる。空から低く鈍い音が大地に降り注ぐ。
リリベルは御者台の上に立った後、俺を強く抱き締めた。
彼女は自分の興味で俺を抱き締めている訳では無いということは、目の前の状況で分かる。
彼女は俺たちに雷の魔法を放ち、彼女の圧倒的な魔力から生まれる魔法の衝撃で、無理矢理に移動しようとしている。過去に体験はしたことはある。身体中に途轍もない痛みが走る上に、雷のせいで耳も目も暫く使い物にならなくなる。
頂点に達した踏み鳴らす者の腕が、ぴたりと止まった次の瞬間、それはゆっくりと俺たちの方へ向かって振り落とされた。
恐らく、実際の速さは決してゆっくりではないのだろうが、余りにも巨神の腕が巨大すぎて遠くにあるから、どうしてもゆっくりに見えてしまう。俺たちに逃げる猶予を与えるために、わざとそろりと腕を落としているのではないかと錯覚してしまうのだ。
気付いた時には、頭上の大地が視界一杯に広がり落ちてきた。
地面から骨が軋むような音が聞こえてくるが、最早足元を気にしている暇は無い。どうしても頭上の様子に釘付けになってしまう。
そして、後一呼吸の間に上下の大地に挟まれるかという寸前で、彼女の詠唱が聞こえた。
『瞬雷』
リリベルの詠唱と共に強烈な雷が、俺に直撃するかしないかの位置に降り注ぐ。彼女の魔力が間近に放出された衝撃で俺たちは空へ跳ね上がり、更に別の雷が、彼女の行きたい方向へ向かって走り抜き、俺たちごと貫き吹き飛ばした。




