幸せを喰む者より、憎悪を込めて6
もと来た通路の方から聞こえていた激しい金切り音は、徐々にその喧しさを上げていき、確実に私たちの方へ近付いて来ていることを教えてくれた。
ヴロミコという名の魔女は、通路に全くの隙間無く泥を敷き詰め始めると、それは通路を塞ぐ壁となる。ヴロミコは泥の壁を何重にも作り上げて、追いかけっこの時間稼ぎをしてくれている。
私は魂の吸収を諦めて、後退しながらも念のため牢にいる者の顔を確かめていく。ヒューゴ君は見つからない。
ヴロミコにどれだけの魂を分け与えてどれだけの魔法を使えるのか計ることは難しい。やっぱり魔力とは毛色が違うのだろうね。
それでも相当量の魂を分け与えたので、彼女は存分に壁を作り上げていく。心配ごとは、その泥の壁に一体どれだけの防御力があるのかだね。だって、泥でしょう。
ヴロミコには足止め用の壁は程々にお願いし、私たちはアアイアとの距離をより離すことに集中する。とは言ってもただ通路を奥に奥に走っていくだけなのだけれどね。
走ってしまうとさすがに牢屋の中を良く確認することはできない。仕方ないけれど、アアイアが迫って来ている以上、私たちの安全が確保できるまでヒューゴ君探しは一旦止めるしか無いね。
「あ、1つ目の壁が壊れたかな!」
足止め用の壁がもう壊された。やっぱり泥は泥だよ。哀れな魂の犠牲に手を合わせて、興味も無い、姿を見たこともない神様へ私が代わりに祈ってあげよう。
「あ、2つ目の壁が壊れたかな!」
「ちょっと壊れるのが早すぎるよ……」
黙っていようかと思ったけれど、想像以上に壁を破壊される間隔が早くて、つい言葉に出さざるを得なかった。
せっかく不快な金属音の塊が壁によって遮られていたのに、徐々に音が聞き取りやすくなっていきたような気がする。
ただ、私たちの足で逃げ切ることができない程の音の近付き方では無かった。
ヴロミコの泥の壁が破壊された報告の間隔は確かに早かったが、それでも壁と壁との距離を加味しても、ヴロミコに報告する暇がある程度には、金属音の源の動きは大したことが無い。
私が本気で走り抜けば追いつかれることはないと断言できる。
走りながらでもヴロミコがたまに泥の壁を作り出しているのだから、尚更この追いかけっこで私たちが負ける想像が付かない。
遠くで金属のさざ波の音がする。近くでは人や動物が叫ぶ声がする。
それらの音の中に、たまに単純な金属音が混じってくる。食事中に誤ってフォークを1本落としてしまったような音で、聞き覚えのあるごくありふれた音。
「この音、何だろうね」
「ふむ、私も気になっていたところだ。確かめるか?」
「後ろからアアイアが追って来ているのだから今は――」
私が喋っている途中だというのに、フェルメアの夫が突如として私の胸倉を掴み取り無理矢理走りを止めて彼の近くへ引き寄せて来た。おかげで私は予期せぬ急停止に「ぐえっ」と間抜けな声を2人に聞かせる羽目になってしまった。
ただ、彼がなぜその行動に出たのか私は分かっていた。
その行動に至る原因が、彼に服を引っ張られる直前の視界の端にいたからだ。
私もフェルメアの夫も、それが先程から聞こえていた金属音の源であると一瞬で理解できたし、おそらくそれに触れてはいけないという予想もすぐにつけられた。
服を引っ張られて、急制動で走りを止めた私の目の前を、酷くぼろぼろに刃がこぼれた鋏が通り過ぎていったのだ。
鋏は反対側の牢屋の鉄格子にぶつかり、その場に自然に落ちた。
だが、誰もその鋏に触れていないのに、鋏は自然に震えて移動を始めている。
鋏が投げられたとするなら、すぐ左側からの牢屋からだと思うのだけれど、牢屋の中を覗き込んでみても焦点の合わない魂の抜け殻がいるだけだ。とても彼が私に向かって鋏を投げつけてきたとは思い辛いね。
ともなれば鋏が勝手に動き回っていることになる。
「罪を洗い流すための道具はアアイアの支配下に置かれていたりしてね」
「コレが勝手に動くということはそなたの予想通りなのだろう」
フェルメアの夫が下に落ちていた鋏を剣で弾き飛ばす。
弾き飛ばされた先を何の気なしに見ていたら、いくつもの贖罪の道具が各々の牢から通路へはみ出して来ていた。
アレらをどうやって避けようかね。




