距離が2分の1になる!
食事が終わった後、使った鍋や食器を洗って元あった場所に戻すついでに、代金として金貨を1枚食卓の上に置いていく。
この世界が無くなった時に、本来の世界にどう影響するかは分からない。
もしかしたら、使った分の食材が家主の知らぬうちに消失してしまうかもしれない。そうなった時のために、代金を置くぐらいはしておいた方が良いだろう。
これだけ寒いと食糧の確保は大変なのでは無いかと思うし、大切な食糧を勝手に拝借したとバレれば黄衣の魔女の名に傷が付く。それは避けたい。
借りた物を返したところで、応接間に戻ったところで丁度アレンとリリベルたちの会話が耳に入ってきた。
彼らの会話の邪魔をしないよう目立った音が出ないよう注意して近付く。
「お嬢さん。お願いがあるのですが、お聞きいただけますかな」
「何かな」
「この無限に続く通りにいる者は私だけと言いましたが、実を言うと来訪者がいるのですよ」
この世界は、彼の言葉の弊害によって、彼だけの世界となっていた聞いたが、どうやら彼以外にも人がいるようだ。それなら先程の彼の話は何だったのかと彼に問い詰めたくなるが、今は彼の話の続きを黙って聞くことに努めることにする。
「彼はいつも決まった時間にこの世界にやって来て、決まった時間にこの世界から去って行くのです」
「んん。もしかして、その人はこの世界と元の世界を行き来できる方法を知っているのではないかな?」
「ええ、ええ。おそらくはそうでしょうな」
「それなら話は早いじゃない。その人に教えてもらえば私たちは、ここから抜け出せる訳だね」
アレンはいきなり暖炉の横に置いてあった水の入ったバケツを持ち上げて、温もりの拠り所である暖炉の火にかけた。当然、薪の火は消えた。
「え、ちょっ――」
「私はそれなりの時間をこの世界で過ごしましたが、どうも彼に話しかける勇気が出てこないのです。貴方方なら彼と対話できるやもしれませぬ」
「……私には君が恥ずかしがり屋の人見知りには見えないのだけれど」
リリベルとアレンの会話に割って入ろうとしたリリフラメルを捕まえて、火を消したアレンに殴りかかろうとする彼女を宥める。
どうどうと言っている間に、俺たち以外の音が外から聞こえてきた。
聞き覚えのある音だ。
ノイ・ツ・タットで怒り狂ったリリフラメルと戦った時、彼女は胸に槍が突き刺さったままの状態で動き回っていた。その時に槍の刃先が常に地面を擦りながらガリガリと音を立てていた。奇怪な音を立てて怒り狂う彼女に対して、不気味さを感じていたことを思い出す。
今、家の外から聞こえてくる音はそれと似たような音だ。
何か重い金属がある物を引き摺る音だ。一定間隔で音が鳴るそれは、誰かが1歩ずつゆっくりと歩みながら進んでいることを教えてくれる。
「様子を見てくる」
リリフラメルを掴んでいた手を離して、店の外へ向かおうとするとアレンが立ち塞がり行く手を阻む。
「なるべく音を立てずに見に行くことをお勧めしましょう」
先程まで軽快に喋り散らかしていたアレンの声が小さくゆっくりとなるその様子を見て、来訪者が只者では無いことを測り知る。
「もしかして、人間では無いのか?」
「私の知る限りでは、彼を人間と呼ぶには難しいですな。ですが――」
アレンは応接間から店内へ続く扉まで歩いて、取っ手をゆっくりと引きながら扉の向こう側へ手を差し出してきた。
「彼はスグレットさんでしょうな」
「でも、さっきスグレットさんはまだ半分になっていないって言っていませんでしたか?」
「言いましたとも。故に彼は人間では無いと言えましょう」
意味不明だ。
アレンの言葉を彼自身に解説してもらうよりも、スグレット本人を見た方が早い。
抜き足差し足で扉を抜けてから、念のため腰を低くして店の外の様子を窺いやすい大きなショーウインドウまで近付こうとする。
リリフラメルがピッタリと俺の後ろを付いてきてくれたが、リリベルは応接間の扉近くから顔をひょっこりと覗かせてそれ以上は進んで来てくれなかった。恐らく彼女は、もしかしてスグレットが幽霊なのではないかと思っていて、怯えているのだろう。
外の者に気付かれないように、ショーウインドウの真正面から外の様子を見るのではなく、すぐ横の壁から顔を少しだけ出して覗いてみる。
ガリガリと地面を削りながら何かを引き摺る音が、徐々に大きさを増していく。
すると、ガラスの向こう側の奥の方から音の源である物体の輪郭が浮かび上がり始めた。真っ暗な雪景色から現れたそれは、通りの真ん中を歩いて来ている。灯りを持っているようで、ぼんやりと光がゆらゆらと動いているのが分かる。
極めて小さな声でリリフラメルが俺の耳元で呟く。
「何あれ」
彼女の言葉に返事ことはできなかった。
アレンがスグレットと呼ぶ彼が、店の前を通りかかろうとした時に最もその姿を目に捉えることができた。
灯りを持っていると思ったが、光の元は彼の顔そのものであった。半分に割れた街灯がそのまま顔と置き換わっている。
左腕は全く食事を与えられなかった者の腕のように、骨と皮だけのか細い腕であるのに対して、右腕はその身体から生えている腕としては異常な程大きい。
その肥大化した右腕は、柄の長い物体を引き摺っている。物体と言ったのは、その物体を形容できる言葉が見つからないからだ。ハンマーとも言えないし、大剣とも、槍とも言えない。初めて武器を作製した者による前衛的な芸術作品にしか見えないのだ。
だが、それを芸術作品と呼ぶには余りにも不気味すぎる。その物体の形を見ているだけで不安になり、吐き気さえ催してしまう。
彼は服を着ているが、ぼろぼろに破れている。普通の人間だったら、あの薄い服装で外を出歩くのは体調に異常をきたすに繋がること間違いない。屠殺でもしたのかと思うぐらい赤黒い何かが、身体中の至る所に跳ね散ったように付着している。
おおよそ人間では無い。
「スグレット……スグレット武具店デハ、タダイマ無料デ、剣ヤ槍ノ刃ヲ、オ研ギシテイマス。オ気軽ニスグレットマデ、申シ付ケクダサイ」
抑揚の無い声は、人間味をまるで感じさせない。
そして、化け物が喋る内容から、アレンが化け物をスグレットと呼びつつも人間では無いと言った理由が分かった。
「申シ付ケクダサイ!!!!」
「ひっ!」
通りを巨大な音が響き渡り、俺たちがいる店内まで突き抜けてきた。その音に驚いて小さな悲鳴を上げたのはもちろんリリベルだった。
彼女の小さな悲鳴と共に、いきなり光が店内に差し込む。スグレットがこちらを向いているのは明確だ。
慌てて窓ガラスから身体を離して、リリフラメルと共に壁際に背中から張り付く。
リリベルはすぐに扉から離れて応接間の奥へ隠れたようだ。店内と応接間を繋ぐ扉横にいたアレンが、彼女が隠れた方向を指差して教えてくれたので、小さく手を上げて了解の意を伝える。
「アレって倒せるの?」
「分からん。だが、倒すとなったら戦力になるのは俺とお前だけかもしれない」
すぐ横にいるリリフラメルが戦闘に備えて徐々に熱を発し始めている。彼女の吐息が蒸気のように多分に白い煙を吹き始める。
店内に差し込んでいる光が少しずつ強くなり、スグレットが近づいて来ていることを知らせる。




