白熱にして狂熱2
踏み鳴らす者が潰した山を越えて、先に進んだ方の足元まで到達したが、周辺に人の気配は無い。
足に向かうに従って下り坂になっており、近付けば近付く程、そこに本来あった大地が踏まれ圧縮され若しくは、衝撃で捲れ上がっている。
造られた道でない所を行かねばならないため、馬車がガタガタと酷く揺れてしまい、乗り心地は最悪だ。
もし、生きている者がいれば後ろの客車に乗せて、人の集まる場所へ連れて行こうと思っていたのだが、残念ながら今その用事は無い。
一方、リリベルは奪われてしまった魔力の回復に努めていた。務めているといっても大人しくしているだけで、勝手に魔力は元に戻るようだ。
巨神に再び近付いて魔力が奪われないか気になってはいたが彼女曰く、魔法を詠唱していなければ大丈夫とのことだ。
詠唱した瞬間に身体からごっそり魔力が奪われる感覚に襲われたらしいが、詠唱を止めた後はそれ以上の強奪から逃れられたので、どうやら詠唱という行動が問題のようだ。
聞こえるのは踏み鳴らす者の足に風が当たる音と、馬の足音と車輪が石ころで跳ねる音ぐらいだ。
足の近くには城壁があり、地面と足とに挟まれたかのように埋まっている。建っているのでは無く、たまたま引っかかっていると言った方が正しい。
俺の背なんかよりも遥かに大きく堅牢そうな城壁だが、巨神の足と比較してしまうと路傍の石と何ら変わらないと思えてしまう。
踏み鳴らす者の足が大きな影を作っていて周囲は薄暗く、夕暮れ時かと勘違いしてしまう。
影の端が目で確認できる遥か向こうを見ても、影が途切れているようには見えない。
大声でリリフラメルを呼んでみるが、足に音が当たって虚しく反響するのみで、誰の返事も返って来ない。
「この足の周りを行きながら、リリフラメルを探そう」
馬に乾燥した野菜を食べさせているリリベルに問いかけても彼女は答えなかった。
せめて彼女の返事は欲しかった。
リリベルは俺や馬を見る訳でも無く、ただ影の奥をじっと見つめていた。
彼女の視線の先を見てみるが、特に変わった物は無いので彼女に問い直してみると、今度は彼女からの返事が貰えた。
「んー、あれは魔女の弟子たちかな」
「? どこにいるのだ」
「影の中だよ」
影の中と言われても土しかない景色に何を見出せというのか。
彼女が見ている方向と彼女の顔を何度か見返していると、近くで新しい音が聞こえた。それは池の水に大きな石を投げ飛ばした時に聞こえるような音だった。
影が細波を立たせている。見間違いかと思って目を擦ってもう1度確認してみたが、やはり影が蠢いている。
その波が徐々に大きくなると、波の真ん中から突然物体が飛び出て来た。まるで釣られた魚のように、影からそれらが飛び出して来たのだ。
水音を羽ばたかせながら、いくつもの馬車が出てくるわ出てくるわ。
飛び出る勢いが強すぎて、馬車の中身が飛び出て来てしまっているのだが、その中身を見て正直に驚いた。
たくさんの人だ。
いくつもの針がついた竿に釣られた魚のように、人が影の上に飛び出て来る。
飛び出て来た人たちは皆動揺していて、あっという間にこの場が騒がしくなる。
一瞬、魔物の類かと思ってリリベルの前に立ち彼女を守ろうとしたが、すぐにその必要は無いと悟った。
飛び出て来た魚の中に、綺麗な青髪の女がいたからだ。あれだけ目立つ髪を携えた女を俺は1人しか知らない。
「生きていて良かったね」
リリベル自身は全く嬉しく無さそうな口調で言っているが、それでも俺に同調を求めてきた。
彼女の無関心具合に、知らない内に溜め息が漏れ出てしまっていたが、すぐにリリフラメルの無事をもっと近くで確認したい気持ちが湧き立ち、彼女のもとへ急ぐ。
リリフラメルは水に溺れかけたみたいにその場にへたり込みながら咳き込んでいた。
彼女の背をさすりながら、「生きていて良かった」と素直に喜びの言葉を向けると、珍しく彼女が笑顔を返してくれた。
「お前が苦しむ姿をたくさん見るまでは、簡単には死んでやらない」
開口一番でその言葉を言うのかと思ったが、実にリリフラメルらしくて自然と此方も笑みが溢れてしまった。
「全く。自分の身も守れないくそ雑魚な魔女は、とっととこの場から消え失せてくれないかしら」
彼女の無事を祝う場面に水をさすかのように、頭上から声が聞こえた。踏み鳴らす者の足のせいで良く響いて聞こえた声はとても目立っていた。
子どものような声だが、優しく耳触りの良い声で話すリリベルとは違って、甲高い黄色い声だった。
見上げた先にはたくさんの馬車が飛び出て、山のように積み重なっていたそれの頂点から影が生まれていた。
影が人の形になると、すぐに色が付き始め、はっきりと服を来た人と認識できるようになる。
その一目で、昼間の影の下に夜が現れたと思った。
フード付きのマントを風になびかせ、まるで自分が王女にでもなったかのように片手を大きく突き出して号令をかけるような姿を見せながら、尊大な態度を取る彼女が現れた。
肩まで伸びた髪は真っ黒なのに対して顔は白く、彼女の顔が暗闇から浮き立っているみたいで少し変に見える。
マントはまるで夜みたいだった。マントの上側は黒っぽい色をしていて下側へいくに連れて群青色へと変化している。更に、あちこちに点々とした模様があって、その点はどれも小さく光っている。星のようだ。
だから、それは正に夜みたいなマントだった。
「だから、私は魔女じゃないって言ってんだろ!」
「魔女じゃないなら、尚更邪魔よ! どっか行っちゃえ!」
「ああ?」
語気が荒ぶるリリフラメルの気持ちを抑えるべく、彼女と馬車の上に立つ彼女との間に立つ。
その間に、遅れて歩いて来たリリベルが2人の会話に割って入ってくれた。
「やあ。君は確か夜衣の魔女の弟子だったかな」
「な! アンタ、黄衣の魔女じゃない! 何でこんな所にいるのよ!」
夜のようなマントを羽織った彼女は、どうやら魔女の弟子のようだ。
そして、『夜衣』という冠を持った魔女の名は初めて聞いた。
「ふふん、人助けさ」
「人助けえ!?」
夜衣の魔女の弟子は驚きながらも、ずかずかと馬車を降りながら猪のようにリリベルの前まで直進して来た。
「あっ、もしかしてそこの青髪の女はアンタの連れ!? だったら中途半端なことさせないでくれる? 邪魔なのよ!」
先程から弟子が、リリフラメルの堪忍袋を緒ごとずたずたに切り裂いているのに、恐怖を感じている。
リリフラメルの剥き出しになった犬歯が、攻撃寸前であることを表していた。
「ヒューゴ。こいつ、ぶん殴って良い?」
「どうどう」
リリフラメルの怒りを鎮めるべく彼女を胸の内に収めて、背中を撫でてやる。リリベルから習った馬の制御の仕方が早速役立った。
「あー、ずるい! ヒューゴ君、私も私も!」
リリベルが何を羨ましがったのか、俺の服を引っ張りリリフラメルにしたことと同じことを彼女にも行うよう言ってきた。
お前も馬扱いされたかったのか。
リリベルが此方へ寄って来たことで、それに釣られて今度は夜衣の魔女の弟子が「無視すんな!」と黄色い声を響かせて来た。
この阿鼻叫喚の様をどう収めてやろうかと思ったが、馬車の中にいた人たちが怪我をして助けを求めていたので、彼らの手当てを行う提案をしたことで何とかこの場を収めることができた。




