監獄より、願いを込めて5
彼女は随分とフランクに話しかけてきたので、ただの知り合いという関係ではなさそうなのだけれど、いくら頭をひねっても彼女の記憶が思い起こされることはなかった。
彼女の名前を聞いてみたら何か思い出せることがあるかもしれないね。
「ごめんね。君のことをよく憶えていないのだよ。名前を教えてくれないかい?」
彼女はマントの内側を見始めた。じっと見つめてからすぐに鉄格子を掴んで顔を食い込ませながら答える。
「ヴロミコ・エレスィかな!」
その言葉を聞いて徐々に記憶が呼び起こされる。
正確にはヒューゴ君と初めてキスをした時の情景が真っ先に浮かび上がって、その後にヴロミコとかいう魔女と戦ったような思い出が浮かんできた。
ヒューゴ君に関連することなら割と思い出すのは簡単だし、それに近しい記憶であれば何とか思い出せるみたい。
気のせいかもしれないけれど、顔がちょっと熱いかも。
ヒューゴ君とのキスが脳裏に焼き付いてしまっているので手を振ってあっちに追いやる。
「何となく思い出したかも。そうか、ここが地獄なら死人と出会っても不思議じゃないか……」
「黄衣の魔女? 黄衣の魔女なのか!」
今度は左隣の牢屋が騒がしい。
黄衣の魔女は私のことを指しているようで、彼もまた私のことを知る誰かさんらしい。
「はい、私が黄衣の魔女だよ」
「何ということだ! 燃え盛る魔女に殺されてしまったのか!? ああ、私が生きていればそなたたちの力になれたものを……」
燃え盛る魔女とは誰のことかと、再び記憶を辿ってみると、今度はヒューゴ君に頬へキスをされたときのことを思い出した。
それでノイ・ツ・タットで燐衣の魔女と戦った記憶を思い起こせた。燃え盛る魔女と言われて思い出せるのは今のところ彼女ぐらいしかいないから、きっと合っていると思う。
先程から記憶を呼び出そうとする度に、彼とキスをした情景が鮮明に浮かび上がってきて少しだけ恥ずかしくなってくる。
私は痴女なのかな。
恥ずかしさを押し殺しながらあくまで平穏に、思い出した記憶を頼りに彼へと説明しよう。
「いや、彼女は倒したよ。正確には私の騎士が倒したのだよ。主人としては鼻高々さ」
「ではなぜそなたが地獄にいるのだ?」
「彼女との戦いの結果、私の騎士が誤ってこの世界に来ちゃったみたいでね。私は彼を取り戻しに来たのさ」
嘘は言っていない。
私は彼を死んだとは思っていないし、間違えて魂だけ地獄に迷い込んだのだと思っているからね。
「なんと、そういう仔細であったか」
「ところで君は何という名前なのかな」
「む、すまぬが名前が思い出せないのだ。生前の記憶で覚えていることは、私が王であり、フェルメアという生涯愛し続けた女がいるということぐらいしか……」
彼の言葉を聞くと、またヒューゴ君とキスをした思い出がすぐに甦ってきた。
ミレド王とフェルメア王妃の居城で、私が彼に意地悪をしてキスをしたのだ。
「師匠、大丈夫かな?」
「黄衣の魔女よ、何かあったのか?」
私が恥ずかしさで顔を隠しているのを見たヴロミコが心配している様子を、隣の王様が見て気にかけてくれた。
「いや、大丈夫だよ。少し顔が熱くてね。ところで、私も隣の王様も自分の名前を思い出せないのだけれど、ヴロミコは何か知っているのかい。君だけは自分の名前が分かるようだけれど」
この牢獄に通されるまでに並んでいた列でも、私の後ろにいた誰かさんは自分の名前を思い出せなかった。
察するにこの地では自分の名前が記憶から失われているのではないかと思った。
そのため、初めて自分で自分の名前を口にできたヴロミコに少し興味を持ったのだ。
「分からないかな。マントの裏地に名前が書いてあったから、多分これが私の名前だと思ったのかな!」
あちらこちらで叫び声が木霊する中、何とかヴロミコの声が聞き取れた。
自分の物にしっかり名前を付けておくなんて子供みたいだ。いや、子供か。
つまりヴロミコも王様も私も名前を思い出せないのだね。




