地獄の門より、疑問を込めて
アルマイオは嫌いだけれど依頼を断るつもりはなかった。
誰も彼もヒューゴ君が大切にしようとした者たちだから、彼の優しさに免じて我慢してあげてるだけ。
クレオツァラは聖堂にある採掘場へ続く扉の前で待機することになり、私1人で採掘場に下りることになった。
彼は「私はアルマイオに立ち入ることを許可されていないので、ここで待っている」と言って見送られたのだ。剣術指南の本に書かれた文体の通り、お堅いおじさんだよ。
最下層の採掘場がある広がりに出ると、既に来客があった。来客と言っても今は私と行動を共にする1人だけれどね。
「こら! サボってないで仕事しなさい!」
「驚かせるな……。心臓が止まるかと思った、ああ思ったさ」
エリスロースが件の紫水晶の前で怪しい動きをしていた。敵国の間者かもしれない。
周りの景色を確認しながら、彼女の近くまで行く。
採掘場と言う割には、ここから先を掘り進んだ形跡が無いのが少し不思議かな。
それに岩石と土しかないこの広がりに、巨大な水晶の存在は一際目立つ。なぜこれだけは誰も手をつけなかったのか。
「それで、何をしていたのかい?」
「この水晶を調べていた」
男の姿をした彼女はそう言った。
なんだなんだい。それならこの水晶のことは彼女に任せて、私はヒューゴ君の世話でもしていれば良かったよ。
「何か分かったのかい?」
「見ていてくれ」
言うが早く、彼女が水晶で手をなぞり始めた。すると彼女は意を決したように水晶に手を押し込めるような動きをする。これだけ巨大な水晶なのだから押した所で動く訳がないと思っていたら、予想外の結果になる。
エリスロースの腕が水晶の中に埋まった。見た目は硬質そうな塊の水晶なのに、桶に張られた水のように突然反発を失い、手があっさりと水晶の内側へ飲み込まれていく。
「これが更に……」
彼女が進む程、水晶は彼女を飲み込んでいく。
腕、頭、身体、足と入り込んで行き最後にはエリスロースは完全に水晶に飲み込まれた。
水晶の表面近くに留まっていた彼女だったが、私を一瞥した後、更に奥へと進んで行き、私の視界からは彼女の姿を確認できなくなる。
反対側に出たのかと思って、水晶の後ろ側に回ってみたが彼女はいない。水晶の表面を覗いてみても鈍く透き通った紫が見えるだけで、それ以外には何も見えなかった。
変なの。
再び水晶のエリスロースが吸い込まれた側へ回り込み、試しにノックしてみる。
硬い。想像した通りの水晶の硬さだ。ガラス質の音が返ってくるだけで特に変化はない。
それならと水晶の表面に手を置き、思い切り押し込んでみる。
すると水晶は突然反発を失い、私はバランスを崩して前のめりによろけてしまう。普通であれば額に水晶をぶつけて痛い目に遭うところなのだけれど、エリスロースと同様に私の身体は水晶の内側へと何の抵抗も無く入り込んでしまった。
驚いて閉じてしまっていた目を再び開けると、赤黒い世界が目の前に広がっていた。
空がある。雲がある。地面がある。草木らしきものが生えている。
水晶の中に世界があるなんて知らなかったよ。
少し先の崖の先にいるエリスロースへ近寄ってみると、目の前に広大な荒野が広がる。
土は赤黒く、雲は分厚いため、陰鬱な雰囲気を感じてしまい、長時間この場所にいたいとは思えない。
広大な荒野には1つの巨大で真っ黒な穴がある。暗すぎて穴の淵のすぐ下でさえ何も見えない。
「水晶の中ってこんな風になっているのだね」
「多分、違うかな」
エリスロースは既にこの景色を見ていたようで、特に驚いている様子は見せなかった。
「別の世界に飛ばされている気がする、ああそんな気がする」
「広いね。ここがどんな場所なのかを調べるためには、長い時間がかかりそうだね」
「先住民でもいれば良いのだが」
エリスロースは手で土を掬い、指同士で擦り合わせてその場に赤い粉を振り撒いている。水分が感じられない。
正直、水晶の中にこれだけ広い世界があるのは驚いたけれど、今のすれた私には大変興味が無い。広いと調べる量も増える訳で、心の中の面倒も爆発寸前まで膨れ上がる。
いつもならこういう時にヒューゴ君が私に鞭を入れて更に先に進ませるのだ。彼の言うことは何だって心地良く聞こえるので、面倒な心も大分萎んでくれる。
この広い世界を目にして萎えてしまった私は企む。エリスロースがこの世界を気に入っているのなら、後は彼女に調べさせよう。そうしよう。
とりあえずの報告として、ここがどんな場所か分からないけれど、水晶の中に別の世界があるっぽいという情報で、アルマイオには納得してもらえないだろうか。無理かな。
そのようなことを考えつつも、まずはこんな目に悪い世界に長居したくないという気持ちも出てきたので、もと来た道を引き返そうと振り向く。
水晶から入って来たのだから帰り道にも水晶があると思っていたけれど、そこには木の扉が1枚あるだけだった。
多分、帰り道はあの木の扉だろうね。私たちがいる崖の上の荒れ地にはそれ以外ないし。
行きは水晶で帰りは扉というのは、統一感に欠けていてあまり好みではない作りだ。この扉を作った人はもう少し美的感覚を磨いて欲しい。
扉に近付いている間に、扉の方が勝手に開いた。
近付くと勝手に開く便利な仕組みなのかと思ったら、扉の向こう側から人がずるりと音を立てて出てくる。
良く見ると人ではないかもしれない。
顔面蒼白な腰の曲がった老人が、真っ黒でフワフワしてそうな何かに包まれている。見える肌の部分が顔しかない。
彼が1歩進む度に、足元から黒い液体が垂れて地に染み出していき赤い土を黒に染め上げる。同時に鼻がひん曲がりそうな程の腐敗臭を漂わせてくる。
私が言えた義理ではないけれど、臭いからお風呂に入った方が良いよと彼に言いたい。