幸せを喰む者より、憎悪を込めて3
口一杯に飛び出している刃があるというのに、その物体がどうやって喋っているのか不思議だ。
彼は名前をアアイアと言った。もう少し言いやすい名前にならないのかな。
「脱獄しても良いことは無いと思う。罪が増えるだけと思うけれどなあ」
「人を探しているのだよ。誤ってこの世界にやって来ているみたいで、探しているのだ。名前をヒューゴと言うのだけれど知っているかい?」
「知らないなあ。日々死にゆく者たちが一体どれだけいると思うのだい。覚える気はないし、そもそもここでは君たちの名前は無用だ」
それもそうだね。
人間だけじゃなく、虫等の小さな生き物ですら等しく罰を受けているとするなら、一々存在の認識なんかしないだろうね。
「むむ、君は死んでいるのかい?」
「私かい? 私は生きたままこの世界に来たのだよ。肉体はまだ生きていると思うよ、多分」
アアイアに問われて正直に答えると、彼は首の部分を傾げて悩み始めた。その動作1つだけで飛び出た無数の刃たちがぶつかり合って、甲高い金属音を奏でる。心地良い音ではない。
「困ったなあ。生者がここにいるのは良くないし、皆にバレたら文句を言われそうだなあ」
皆とは他の王たちを指すのかな。
9層の王と彼が言ったのだから、少なくとも他に8人の王がいることになる。脱獄犯の存在を他の王にも知られてしまうのは、アアイアだけでなく私も都合が悪い。ヒューゴ君を探し辛くなりそうだ。
「私の騎士を見つけたら連れ帰らせて欲しいな。用事が終わったらすぐにこの世界から出て行くよ」
「ソレがどこにいるのか分からないのに、無闇にうろちょろしないで欲しいなあ」
彼を説得するためにもう少し良い材料があるのだけれど、肝心の彼の名前が思い出せない。
多分、アアイアと同じ王なのだから、彼の名前を言えたら話が簡単に進みそうだと思っているのだけれど、身体を斜めに捻っても上手く思い出せない。
アアイアに、辛うじて覚えている彼の外見の特徴を言ってみて、名前を当ててもらおう。
「探す当てはあるよ。君と同じ地獄の王様の1人も、その人を探しているのだよ。見た目は真っ青な顔色の老人で、腰がすごく曲がっていて、あと臭い」
「むむ、それはゼデのことかなあ?」
「そうそう! そんな名前だったね! 彼の居場所が分かれば私の探し物もすぐ分かるよ」
「ゼデに生者の魂を誤って管理している私の失態がバレてしまうじゃないか。危険だなあ」
ぐぬぬ。
何か他に良い説得材料は無いかと、必死に頭を振り回して薄れつつある記憶をほじくり返す。
地獄の門で会った時、そもそもなぜ彼はヒューゴ君を探していたのだっけ。
「ねえ、泥遊びしちゃだめ?」
小さく耳打ちしてきた泥まみれの魔女にそう聞かれたので、もう少し待って欲しいと伝える。お人形遊びをするなら私の用事が済んでからにして欲しい。
彼女の耳打ちのせいで、必死に思い出そうとしていた記憶がどこかへ飛んでいってしまった。
年老いた魔女になったら、こんな感覚になるのかな。
それでも、はっきりと思い出せるヒューゴ君との記憶を頼りに、何とか記憶を遡って思い出していく。
彼はヒューゴ君が知っているかもしれない情報を探している。
その情報は秘密基地の場所だ。賢者の石を使っていた子供が、同じ言葉を使っていた。
そういえば、ヒューゴ君が私を助けに来てくれた時に、子供と一緒にゼデという老人もいた気がする。
そうだ、確かにあの場にいた。
あの時は意識を失っていたけれど、ヒューゴ君の声が聞こえてきてすぐに目覚めたのを覚えている。
それで3人くらいの会話が聞こえてきたのだ。
彼は賢者の石を持つ子供の行動に終始興味は無さそうだった。それなのに、彼はなぜかずっとあの場で起きたできごとを傍観していた。
地獄の王様なのに1人の子供の言うことに逆らえないような感じだった。
その子供は何と言っていたのだっけ。
『おじいちゃんの魂を返して欲しくないのお?』
「思い出した。そのゼデっていう王様は、私たちが生きている世界にいる子供に魂を取られているみたいなんだ。その魂の居場所を私の探し人が知っているのだよ」
「むむ! それは大問題だなあ。王が生者に操られているなんて大問題だなあ」
「その王様を試しに脅してみてよ。それで本当かどうか確かめられるでしょう? 本当だったら彼に、私の探し人の居場所を教えてもらって、私はその人と共にこの世界からすぐに退散する。どうだい?」
刃まみれの物体は再び嫌な音を響かせて、身体を前のめりにする。ロッキングチェアが若干前に傾いている。
「それって脅している?」
今の私が1番困るのは、彼と戦闘になることだ。それが他の王にも知られることだ。
これまでの情報では、彼に全く利が無く、ただただ危険な目に遭ってその後始末をするような状況にさせられていると思うのは明らかだろうね。
だから、そのままを彼に伝える。
「脅しているよ。もし、聞き入れてくれなければ私たち3人で暴れ回って、他の地獄に行って君の失態を吹聴するよ。『アアイアが生者の魂を監獄に入れて清算させている!』ってね」
「すごい度胸だなあ」
魂だけの私だけれど、結構冷や冷やしている感覚はある。何せヒューゴ君の魂が懸かっているのだ。説得に失敗したらどうしようとは思っているよ。
でもアアイアはおどろおどろしい見た目の割には、気さくに答えた。
「良いよ。ゼデに吾の失態が知られなければ、上手くいけば損をするのはゼデだけだから」
串刺しだらけの物体は意外と話の分かる王様で良かった。
「ところで、君の探し人は、君にとってどのような存在なのかなあ?」
突然、アアイアから思ってもいない質問を受けて、面食らう。
彼が私に何を言って欲しいのか見当がつかないので、正直に答えるしかないよね。
「私に仕えてくれる騎士だ。気持ち悪いくらい優しい人間で、私の大切な人だよ」
この返答で良いのかな。
「その人間と一緒にいると君は幸せなのかなあ?」
彼は私に恥ずかしいことを言わせたいのかな。意地悪な王様だと思うよ。
これも正直に答えるけれどね。
「まあ、幸せだよ……」
「それじゃあ、その人間と過ごした時は幸せな思い出なのかなあ?」
2度も同じようなことを言わせて、余計に混乱してくる。
顔が熱い気がする。
「幸せ、だよ……」
「では、その思い出を喰わせてくれないかなあ?」
悪い予感がしてきたとはっきり分かるね。
一体、どこで選択肢を間違えたのかな。
アアイアの身体から突き出ている無数の刃たちが、細かく触れ合ってさざ波のような音を立て始める。
良い音では無い。




