幸せを喰む者より、憎悪を込めて4
「後ろの2人はどうなんだい。君たちは死者のようだけれど、なぜここにいるのかなあ」
アアイアの質問に先に答えたのは王様だった。
「私は魂の清算を甘んじて受け入れるつもりだ。だが、その前に、最後に妻に会いたい」
王様の言葉に地獄の王様は、座っていたロッキングチェアから更に身を前に乗り出して、自らの突き出た刃を擦り合わせて不快な音楽をかき鳴らす。
「それは大事な者なのかなあ?」
「当たり前だ。愛している」
「その者との思い出は、とても幸せなものなのかなあ?」
「無論だ」
歪な金属音を高い天井によく響かせる物体は、王様の話を聞いた後、今度は泥まみれの魔女の方へ剣先を揃える。
「君はどうなのかなあ」
「私は師匠と遊びたいだけかな! でも、泥遊びできれば誰でも良いかな!」
「遊び。それは楽しいのかい?」
「楽しいかな!」
「誰かと遊んだ記憶は幸せだったのかなあ?」
「幸せかな!」
ロッキングチェアは完全に手前側へ傾いていて、もうすぐでその上に乗っている物体が落ちてしまいそうなぐらいに、アアイアは前のめりになっている。
「その記憶も喰わせてくれないかなあ?」
多分、「はい」と答えない方が良い。私の魔女としての直感、略して魔女感がそう言っている。
もっとも、皆がそれぞれに持っている大切な思い出を喰わせてくれと言われたら、「何を言っているのだ、こいつ」としか思えないだろうね。
「魂にこびりついた記憶は次の生を受けるには不要。ここで記憶は剥がさなければならない。どうせ不要なのだから吾にくれないかなあ」
「記憶を食べられるた者はどうなるのだい? 2度と思い出せなくなるのかい?」
「その通り」
「私は生者だから思い出が消えちゃうと困るのだけれど」
「過去って必要かなあ? 君が探している人間が見つかったら、共に新たな思い出を生み出せば良いじゃないか」
「ははっ」
なるほど彼の言う通りだね。確かに思い出は薄れていく。
興味のないできごとなんかすぐに頭から離れていくのだから、興味のあるできごとでも、いつかはその情景すらぼやけてくると思う。
彼は、どうせ思い出せなくなるなら自分にくれと言うのも分かる。
ヒューゴ君と出会う前の私だったら、過去の記憶なんかにこれっぽっちも興味は無いだろうから、アアイアの問いにどうぞと答えると思う。
「絶対に嫌だよ」
そう、今の私なら彼の願いを絶対に叶えてやる訳にはいかない。
その理由を口にすることはできない。死んでも喋らない。恥ずかしいからね。
死んでも喋らないと思ったけれど、ヒューゴ君に聞かれたら答えるかもしれない。
彼の記憶は、彼と過ごした記憶は、私にとってはすごく興味のあるできごとなのだ。
覚えていられる限りは、何度も同じ手紙を読んで文字がかすれて読めなくなるみたいに、何度も何度も頭の中で彼との思い出を呼び覚ましている。
それは私の心を良い意味でも悪い意味でも躍らせる。
彼の仕草1つ1つが私を困らせたり、喜ばせたり、泣かせたりするのだ。彼のせいで私の感情は滅茶苦茶になるのだけれど、それが心地良いのだ。
どれも消えて欲しくない記憶だけれど、特に消えて欲しくない記憶がある。
過去に、血を扱うのが得意な魔女によって、私とヒューゴ君との間で血を通わせたことがあった。
そして、血を通わせたことで彼の記憶が私の中からも覗けるようになったから、当然、彼の記憶という名の心の中を覗き見た。
ヒューゴ君は私のことばっかりを考えていたのだ。更に彼は、私が彼のことをどう思っているかを知って、それを嬉しく思っていた。
ただその時は戦いの最中だったから、私と彼は別のことに集中する必要があったのだけれど、彼はずっと、私のことばかり考えていたのだ。血を扱う魔女に魔法を解かれるまで、ずっとずっと私のことを頭の中で考えていたのだ。
彼が頭の中で私のことを想ってくれたことはもちろん嬉しかったけれど、最も嬉しかったことはその先にあるのだ。
彼がずっと頭のどこかで私のことを考えていることに、私が気付いているということを、彼は知り、また私が知る。それを延々に繰り返してしまう行為そのものがとても嬉しかった。
彼の私に対する強い想いと、私の彼に対する強い想いを、お互いに無限に受け合い続けていく行為そのものが、強烈で猛烈に記憶に残っていたのだ。
その感情の殴り合いはお互いに止めようとしても止まらなかったね。
恋愛に関する書物や観劇をたくさん見聞きしてきた。
物語の中で、恋する者同士が相手のことをどう想っているか、互いに根拠を提示し合う場面を描写する展開は、腐る程にあった。
けれど、集めた膨大な知識の中にある物語をいくら照らし合わせても、そのような馬鹿なできごとは無かった。
私とヒューゴ君は、世界中にいるどの生物でも考え付かなかった物語を成し遂げたのだ。なんと、お互いの頭が一杯な状況の中、片手間に月を破壊したというおまけ付きで。
こんなに嬉しいことはあるかい?
だから、例え消えかけている記憶だとしても絶対にアイツにはくれてやらない。
こんなに興味深い思い出を誰かに渡すのはもったいないよ。
「君に関しては、全ての記憶を奪う訳ではないよ。少し喰わせてもらえればそれで良いのだけれどなあ」
「絶対に嫌だね」
「私も断る。例え最後に全ての記憶が消えようとも、その最後まで私は妻を想い続けたい。途中で消し去ることはしたくない」
後ろにいた王様が、私の言いたいこととほとんど同じことを言ってくれた。
「私は別に良いけれどね」
泥を扱う魔女だけは全く反対のことを言うので、どうにも場が締まらないね。
「じゃあ、君たちは幸せなままなのかなあ」
「幸せでは駄目なのかい?」
「駄目に決まっているじゃないかあ。だって、吾は今、幸せじゃない」
それは知ったことではない。
「憎いなあ。ああ、憎いなあ。君たちは幸せなのに、吾は幸せではないなんて、憎いなあ」
串刺しだらけのローブから、腕っぽいものがゆっくりと飛び出てくる。
けれど、腕っぽいものにはありとあらゆる武器が突き刺さって貫通し、その刃をいくつも飛び出させているため、そこに腕があるのかは視認できない。もしかしたら足とか尻尾とかかもしれない。
とにかくその伸び出た一本の長い武器の塊は、彼の足元に突き立てられると甲高い金属音を響かせたのだ。
「吾の部下がゼデを見つけるまで、遊戯をしよう」
おや、嫌な予感がしたけれど、遊戯と言うのであれば荒事にはならないかもしれないね。
「追いかけっこをしよう。私に捕まったら負け。記憶を少し喰わせてもらうかなあ」
前言撤回だね。
見たことない暗器やフォークやナイフなどの小物がアアイアの身体から、湯水のように床に流れ散らばり始めると、やがて勢いに乗って音を立てて階段を駆け落ち始める。
頂点にいたアアイアの胴体らしい部分からは3本の長い武器の塊が飛び出て、生き物のように蠢いている。
彼の動作全てが、音が良く響くこの部屋で、最悪の聴き心地で金属の音楽を奏でてくれている。
「嫌だと言っているのに、無理矢理だね。他の地獄の王に君の失態を教えに行くけれど、良いのかい?」
アアイアにもう今1度脅しをかけてみるけれど、様々な金属が擦れたり落ちたり叩かれる音が鳴る中に、良い返事は返ってこなかった。
「失態って何の話かなあ? あれ、そういえば、なぜ君たちはゼデを探しているのかなあ?」
どうやら記憶を失っていくのは私たちだけじゃないみたいだね。アアイアもまた自分にとって心地の良い記憶しか残らないみたい。
彼との追いかけっこが問答無用で始まるのは間も無くだった。
無数の武器で貫かれた腕が不愉快な音を立てながら、私たちに向かって急速に伸び出てくる。
椅子に座ったままのアアイアは武器を震わせて、それは人間の笑い声のようにも聞こえた。




