距離が2分の1になる!!
「1つ聞いてもいいか」
「こんな時に会話している場合じゃないでしょ!」
今までリリフラメルに言おう言おうと思っていたことがある。
本当はノイ・ツ・タットで俺の意識が戻った時に、すぐに彼女に聞かねばならないと思っていたのだが、あの後も立て続けに様々な出来事に遭遇してしまい、それどころでは無かった。
リリベルがいる前では何分話し辛いことだったので、彼女がいない今この時が最高の機会なのだ。
だが、リリフラメルの言う通り、今は会話をしている場合ではない。俺たちが背にしている壁1枚を隔てた向こう側には、十中八九友好的では無い異形がこちらに迫って来ているからだ。
それは俺も分かっている。
だが、それでもリリフラメルに聞きたいのだ。
俺はノイ・ツ・タットでこの憤怒し続ける魔女と会ってから、ずっと彼女に対して負い目を感じてきた。
俺は彼女の生きる目的を奪った。
彼女は両親を殺した仇と言える人物と会えたのに、彼女の手で復讐する機会を俺が奪ってしまった。復讐こそが彼女の生きる糧であり、彼女を成り立たせる全てであったのに、俺はリリベルを守るためにそれを全力で阻止したのだ。
更には彼女の四肢を奪い、おおよそ普通の人間が送るであろう生活とはかけ離れた生活をさせる結果へと導いてしまった。まだまだ若い彼女のその後の生きる道を格段に狭めてしまったのだ。彼女を苦しめている犯人は他の誰でもなく俺のはずだ。
それなのに、残虐で非道な仕打ちを行った俺に対して、リリフラメルは今後の人生を俺に付いていくことに費やすと言ったのだ。
俺には彼女の言葉が理解できなかった。もし俺がリリフラメルの立場だったら、果たして復讐を止めた相手と行動を共にしようと思うだろうか。
いや、絶対に無い。
止めどない殺意と行き場の無い憎しみが真っ先に向かう相手は、復讐を阻止されて挙句に自分の四肢を切り裂いてきた者であることは絶対だろう。
だから俺はずっと彼女の心中が気になっていた。
俺の意識が戻ってから、俺がノイ・ツ・タットで彼女へ行ったことに対して、彼女はただの1度も憤怒していない。
魔女の呪いによって、些細なことでも怒りの感情を湧き上がらせてしまう彼女が、最も怒りを湧きあがらせやすいだろう俺の近くにいて、怒らないのだ。
もし、彼女が俺への怒りをただひたすらに我慢していたらと思うと、俺はそれが苦しくて仕方ない。
俺がリリフラメルに今すぐ殺されても文句は言えないし、文句は言わない。何なら腕の1本でも彼女に捧げたいとさえ思っている。
俺は彼女に怒りをぶつけて欲しいのだ。
リリベルに常々注意されていた俺の歪んだ良心が叫びを上げて、リリフラメルの心中を聞きたくて聞きたくて仕方がないのだ。
迫り来る危機から逃れようとする本能と、彼女の答えを渇望する探究心とがせめぎ合って、それでも結局彼女への問いを止めなかったのは、誰かに背中を押されるような感覚が常にあったからだ。
今、この場で声をひそめればアレンにもリリベルにも聞こえることはない。絶好の質問する機会だと、誰かが俺をけしかける。
俺の本心は、今はこの場をやり過ごすことの方が大切だと思っているのに、外部の何者かが俺を操るかのように口を開かせているようだ。決して他人の所為にしたい訳なんかじゃない。どうしても口が動いてしまうのだ。
「リリフラメルは俺に対して怒りを感じていないのか? 俺はお前の手足を切って、復讐の機会さえ潰した男だというのに、なぜ平気そうにしているのだ?」
遂に口に出してしまった言葉が、彼女の耳に入って、すぐのことだった。
右肩からとてつもない熱を感じ始めた。俺の右横で同じく身を潜めている彼女から発せられた熱は、そのまま彼女の怒りを表す。
静かに怒りを発する彼女の吐息が、蒸気の如く吐き出されていく。
ゆっくりと首を右に向けると、彼女と目が合った。彼女の目は怒りに満ちた炎をたぎらせているかのように、俺を捉えている。
「平気な訳、無い。勿論、お前には常に怒りが湧いている。お前の顔を見る度に、お母さんとお父さんの仇であるガキをこの手で焼き殺せなかったことを思い出して、沸々と怒りが湧いているんだ」
「……なぜ俺に付いて来たんだ」
「お前が、お前にも大切な人がいるとか言ったからだ。あの時、一瞬、ほんの一瞬だけお前も私と同じ境遇になったらと考えたら、何か嫌だって思っちゃったんだ。そう考えたら、怒りが湧き辛くなってしまった。炎が出にくくなってしまった」
リリフラメルが拳を強く握り締めて、怒りを外に出さないように努めている。
後ろにいる化け物の足音が少しずつ近付いて来て、店内に入る扉の前辺りまで来ていることが分かったが、それでも俺はリリフラメルの言葉を聴き続けた。
「だから、私は決めたんだ。お前に直接的な復讐はしない。お前に付いていって、出来る限りお前の助けになることをする」
リリフラメルが拳を開いたと共に、彼女は次に発した言葉に怒りを込めて俺の心を攻撃してきた。
「出来る限りお前を助けて、それでもお前が何か人生の壁にぶち当たったり、怪我をしたりして苦しんだ時に、私はその姿を見るんだ。お前の苦しむ姿を見て、私の行き場の無い怒りを発散させていくことにした」
「本当はお前に言うつもりは無かったけれど、お前が聞くからつい怒りを抑え切れなくて言ってしまった」
リリフラメルは口元に笑みをこぼしているが、目は笑っていない。
魔女の呪いで抑え切れない怒りが湧き続ける彼女だが、我を忘れて叫んだり、俺を焼き殺そうとしたりしなかったのは、リリベルの教育のおかげだと思っていた。
実際、リリベルの教育のおかげも少しはあるのかもしれない。
だが、理由の大部分は俺への猛烈な怒りだった。俺に対するどうしようもない怒りを抱えているリリフラメルだが、俺が彼女に言ったリリベルを守るための命乞いが、彼女の復讐を止める楔となってしまった。
その結果、彼女の中に残った正義感が、俺を助けるための意志となった。
俺への怒りを包んだ正義感が、彼女の理性を保っているのだ。
俺の良心なんかより、よっぽど綺麗で気高くて美しい正義感だ。彼女はその若さにして高潔だった。
そして、彼女は自分が壊れないように、正義感で押さえつけた怨嗟を発散させるために、彼女は俺が苦しむ様を見るために付いて来たのだ。
彼女の言葉を聞いて、俺はこれから無闇に死ぬことができなくなってしまった。今の彼女の生きる原動力が俺になってしまったからだ。
そして、悪いこともできなくなってしまった。彼女の正義感が俺の悪事を見逃さないだろう。もし、俺がモドレオのような倫理観を持って行動し始めたとしたら、彼女は迷わず俺を焼き殺すはずだ。
俺は彼女の人生を歪めてしまったのだと、やっと今、心から理解した。
「頼むよ。わざとじゃなくていいから、なるべくでいいから、これから先、たくさん苦しんでくれないか」
そろそろ店内に入る扉が取っ手が動くかと思ったら突然、俺とリリフラメルを横から光が照らし始めた。
扉を開けた様子も無く、真横に半分に割れた街灯がいつの間にか視界の端に入って来たのだ。拳1つ程の距離にいる街灯からなぜか鼻息が聞こえて来る。
「……客デスカ?」
瞬間移動とも言える距離の詰め方に、驚いている暇は無いとすぐに理解できた。もう慣れたものだ。
「全て吐き出してくれてありがとう、リリフラメル。後、もう1ついいか?」
「何だ」
「今ある怒りをここでぶちまけてくれないか?」
俺の言葉を耳に入れて動いたのは2人だ。
1人は街灯頭のスグレット。彼はすぐに右腕に持っていた物体を勢い良く振り上げた。物体が天井の木材を巻き込みながら、俺たちへ向けて振り落とされようとした。
もう1人はリリフラメルだ。
彼女はすぐにスグレットに顔を向けると、歯を剥き出しにして唸り始めた。口元は笑っているみたいだった。
「ああ、腹が立つ! ムカつく!! イライラする!!!」
彼女の長い青い髪の毛を際立たせるかのように、彼女の足元から赤い炎が吹き出して風を作る。
『噴火!』
彼女の炎に焼き尽くされないように、俺は黒鎧に身を纏う。
以前敵として対峙した時と比べて彼女の火炎は、俺を焦がさないし彼女自身の肌も焼けている様子は無かった。
「お前の魔女に炎の魔法の扱い方を教えてもらった!! 私や周りの人をあんまり燃やさずに済むようになったんだ! アイツの教え方は上手くて腹が立つな!!!」
理不尽な怒りがスグレットを飲み込む。




