200日前
「ヒューゴ! 疲れはないか!?」
「大丈夫だ! だが、鎧が壊れたらそれまでだ!」
ディギタルが俺を気遣ってくれた。彼の剣の腕は確かで、魔法トラップが発動する前に野良の魔物が現れた際、一振りで決着をつけた程の腕前を見せてくれた。
彼は強いだろう。だが、今起きているこの終わりの見えない魔物の群れの襲来には、俺より長く保たない気がしている。黄衣の魔女の魔力があってこれだけの時間持ち堪えられているのだ。
油断をしているつもりはなかった。
だが、一匹のゴブリンが俺の股をすり抜けてしまった。初めて魔物を通してしまった。
「ゴブリンが1匹!」
俺はゴブリンが通ったことを大声で後ろに知らせた。気付いて対処してくれることを祈るしかない。
「うわあ!」
イゼアの気の抜けた声がすぐ聞こえた。
だが、後ろを振り向いてイゼアを助ける訳にはいかない。俺が通り過ぎたゴブリンに意識を集中させたら、この目の前にいる魔物の波が容赦なくなだれ込んでくることになる。
「イゼア!?」
「大丈夫です! 何とか……倒しました!」
どうやらゴブリンは倒せたようだ。良かった。
「ディギタルさん! ありました! 無数の魔物を生み出す魔法トラップの記述です!」
ジェトルがついに魔法トラップに関する記述を見つけたようだ。やっとこの戦いが終わると安堵するにはまだ早いが、それでも終わりが見えたことに喜びが湧き上がる。
「解除方法は!?」
「『賢者の石を欲する者、同じ時に至る時、その資質を認める。 賢者の石を手放さんとする者、全ての闇を光で照らす時、凪に至る』と書いています!」
「『賢者の石を手放さんとする者』の方の記述が解除方法を意味しているのか! だが、『全ての闇を光で照らす』とはどういう意味なんだ!?」
「光を照らす魔法を使えということではないでしょうか!」
光を照らす魔法なんて誰か使えるのだろうか。
「私がやってみよう!」
ディギタルが名乗りを上げた。
『極光剣!!』
直後、すぐ後ろから眩く白い光が解き放たれた。
◆◆◆
城で牢屋番をしていた頃の話。
俺が魔女の世話をしていた時の話。
昼を知らせる鐘が鳴って、暇を持て余した兵士たちが黄衣の魔女の檻からゾロゾロと出てくる。
1人の兵士が俺に目を合わせると、腕の骨が折れて呻いている俺に唾を吐いてきやがった。
牢屋にいる人が俺と魔女の2人だけになると分かると、俺は折れた腕を庇いながら魔女の元へ歩み寄る。
「ひでえな」
魔女がお気に入りにしているぼろぼろのローブは更にぼろぼろにされて、魔女の傍に雑に置かれている。
魔女の辺りは血が散乱していて、鉄の臭いがひどく立ち込めている。
肝心の魔女は当然かのように服を着ていない。身体のあちこちに青痣や焼け焦げた跡ができており、全ての手足があらぬ方向を向いている。魔女が倒れているすぐ近くには目玉が1つ落ちており、左目からは血が垂れていることから恐らく彼女の目だろう。
なぜこうも残虐なことを簡単にできるのか。魔女だからという理由だけでできる所業ではない。
魔女は兵士たちのあらゆる暴力に無抵抗で、悲鳴の1つも上げなかった。
「おい、起きろ」
俺は使えるもう片方の腕でゆっくりと倒れた魔女の身体を抱え上げる。
魔女の右目だけがこちらを捉える。どうやら起きてはいたようだ。
「回復魔法を使え」
俺は魔女に元の姿に戻るよう指示する。魔女は虫の息ながらもゆっくりと口を動かした。
「私は……不死身だよ。私を……殺し続ければ……元に戻る……よ」
そう。黄衣の魔女は死ぬと、死ぬ直前の状態に戻る。そして死ぬ回数が多ければ多い程、死なないで済む前の状態に戻り続け、例えばその間に受けた怪我はさっぱり消えて無くなる何とも便利な能力を持っているのだ。もっとも彼女はこの便利な能力を『呪い』と呼称して忌み嫌っていたが。
「駄目だ。回復魔法を唱えろ」
そして、俺は魔女を殺せない。
兵士たちが魔女に暴力を振るっていた最中のことだ。
兵士の1人が思い切り拳で顔を殴り付けた瞬間、兵士たちが囲む隙間から少しだけ覗かせた手指がギュッと強張るのを見た。
魔女はどのような暴力を振るわれても叫び声を上げない。だから痛みなど全く感じていないのだと俺は思っていた。
だが違った。魔女は痛みを感じていたのだ。今までどうやって声を我慢していたのかはわからないが、魔女はこれまでの全ての暴力をただただ耐えていたのだ。
偶然だと思って何度も何度も観察した。だが、確認する度に、その度に疑念が薄れて確信が濃くなっていく。
俺は魔女を殺せない。
魔女が何度も殺されて生き返るのを見た。だから魔女を殺せば簡単に元通りになるだろう。
だが、殺されていく度に音のない悲鳴が聞こえてきそうになる。
◆◆◆
俺は魔女を殺せないし、魔女を殺させない。




