落命3
「お前もその男に大切な人を酷い目に合わされた! 違うか!? なのになぜ助ける!!」
地面から噴き出た炎が俺の足を焼き尽くし、一瞬で足が棒のように動かなくなり倒れてしまう。
それでも俺は燐衣の魔女から目を離さず、彼女に少しずつ近寄る。
「彼を大切に想う人に……彼を殺さないという約束をした」
燐衣の魔女がその言葉を聞くと同時に、顔をこれでもかと歪ませた。
顔のほとんどが焼け焦げていて確かな表情は読み取れないが、明らかに苦痛を感じ身悶えしている。
燐衣の魔女が大切に想う人がいるように、モドレオにも大切に想われている人がいるのだ。少し狂っているが、確かに彼の身を案じている人がいる。
そのことを感じ取った燐衣の魔女の胸に虚しさが襲うのは確実だと思った。
大切な者が失われる痛みを知っているのは、他の誰よりも彼女は知っている。
「歌うな!! 歌うのをやめろ!!! 耳障りだ!! 焼き尽くすぞ!」
「良い……歌声だろう? 俺の大切な……人なんだ」
更に燐衣の魔女は苦しんで、行き場の無い怒りが火柱となって全く関係の無い地面から噴き上がる。
この時点で彼女は、俺やリリベルやモドレオを殺すことを躊躇っている。
後は駄目押しとばかりに、力の限り地面を這いずり、彼女のもとへ辿り着くと、彼女を両腕で引き寄せて抱き上げる。
「やめろ!! 触るな! 怒りが……怒りが!!」
燐衣の魔女を一度無力化した時に彼女が放った言葉から、俺は彼女がまだ正気であると読み取った。
怒り続けることが燐衣の魔女の魔力の源であるなら、彼女の怒りを抑えてやればいい。単純なことだが、実際に彼女の怒りを鎮めるのはとてつもなく大変だ。
だが、痛みを知っている彼女だからこそ、俺たちの痛みを誰よりも理解できるはずだ。
そして何より、歌声が響くこの採掘場に怒号は似合わない。
俺は燐衣の魔女の頭を撫でる。俺の腕が焼け爛れていたことに今気付く。
「私の苦しみを、怒りを知らない癖に何様だ! 同情しているつもりか!?」
「俺……は……ヒューゴ……と言う」
「くそ、やめろ……!!」
「お前の名前は……?」
萎み続ける怒りは、噴火の力を弱くしていき、採掘場を漂う熱は徐々に冷めていく。
彼女の声が少しずつ落ち着いていき、「やめてくれ……」というか細い声を聞いても俺は撫で続ける。
「名前を……教えて……れ」
「やめろ!!!!」
拒むための両手は彼女には無く、ただ人の好意を受け続けるしかない彼女は遂に魔力を失い、採掘場は完全に鎮火する。
行き場のなくなった怒りに悶え苦しみ呻き声を上げる彼女に、残酷にその後も名前を教えてくれと促し続けると、彼女は「くそ」と連呼して最後は遂に折れてくれた。
「…………リリフラメル」
リリベルと似たような響きの名前で、思わず笑ってしまった。笑い声を出すことは叶わないが、多分表情には出せていると思う。
「良い……名前」
燐衣の魔女を抱き寄せる力は既に無く、俺は彼女と共に地面に倒れ込んでしまう。
片目は完全に光を失い、もう片方の目が辛うじて見えるぐらいだ。
「ヒューゴ!」
いつもなら君を付けて俺の名を呼ぶ彼女は、明らかに焦った様子でうつ伏せになる俺を仰向けに起こす。
何かいる程度にしか分からないが、視界に映る黄色の何かはきっとリリベルだろう。
「思い出したよ、全て。君は私の大切な人だ!」
リリベルの記憶が戻ったようだ。
どうやらノイ・ツ・タット入国時に彼女にかけられた記憶を消す魔法も、モドレオの賢者の石を使ったものらしい。いずれにせよ、彼女が元に戻って良かった。
「よく聞いて! 今から君に『魔女の呪い』をかけて君を不死にする! 私との契約に応じてくれるなら、一言でもいい! 口に出して欲しい!」
そうは言われても、もうどんなに頑張って言葉を吐こうとしても口が動かないのだ。呻く力すら無い。すまない。
燐衣の魔女の説得に全身全霊を使ってしまった結果がこれなのだから許して欲しい。
「言葉でなくとも良い! 一文字言うだけでも良い!」
彼女のすがるような願いに、喉を震わすことすらできない。
茶化して呪いの代償でも聞きたいところだったが、それも叶わなかった。
「この先の一生、炎で焼かれ続けることになったって良い。この世全ての男たちの慰み者になったって良い」
「だから、だからどうか……」
目を開き続けたいが、瞼が自然と落ち始めていく。俺の強い意思に反して、身体は抗うことができない。
わずかに感じる感触の中で、顔に雨粒が当たった時のような感覚を覚える。
「死なないでくれ、私の愛しい騎士……」
「泣かないでくれ」という言葉は、喉から出て来ることはなく未だに胸中に留まったままだ。
「私を、1人にしないでくれ……」
「俺はこんなところで死ぬつもりはない」と言ってやりたかった。それはあまりにも無責任な言葉で、彼女をより一層悲しませるだろう。
それでも、一瞬でも良いから、彼女を悲しませたくない。ほんのひと時でも良いから彼女を笑顔にして最期を締めくくりたい。
死に物狂いでどうにか動かした右手で、リリベルの垂れた髪を探し当て引っ張る。
彼女にとっては、引っ張られたかどうかも分からない力加減だったと思うが、それでも彼女は顔を近付けてくれた。
彼女は俺が何かを言おうとしていると思って、耳を俺の口元まで近付けてきた。残念だがもう声は出せない。許して欲しい。
その代わりにと俺は最後の力を振り絞って、頭を彼女の耳から頬へずらして、口づけをする。その行為の意図を彼女が理解してくれたら嬉しい。
燐衣の魔女へ啖呵を切った時に自覚したのだ。俺はリリベルに対して、少なからず好意を持っている。
それを彼女に行動で示したかった。
リリベルはすぐに顔を離した。もう少し彼女と触れ合っていたかったが、彼女は驚いて離れてしまったのだろう。仕方ない。名残惜しいが、これで終わりだ。
しかし、束の間に今度は無理矢理に俺の頭を持ち上げられて、俺の口は塞がれた。
今度は、俺の方が驚いた。ただ、その驚きを身体で表現する体力はもう無い。
口の中が血だらけで相手に申し訳ない気持ちは少々あるが、人生最後のイベントとしては、程々に良い結果であったと思う。
気分が良いところだったが、不意にどうしても気残りなことを思い出す。それを伝えるために、1つだけ彼女に心の中で依頼をする。まだ、エリスロースの血の魔法が有効だと良いのだがな。
リリベル、俺の隣にいるリリフラメルのことを頼む。彼女を怒らせないように世話してやって欲しい。
誰かが騒がしく石階段を下りていく音を最後に周囲の音は聞こえなくなる。
手足も首も瞼も呼吸も、楽になっていく。
こうして俺の人生は幕を閉じた。
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