幸せを喰む者より、憎悪を込めて9
なぜ、アアイアの攻撃を許してしまったのかと問われたら、魔法の威力が弱かったからだろう。
多分、多分だけれど魂の量が足りない。私の魔法って意外と燃費が悪いのだと今ここで気付いた。
そして、右手を失ったことによる私の記憶の変化を真っ先に振り返る。
けれど、何の記憶を失ったのか自覚できるのかな。
私が探している人はヒューゴ君。
うん、大丈夫だね。
一方フェルメアの夫は、何か物思いにふける訳ではなく、直ぐ様に剣で刃の蛇の頭を叩き払いのける。
蛇は泥の壁の後ろに逃げ込んでいく。
「これが君たちの幸せ……」
通路の中にアアイアの言葉が響く。
彼の言葉からして、やっぱり思い出を奪い取られているみたいだね。
「君たちは幸せだったはずなのに、吾が幸せにならないのはなぜなのかなあ」
分かりきったことを言うアアイアに反吐が出てきそうになる。
地獄の王様を名乗るくせにそのようなことも分からないのかな。私みたいな小娘が、彼の無知振りに心底腹を立たせさせるのだから相当な馬鹿だと思う。
当事者の幸せを赤の他人が理解して、その幸せの気分を完全に享受できることは無いということぐらいは私でさえ分かっているのにね。
思い出の奪われ損じゃないか。
「満足したかい? 満足したなら追いかけっこはこれで終わりにしないかい?」
「もしかしたら、君たちの全てを奪い取らないと吾は幸せにならないのかもしれないなあ」
彼の言葉と共に、真ん中にぽっかりと穴を開けた泥の壁の奥から、再び刃を集めた蛇がぬるりと出てきた。
彼に一喝してやりたいところだけれど、私の魔法もフェルメアの夫の攻撃も、ヴロミコの防御でさえもアアイアの攻撃を止めることはできないこの状況では、叫んだところで格好がつかないだろう。
腰に提げていた細剣を抜いて構えてはみるけれど、付け焼き刃で習った剣で果たしてどこまで対処できるだろうか。
フェルメアの夫は剣を構えてはいるけれど、なぜか顔が呆けているようで、先程までとは違って覇気が無い気がする。彼の上半身の左側がごっそり抜け落ちていることを考えると、奪われた記憶による彼を彼たらしめる何かが失われてしまったのかもしれない。
盾くらいにはなるかもしれないので、彼はこのまま前に置いておこう。
「師匠、魂をもっと欲しいかな」
ヴロミコが魂を要求するけれど生憎と彼女に満足に渡せる程の魂がもう残っていない。胸中にあった異物感がほとんど薄れてしまっている。
右手で魂が渡せないことを示す手振りをするけれど、私の右手が空白になっていることを忘れていた。きっと彼女に伝わってはいないね。
だから、後ろにいる彼女の方を一瞥して改めて言葉で伝えようとしたのだけれど、ヴロミコの更に奥にはいつの間にか通路一杯に波のように無数の刃物が存在していた。
刃物たちの波は動きを止めることなく、私たちを巻き込もうとしている。
前も後ろも武器だらけで、私たちの逃げ場は無くなってしまった。
「君に渡せる程の魂はもう無いよ」
前方の蛇が口を開き、一気に距離を詰めて来る。
後ろにいる刃の波は既に私の身体を覆っているのではないかと思えるぐらいに耳元で聞こえてくる。
細剣を構えてみてはいるけれど、迫り来る刃の1つ1つに対処してもきっと間に合わずに串刺しにされるだろうね。
それでもやれるだけのことはやらないといけない。
あれだけ酷く聞こえていた金属の擦り合う音が一切なくなり、辺りに悲鳴だけが木霊するようになった。
フェルメアの夫は再び、蛇の刃の歯で咬みちぎられる寸前だった。
けれど、蛇は口を開けたままで閉じる動きを見せない。
後ろを振り返ると武器だらけの波が、ヴロミコと私を飲み込む寸前で静止している。文字通りに目と鼻の先の近さに、剣の切っ先が向けられていて、あと1歩私が波に向かって進めば串刺しになるところだった。
「ゼデが来た」
通路に響くアアイアの声がとても残念そうに告げてきた。
「君たちを待っているみたいだなあ。中央の部屋に来てくれ」
寸前で静止していた刃の群れは、徐々に後退していく。ただの刃物なのにどこか力無く動いているように感じさせる。
アアイアは「惜しいなあ」という言葉を何度も呟いて、少しずつ遠ざかっていき最後には暗闇の向こうへ消えてしまった。
端的に言うと私たちは助かったみたい。




