地獄の門より、疑問を込めて2
「こんにちはー」
ご近所さんに挨拶する感覚で軽く会釈して通り過ぎようとするけれど、老人はものっ凄く私を睨み付けてきているので怖い。
「待て」
あーあ、どう考えても面倒臭そうな奴に呼び止められちゃった。愛想良く笑顔を振り撒いておこう。
「お前、モドレオと一緒にいた奴だな?」
好きで一緒にいた訳じゃないけれどね。
「ハイ、ソウデス」
愛想良くしようと考えすぎて、我ながらひどく片言になってしまったと思う。
「あいつが言っていた秘密基地にお前は行ったことがあるようだな。場所を教えろ」
秘密基地と言われても私にはさっぱり分からない。
私が記憶を取り戻した時にモドレオが口にしていたことは覚えている。確かエルフとか人間を産ませてうんたらかんたらと話していた。
オークの谷で起きたできごとを思い起こして、明らかにオークではない者と戦ったことがあったことを思い出す。
身体や腕を継ぎ接ぎしたような縫い跡があって、顔は人間っぽかった。今にして思えば、アレはモドレオの玩具だったのではないだろうか。
察するにオークの谷に彼の有する実験場のようなものがあったのだと思う。
そうは言っても私の記憶の中にはモドレオの言葉と合致する実験場は見当たらなかった。
長さのある谷だし、私は谷でも地上付近のオークの街にずっといたので、多分辿り着いてはいない。
辿り着いている者がいたとしたら、可能性が1番高いのはヒューゴ君だ。彼は谷底まで落ちて、眠れるドラゴン、エザフォスを起こしに行ったのだ。そこから地上に戻る道中で辿り着いた可能性はある。
「彼はそう言っていたけれど、私はその秘密基地に行ったことがないのだよ。多分、別の人が辿り着いていると思う。多分だけれどね」
「誰だ?」
「私の騎士だよ」
染み出してくる黒い液体に触れないように、少しずつ後ずさっておく。
老人は目を細めて、一瞬間を置いてから再び私に質問して来た。何かを思い出そうとしているのかもしれない。
「ヒューゴとかいう男か?」
なぜ彼の名前を知っているのかと思ったけれど、彼が死にかけていた時に、私が彼の名前を叫び呼んでいたのをすぐに思い出した。
私が無言で頷くと、老人はひきつけを起こしたかのように肩や顔を痙攣させて、その後に気持ち悪く笑った。
「あの首を切られて死んだ弱そうな男か。ぐぐぐ、それなら話は早いな」
このじじいもヒューゴ君を死んだことにしているので、せっかく忘れていた怒りを思い出してしまう。
しかも彼のことを何も知りもしないくせに弱いと決めつけているので、すごく腹が立つ。最近の彼は成長しているのだよ。
いい加減にこの腹の虫を納めるために魔法の1つでも放ってやりたくなってきたよ。
「1つ聞いてもいいか?」
気付かないうちにすぐ私の後まで来ていたエリスロースが口を挟む。男の姿をした彼女は老人の返事も聞かずに続ける。
「ここは何なのだ?」
腰の曲がった老人は据わっていない首で顔をぐりぐりと右へ左へ傾けながら唸る。それがどういう感情表現なのか全く見当がつかないし、不気味だよ。
「お前等、死んでいないのか。ならば、さっさとここを出ていけ」
「どこなのか教えてくれたらさっさと出て行く」
「不愉快な奴だ……。お前が死んでいたら魂を喰らっていたというのに」
老人は悪態をつくと共により強い悪臭を放って来る。我慢の限界で私は鼻を摘んでしまう。
「ここは地獄だ。死んだ全ての者は魂となってこの地に集う」
モドレオの言っていた『地獄の門』って言葉のままの意味じゃないか。
血色も悪いし臭いし、耄碌してボケた老人の戯言としか感じられない。
しかし、エリスロースはその言葉を聞いて、あっさりと老人の横を通り過ぎて扉の向こうへと姿を消してしまった。
彼女の後を追う前に、老人に一言声をかける。
「悪いけれど、私の騎士は今眠ったままだから話はできないよ」
そのまま通り過ぎようとしたところで老人に鼻で笑われる。
「それは死んでいるからだ。魂が無ければ起きることもない。あの男の魂はこの地で生者の行いの精算をしているはずだ」
それは私の興味を引く言葉だったけれど、老人が黒い液体で侵略してきたので、踏みつけてしまう前に液体を避けながら急いで木の扉に入り込む。
扉を抜けると一転して景色が変わり、採掘場に出た。
ほんのしばらくしか赤い世界にいなかったのに、視界がぼんやり赤い。やっぱりあの世界は目に悪いよ。
リリフラメルが天井に開けた穴のおかげで、少しだけではあるが外の明かりが入ってくるようになったのだけれど、今は陽が傾き始めたのか薄暗い。
エリスロースは丁度穴の真下にある溶けた岩の塊に腰掛け、腕組みをしながら考えごとをしている。
私は彼女に歩み寄り、男の姿をした彼女の顔に指で突いてみる。
「リリベル、地獄を見たことはあるかい?」
私の戯れつきを完全に無視してきたので、全くもってつまらない。ヒューゴ君なら私の指に噛み付くぐらいの反応はしてくれるのに。
「ある訳ないでしょう。本当の意味で死んだこともないのに」
「それもそうか。聞く奴を間違えた」
老人の話を信じ切ることはできなかったけれど、それでも完全に忘れ去ろうとすることはできなかった。
もちろん、それはヒューゴ君の話をされたからだ。
この水晶に興味は無かったけれど、彼が起きないことと関係している可能性があると思うと、多少は興味が湧いてきたね。




